第4回
特別展示 高島むかし生活展
開催期間:平成17年10月28日(金)〜30日(日)  会場:高島会館
御覧になった感想、また小樽市高島に関する思い出話、同じく資料・情報などがございましたら、 こちらまで御連絡下さい。

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小モッコ(画像中央の木箱)
モッコは魚を入れて背負って運ぶ道具で、高島では昔、どこの家にもありました。
この小モッコは、その年に最初に獲れたニシンを入れ、
神棚に供え、豊漁を祈願するためのものです。
まだ、ニシンのうろこのあとが残っています。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様
参考ページ

ニレの木の皮で作ったひも
身欠ニシンをこのひもで束ねました。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様
参考ページ

はねご(イカ釣り具)(画像中央の二股状のもの)
昔のイカ釣りは、今の様に自動化されておらず、すべて手釣りでした。
その道具がこの「はねご」でした。
両手に一本ずつ持ってあやつるので、一度に4ハイ釣る事ができました。
一晩に1000匹釣って一人前と言われたそうです。
うしろのヤジロベーのようなものもイカ釣りの道具です。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

沖箱
磯廻りの漁師さんが沖に出るとき、漁の合間に一服するときの
「キザミ煙草」「キセル」「マッチ」を入れた箱です。
波しぶきがかかっても濡れない工夫がしてあります。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

上皿はかり さお式>
重さを計りたいものを左の台の上に乗せ、さおのはしに分胴を下げ、
さおの目盛り分胴を動かして水平になったとき、重さを読み取ります。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

木型・木ベラ
和菓子作りで利用する木型と木ベラです。
画像の木型はお盆の「落雁(らくがん)」用です。
ひとつひとつ丁寧に作られていたことが良く理解できます。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

木型
これは正月に食べた「口取り菓子」用です。
鯛(たい)・海老(えび)・蛤(はまぐり)などの型です。
シンプルですが職人の長い歴史も刻み込まれています。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

和菓子作りの道具
画像の上から
@三角押し棒:花びらなどの模様をつける時に使用。
Aささら:練り切りなどの細工に使用。
B金べら:どら焼きを作る時に使用。
Cお玉しゃもじ:どら焼きを作る時に使用。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

和菓子作りの道具
画像の左上は
@抜き型:練り切りや寒天などの形を作る時に使用。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

和菓子作りの道具
画像の左から
@焼き印:型が彫られた先端を直火で熱し、生菓子や饅頭の表面に押しつける。
「祝」や「ハスの花」など冠婚葬祭や季節を演出。
A菊ばさみ:菊の花弁のように細かい細工をする時に使用。
祭事・仏事の菓子作りには欠かせない。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

和菓子作りの道具
@さわり:銅製のため熱伝導が良く、ぎゅう皮、あん、
細工用の飴などを練る時に直接、火に掛けて使用。
A中に入っているものは、裏ごし器。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

書物
画像右から、明治22年出版の英語読本、昭和3年出版の『国文の解釈』です。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

算盤(そろばん)
高島商工組合で使用していた算盤、古い物は下の部分が五玉でした。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

書物
旧高島郡の電話帳です。大正の終わりか昭和の初めの出版のようです。
下記を参考、高島村(現高島町)内の加入者は29軒でした。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

電話加入者
上記の電話帳から高島・本田沢・祝津を抜粋したものです。
見づらいので、高島村の主な加入者を書き出しますと
亀山商店・加藤商店・吉田医院・仙屋・巡査駐在所・郵便局・尋常小学校・高嶋座・
日根組・小樽冷蔵梶E小樽漁業梶E北海道商工銀行高島出張所・高島信用購買販売組合・
小田呉服店・北海道水産試験場・日本製粉梶E北海道水力電気梶Aその他も含めて合計29軒です。
参考:日本全国の電話加入者は大正10年に40万人を越えました。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

一升枡とすりこぎ棒
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

高島神社例大祭(西高島版)
高島神社例大祭は毎年、神社周辺や海岸近くの旧南高島・北高島(現1〜3丁目)が賑わっていました。 そこで旧西高島(現4〜5丁目、海岸から1〜1.5Kmくらい離れた地区)の住民の皆さんが奮起し、 自分達の地区も賑やかに!ということで独自で山車(画像は恵比須さんの山車、 参考:現在は宝船の山車) を作り、町内を練り歩きました。画像は昭和27年、浜(現、舎の浜)から一本、山側の小路を練っている様子です。
提供者:大黒 昭様

高島神社例大祭(西高島版)
画像は昭和27年、場所は高島中央線で、
左側は正林寺様、後方は小学校・赤岩方面となります。

空きビン精米器(特に正式な名称は無い)
戦中、戦後の米配給はすべて玄米でした。その玄米を空きビンに入れ、棒で長い時間突くと、
米粒が互いにこすれあって、皮(ぬか)が取れ、白米になりました。
この仕事が、学校から帰ってきた子供たちの重要な仕事でした。
文化祭会場にいらっしゃった町民のおばさんは、この作業を、一晩中、行なったこともあるとのこと。
提供者:大黒 昭様
玄米提供:米穀店 越後屋様

アイヌのあつし(アッシ)
樹皮(オヒョウなどの木の内皮)でつくられた着物で「アットゥシ」ともいいます。
アイヌ独特の紋様は魔除けの意味があります。
提供者:小林益子様

