第5回
特別展示 高島思い出館
開催期間:平成18年10月27日(金)〜29日(日)  会場:高島会館
御覧になった感想、また小樽市高島に関する思い出話、同じく資料・情報などがございましたら、 こちらまで御連絡下さい。

画像で拡大

男湯・女湯の額
三原さんが銭湯を経営していたときからのものです。
昭和10年代、70年以上前のものと思われます。
提供者:斉藤正博様

保温用の藁(わら)ごも
お櫃(ひつ)のご飯が冷めないように入れておく容器で、藁を編んで作られています。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

角巻き・肩もみ器
角巻きは、大正時代から昭和20年まで使われた女性用の防寒具。
大型の四角い毛布で、半分に折って、肩から体をくるんで使いました。
提供者:高橋様

島本虎三
(故)島本虎三氏が仁木町長選挙に立候補したときのポスターです。
提供者:島本清子様

大謀網浮き玉
ガラスの浮き玉では最大のものです。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

携帯電話元祖
国鉄(現在のJR)時代に保線区と駅との連絡に使われた無線の携帯電話機です。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

昔のカメラ
『スーパーフジカ6(シックス)』昭和30年(1955)4月発売のカメラです。
66版(6cm×6cmの画像が記録できるフィルムサイズ)のカメラで、当時の価格は24,800円でした。
提供者:一戸様

屋号@
町内では、ほとんど苗字では呼ばず屋号で呼んでおりました。

屋号A

屋号B

お櫃(おひつ)・枡(ます)
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

桶(おけ)
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

火消壺・火バサミ・デレキ・ノンコ・十能
火鉢(ひばち)や囲炉裏(いろり)、竃(かまど)があった時代に、その中で熾き(おき)になった炭を
「火ばさみ」や「十能」で「消し壷」の中に入れて自然消化させます。次回に火を熾すときに、「消し壷」の中の炭を使用します。
「十能」は小型のスコップとして石炭をストーブに入れたり(くべたり)、他にも色々と重宝されました。
十能の左どなりは「デレキ」です。ストーブの中の燃えている石炭をさらに燃えやすいようにひっかいたりしました。
「デレキ」の左となりは「かぎ・ノンコ」と呼ばれるもので、いっかばこ(魚の入った木箱)や魚を引っ掛ける時に使用しました。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

篩い(ふるい)
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

漁師さんが使う外国語

ベン鉢
生酢や煮シメを入れる鉢です。
提供者:平野千世様

アルミニウムの炊飯釜と鍋台
アルミニウムは腐食しやすいので、穴があいてしまうことがありました。

シンガーミシン
大正12年(1925)製です。当時の値段で6,000〜8,000円位とのことです。
バック機能もなく、直線縫いだけのミシンです。
動力は下にある台を足で踏みこむことによります。
提供者:斉藤正博様

蓑(みの)・ポンタモ
「蓑(みの)」は、菅(すげ)や藁(わら)で編んだ雨具です。
明治、大正時代の農家などで使われました。
「ポンタモ」はニシンの建網漁で、身網に入ったニシンを枠網に移すときに使ったタモです。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

アイヌの着物(アツシ)
明治の初期、高島には、まだ、たくさんのアイヌの人達が住んでいて、漁場に雇われて働いていました。
樹皮(オヒョウなどの木の内皮)でつくられた着物で「アットゥシ」ともいいます。
アイヌ独特の紋様は魔除けの意味があります。
提供者:兵藤ツナ様

ロシアの絵
飯田町会長様が民間大使として漁業交渉などでロシアへ出向いた時に
購入した数々の絵画の中の1品です。
提供者:町会長 飯田健一郎様

防波堤で釣り
昭和30年代の中頃、末広中学校1年H組、浅野学級の遠足にて。
高島漁港、北防波堤で釣り。
提供者:西島光夫様

修学旅行
昭和20年代後半。
高島小学校6年の修学旅行は登別方面への一泊二泊。
写真の生徒達は現在60才半ば。
提供者:西島光夫様

盆踊り
昭和28年(1953)、8月16日、22時頃。
現在の高島2丁目バス停近くの道路での踊り。
その当時、3丁目にバス停は無く、2丁目が終点でした。
この頃の踊り手は、顔を隠して踊りました。
提供者:斉藤正博様

※盆踊りの期間だけ、2丁目のバス停を少し手宮よりに移動させ、会場としました。
その後、会場は舎の浜、そして現在は児童公園と、移り変わりました。

北洋漁業見送り
昭和30年代前半。
小樽港から北洋へ出漁を見送りする家族の写真。
手宮3丁目本間水産・恵比寿丸の出漁見送り。
提供者:西島光夫様

高島保育所 第7回お別れ会
昭和39年(1964)3月19日。
後ろの来賓の中に、当時の町会理事の方々がおります。
提供者:斉藤正博様

高島町救護隊解散記念
昭和15年(1940)12月11日。
お名前をご存知の方は、お知らせ下さい。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

