「写真提供:(地独)北海道立総合研究機構。この写真の転載に関しては道総研へお問い合わせください。」 「資料提供:(地独)北海道立総合研究機構。文面の転載に関しては道総研の利用許諾を要することがあります。」 |
以下の説明は「北水試刊行:北水試 百年 こぼれ話 B高島水産調査所と高島ステーション」から引用させて頂きました。 HP掲載に当り、ご協力を頂きました関係各位の皆様へ感謝を申し上げます。誠にありがとうございました。 |
小樽市高島の弁天島で水産調査所により北海道における最古の沿岸定地水温観測が開始される。 (この時、その後の調査活動ができるような研究基盤が、この地に作られたと想像される。) 1897(明治30)年10月27日 庁礼第59号をもって高島水産調査所が設置される。 1901(明治34)年 後志国高島村に北海道水産試験場が設立される。 1910(明治43)年 高島水産調査所は北海道水産試験場と合併して、高島実験所と呼ばれるようになる。 1931(昭和6)年 北海道水産試験場は高島から余市町に移転する。 なお沿岸水温観測は、いわゆる「高島ステーション」と呼ばれる記録として、その後も引き継がれる。 1965(昭和40)年3月31日 弁天島における沿岸水温観測は幕を閉じる。 |
物置と小使室を備えた建物2棟を建て、北側には船澗を設け、南側には約130坪の養魚池が ありました。(写真@A) 1944(昭和19)年5月に室蘭分場有珠分室として移築されるため建物は解体されます。(写真B) |
@設置当時の水産調査所 | A水産調査所の敷地および建物平面図 |
![]() B1944年、建物解体後と考えられる弁天島の写真 ![]() |
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敷地から階段を下り、実験室を通って養魚池に出られるようになっており、養魚池は 弁天島の自然海岸を、そのまま取り囲んで作られていたことが分かります。 |
C実験室の土台部分 | D実験室から養魚池に通じる出入り口から内部の会談が見える |
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E高島漁港側からみた養魚池跡 | F沖側からみた養魚池跡 |
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詳細・・・クリック→子ども風土記『弁天島の住人』 |
・来館者様(小樽市高島出身)からの情報 小田呉服店前から小学校へ通った。 なつかしの弁天島へは、よく泳ぎに行った。 そしてその弁天島には同級生の小熊君が住んでいた。 HPを通して、”我がこころの故郷・高島”へ帰れた気がする。 情報提供:大正11年 高島生まれ 東京在住 本間芳男様 【貴重な情報をお寄せ下さいましてありがとうございました。】 |
・来館者様(小樽市高島出身)からの情報 この住人の方の息子さんの、小熊美佐男さんと高島小学校で、同級生でした。 何回か弁天島の自宅に遊びに行ったこともありました。 彼は、もう亡くなって、いませんが、そのうちに、彼との思い出など投稿したいと思っています。 情報提供:札幌在住・坂井肇様 【貴重な情報をお寄せ下さいましてありがとうございました。】 |
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舎の浜岸壁より撮影 |
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磯廻り船揚場より撮影 | フィッシャーマンズハーバーより撮影 | フィッシャーマンズハーバーより撮影 |
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平成15年10月23日 北海道新聞記事 |
鳥居 |
舎の浜より突き出した 岸壁より撮影 |
高島防波堤(北冷側)より 撮影 |
舎の浜より撮影 |
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高島祭り宵宮の日、夕刻撮影 |
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