電話
昔の電話は受話器をとると、すぐ電話局に繋がり、女性の交換手が「何番?」と聞くので、 そこで、かけたい相手の番号を言うと、交換手が相手の電話機に繋いでくれます。 明治9年(1876)アメリカ人グラハム・ベルが電話を発明以来、日本での開通の歴史は明治23年(1890)東京-横浜間、 明治33年(1900)小樽、そして大正14年(1925)ようやく高島も!(先の『電話加入者』を参照)
翌年の大正15年(1926)には、早くも東京にて日本で初めて自動交換方式が採用。
提供者:高台寺住職 長谷川洪徳様

手作りの真空管ラジオ
提供者は中学校で習ったことを思い出し、
花園町の八木電気(玉光堂の前身)から部品を購入、組み立てました。
このラジオは、真空管を5本使い、捕らえた電波の周波数を下げて増幅する
スーパーヘテロダイン方式で感度を上げていたので『5球スーパー』と呼ばれていました。
提供者:大黒 昭様

瀬戸物の一升瓶
明治から大正にかけて、ガラスビンが作られておらず、酒や醤油は、すべて樽詰でした。
それで、樽から升で量って、瀬戸物の一升瓶に、じょうごで移して購入したものでした。
画像の一升瓶は、明治時代のものです。
提供者:大黒 昭様

百万弁念珠
多くの皆が集まって、この大きな数珠を繰り廻しつつ、皆で念仏を唱え、
先亡追善、報恩感謝、疫病退散、無病息災等の祈祷をしました。
昔は、寒修行として家々を廻って祈祷しました。
提供者:正林寺住職 小泉裕道様
参考ページ

重ね洗い桶
お寺などでの大勢の会食の後、台所で洗い物をする桶です。
後始末の時、重ねておけるので、場所もとらず、重宝されました。
提供者:正林寺住職 小泉裕道様

獅子面
門柱2本の丈夫に飾り(取り付け)、四方に、にらみをきかせ、屋敷を守る神です。
画像左は正面、右は横向きです。
提供者:正林寺住職 小泉裕道様

橇(そり)
冬、荷を運ぶときに使用しました。
提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様

蚊帳(かや)
夜、就寝時に蚊を避けるために寝床をおおうように天井から吊りました。
北海道ではめずらしいものです。
提供者:画像左が小林順子様、右は斉藤正博様

行李(こうり)仕立てのボストンバッグ
皮をむいたコリヤナギの枝を編んで作ったもので、
一般的なものは「こうり、又は、やなぎこうり」と言い、直方体の入れ物で、
時期的に使用しない衣類などを入れて、押入れなどに保管しました。
それをボストンバッグに仕立てたものです。明治時代から製造されておりました。
提供者:中江耕作様

長紋付(子供用)
提供された小林様が小学生の時(昭和の初め)に着ていたものです。
子供用ですから紋付としてはめずらしく振袖になっています。
提供者:小林益子様

ハエ取り
丸テーブルの左側にあるビンが「ハエ取り」です。準備としてビンの中に水を入れておきます。 また、ビンの下にハエが寄りやすいように砂糖など甘いものを置きます。ハエがビンの下に入りこみ、 ビンの下が空いているので、やがて中に入りますが出口を見失い水の中に落ちてしまう、という設定です。 ビンの蓋がなかったので誰かがご愛嬌で電球を入れたようです。
丸テーブルの七厘コンロは購入後に手を加えて作ったものです。
提供者:会田幸男様

時計・長火鉢・鉄瓶など
長火鉢は天板をくりぬき、銅張りをして、灰を入れ、熾した炭を入れます。
五徳を置き、上に鉄瓶やヤカンを置いてお湯を沸かし、加湿の役目もします。
また、網を渡して餅を焼いたりもしました。
火鉢にはいくつか引き出しがあり、その中は乾燥しやすいので湿ってはいけない煙草、
マッチなどを入れておきました。
提供者:時計は羽多野鐵平様、その他は会田幸男様   

鏡台
提供者:中江耕作様

蓄音機
昭和24年、漁船員だった若干18歳の平野智春さんが『二万円』で購入した蓄音機です。
ちなみに当時の平野さんの月給は3千円(漁によってはもっと多い時もある)でした。
なお、その頃、レコードは1枚300円だったそうです。
単純に比較はできませんが、その頃の理髪料は25円、カレーライスは80円、
郵便料金では手紙は5円、葉書は2円でした。
提供者:平野智春様

↑蓄音機で実際にレコードを聴いてみました。
ペギー葉山:南国土佐を後にして 上映時間:15秒

二眼レフカメラ
昭和20年代から30年代にかけて発売され、カメラブームのきっかけとなりました。
6センチ幅のロールフィルムを挿入し、上と下のレンズは同じ焦点距離となる構造なので
上のレンズでピントを合わせ、下のレンズでフィルムに撮影します。
提供者:故 渡辺信孝様

小たんす
提供者:中江耕作様

二重マント・角巻・赤ケット
大正・昭和前期の北海道の冬の防寒着、左から二重マント(男性用)、
角巻(女性用)です。
画像の右は赤ケットです。い毛布、毛布は英語でブランケット
というところから生まれた言葉ですが、他にも色々な意味があるようです。
赤ケットの説明(その1) 赤ケットの説明(その2)
提供者:二重マント・角巻は南沢敬子様、赤ケットは長谷川洪徳様

刺し子
綿布を重ねて細かく刺し縫いをして作った着物です。
保温力もあり、丈夫なので仕事着のほか、
柔道着、剣道着、消防服などにも使用されました。
提供者:長谷川奈津様

昭和32年の高島町の地図 提供者:元菓子舗店主 和菓子職人 羽多野鐵平様
昭和32年(1957)の高島町(手宮の一部も含む)の地図です。
まだ鉄道線路があり、浜には造船所がたくさんあります。
(わかりやすいようにランドマークを書き加えました。・・・管理人)


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