在郷軍人
昭和10年代、戦時中。
平時は家業や民間企業に就し、有事の際に召集される予備役・退役・後備役などの軍人。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

三吉神社鳥居奉納
昭和28年(1953)9月17日撮影。
瀬川鉄三郎氏(瀬川造船所社長)が三吉神社の大鳥居を寄進し、
その完成奉納時の記念写真。
提供者:大小島平和様

愛国婦人会
昭和10年代、戦時中。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

上架船全景
昭和32年(1957)8月10日撮影。
祝津港です。
提供者:不明

忠魂碑建立記念
明治40年(1907)8月30日。
稲荷町の丘に日露戦争の戦没者を祀る忠魂碑を
建立したときの記念写真。
前列は、左から兵藤市之丞氏・亀山三代吉氏・森脇村長氏・一人おいて兵藤清治氏・小田兼吉氏。
提供者:兵藤ツナ様   

42才の厄払い
昭和2年(1927)。
後列左から、金田晋吉氏・桜井氏・北川氏・羽田野 順氏。
前列左から、竹島竹治郎氏・八田左吉氏・山田氏。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

神社造営遷座祭
昭和46年(1971)9月3日撮影。
昭和45年(1970)8月28日、午後7時、仮遷座祭(神社より御神体を社務所仮本殿に斉行)
昭和46年(1971)6月、神社新築、並びに社務所改修、町民公園整地の資金の御協力についての趣意書提示
昭和46年(1951)9月3日、神社造営遷座祭。 ※遷座祭⇒一定の期間をおいて新殿を造営し、旧殿から新殿へ神体を移す祭祀(さいし)。
提供者:斉藤正博様

新築本殿
昭和47年(1972)2月7日撮影。
新築したばかりで、周りの植樹もしていません。
提供者:大小島平和様

高島小学校 運動会
昭和36年(1961)5月28日撮影。
1年生の個人競技、徒競走です。
提供者:原田守光様

高島小学校 運動会
昭和36年(1961)5月28日撮影。
6年生の団体競技、大玉運びです。
提供者:原田守光様

高島小学校 運動会
昭和36年(1961)5月28日撮影。
2年生の団体競技、くす玉割りです。
提供者:原田守光様

高島小学校入学記念
昭和10年(1935)4月撮影。
石塚ナカさんの長男、石塚忠雄さんが入学しました。
提供者:原田守光様

高島小学校入学記念
昭和39年(1964)4月撮影。
石塚ナカさんの長女である石塚和枝さんの長男、写真提供者の原田守光さんが入学しました。
提供者:原田守光様

高島小学校学芸会
昭和39年(1964)撮影。
1年生の各1クラスから2〜3人が選ばれ、東京オリンピック開催を記念して遊戯を踊りました。
服装は、世界各国の人たちを表しています。
提供者:原田守光様

高島小学校鼓笛バンドクラブ
昭和40年(1965)撮影。
全市鼓笛バンドパレードに参加するため
小学校を出発したことろです。
提供者:原田守光様

高島小学校鼓笛バンドクラブ
昭和40年(1965)撮影。
全市鼓笛バンドパレードに参加しました。
国道から右折して稲穂小学校脇から小樽公園へ向かうところです。
提供者:原田守光様

高島青年団の海水浴
昭和32年頃。
南高島青年団の皆さんが祝津・目無泊付近へ海水浴に行きました。
提供者:斉藤正博様

高島青年団のニセコへ夏山登山
昭和32年(1957)8月。
今年の青年団体育部はニセコへの夏山登山を実施しました。
婦人部長の小林順子さんや山田トメさんの顔も見えます。
提供者:大黒昭様

南高島青年団ハイキング
昭和27年(1952)8月。
青年団体育部が計画したハイキングで、当時、大黒昭様は手宮小学校に勤務しながら、
高島の青年団活動にも参加していました。手宮の教え子も青年団と一緒に参加していました。
提供者:大黒昭様

南高島青年団、朝里へハイキング
昭和29年(1954)9月26日。
南高島青年団の朝里へのハイキングです。
提供者:高松和夫様

南高島青年団、祝津海岸でのキャンプ
昭和26年(1951)8月。
当時の青年団体育部はハイキング、キャンプなどを実施していました。
提供者:大黒昭様

演劇研究発表会 鰊場
昭和28年(1953)11月3日。
青年団文化部では、読書会、レコードコンサート、演劇発表会などの文化的な活動を行っていました。
この年は、山 英二作の「ニシン場」を上演しました。
提供者:大黒昭様

大正2年の卒業式
大正2年(1913)3月。
大黒昭様のお父様が高島尋常小学校を卒業したときの記念写真です。
全員が着物姿です。
提供者:大黒昭様

大正時代の6年生の習字
大正2年(1913)2月。
大黒昭様のお父様が6年生の時に書いた習字です。
毎週1回、清書をして提出していたことが日付でわかります。
当時の6年生は、すでに行書で半紙に10字以上を書いていました。
提供者:大黒昭様

札幌県
明治2年(1869)、えぞ地を北海道と改め、翌3年、札幌に開拓使を置きました。
明治15年(1882)、開拓使を廃止し、北海道に札幌県、函館県、根室県の3県を置きました。
明治19年(1886)に現在の北海道庁が置かれるまでの4年間は、3県時代でした。
この書付は、大黒昭様の曾祖父が県から、もらったものです。
提供者:大黒昭様

98年前の雪崩を報じた新聞記事
明治41年(1908)3月12日、高島で起きた雪崩で、秋元、大黒両家で
4名が圧死した事故を報じた、その翌日発行の小樽新聞記事です。
提供者:大黒昭様

大正末〜昭和初期の葬儀
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

大正時代の葬列
当時、霊柩車などはありませんでした。
棺桶を担ぎ、花輪を持って、祝津の火葬場まで歩いていきました。
遺族は白い着物を着て、編み笠をかぶりました。

この葬列の人数から、相当の資産家の葬儀だったと思われます。
場所は、今の日根さんの前あたりで、まだ暗渠されない牛川や、
ニシンの粕乾しのムシロが見えます。
提供者:大黒昭様

釧路の昔の葬儀
昭和11年(1936)10月。
釧路市本行寺で行われた兵藤家に縁のある荒谷家の葬儀です。
提供者:兵藤ツナ様

戦闘機 小樽市高島号
戦時中(昭和10年代後半)、高島町民の募金と金属資源の供出によって建造された戦闘機の写真です。
当時の海軍省が、この写真を町民に配布しました。
艦上戦闘機(航空母艦から飛び立つ戦闘機でゼロ戦の仲間)で翼に「小樽市高島号」と記されていました。
提供者:原田守光様

結婚式
昭和20年代後半と思われます。
当時の結婚式は自宅で行うことが主流でしたが、
この写真の結婚式はどこかの会場を使用したものと思われます。 提供者:西島光夫様

妙見川
昭和20年代。
まだ妙見川が暗渠されておりません。
提供者:斉藤正博様

ヒロ
昭和28年頃。
稲荷町の坂の上、今の末広中学校の近くに盲人のヒロさんが一人で住んでいました。
犬をたくさん飼っていて、その犬にひかれて町へ下りてきました。
写真は、新正寺の前で休んでいるところです。
提供者:大黒昭様

カルタ会
昭和10年代。
高島のカルタ取りのルールは独特です。
木の板に下の句だけを書いた取り札を、同様の『下の句』だけを読んで取る方法です。
場所は、当時、書道を教えていた大江鹿蔵氏宅です。
提供者:斉藤正博様

石炭積み込み
築港にトランスポーターができるまで、石炭の積み出しは
手宮(現在のホーマック付近)にあったこの施設から、石炭運搬船に
積み込んでいました。昭和33年頃までありました。
提供者:斉藤正博様

大正時代の女性の髪形
大正時代から昭和の初期までの女性の髪形で、今までの日本髪に対して、
当時、流行した髪型は洋髪と呼ばれました。
そして、このような髪型を束髪といいました。
両側の女性(子供から結婚前)の髪型は「桃割れ」です。
中央の女性は「行方不明」という髪型です。
提供者:兵藤ツナ様

大正時代の女性の髪形
右の女性は「桃割れ」、左と中央の女性は「束髪」という髪型です。
日露戦争の戦場からついた「二百三高地」や「夜会巻き」という髪型もありました。
提供者:兵藤ツナ様

紙芝居がきた
昭和15年頃。
紙芝居屋のおじさんが自転車の後ろに道具を積んで、やってきました。
カチ、カチと拍子木を叩いてまわると、子供達は遊びをやめて集まってきました。
一銭のアメを買うと前のほうで見れます。「黄金バット」が楽しみでした。
提供者:大黒昭様

子供ヤッコ(第1号)
昭和30年代、高島祭りの子供ヤッコの始まりの写真です。
現在、この写真に写っている子供達は、50〜60才代の方々ばかりですが、
このメンバーが、第1回札幌夏祭りにゲスト出演し、
新聞、テレビ等で取り上げられました。
提供者:西島光夫様

高島白鴎会(漕艇)
第2回、国民大会(昭和22年・京都市)への出発前の写真です。
この高島白鴎会は、当時小樽体育協会への参加団体ではなかったので、
長く記録に残されず、幻の優勝扱いでしたが、小樽体育協会の60周年記念(昭和56年)にて
初めて認められた事実があります。
なお、優勝記念の写真と記念品は、上村、矢城家の火災で焼失し現存しません。
提供者:西島光夫様


御覧になった感想、また小樽市高島に関する思い出話、同じく資料・情報などがございましたら、 こちらまで御連絡下さい。
高島郷土館 入口
写真Section
歴史Section
方言Section
クリックでページアップ