「ネイティブ・アメリカンについて」

<はじめに>    

今回の「アメリカのマイノリティーについて」ということのあたり、私はネイティブ・アメリカンについて書くこととする。マイノリティーといっても多種多様で実のところ大変迷った。黒人(アフリカ系アメリカ人)問題や女性問題についても書こうかとも思ったが、敢えてネイティブ・アメリカンを選んだ。何故かといえば、「ネイティブ」だからだ。元来からそこに住んでいたコロンブスの「発見」以前からの先住民に注目したかったからだ。アイヌのことに興味があり、シャモ(和人)が彼らをどんどん圧迫していった歴史を知った。先住民の土地を「ふんだぐった」ことには、日本人と「俗に言う」アメリカ人と変わりはない。弱いものの、侵略「された」側の立場、先住民の立場をアメリカのケースにおいても知ってみたかった。これらが主なネイティブ・アメリカンを選んだ理由である。  

<本題>    

まず、ネイティブ・アメリカンの呼称についてであるが周知の通り「インディアン」の方が未だ馴染みのある言葉であるように思われる。言うもでないが、「一方的にやってきた」西洋人が勝手に彼らをインド人と思い込んで言い始めた呼称である。「ネイティブ・アメリカン」という呼称は、1960年代の黒人革命の時に立ち上がった「レッド・パワー」の影響できた言葉である。(猿谷、227p)更に、「ファースト・アメリカン」という呼称もこの時出来上がった。また一方では、誇りを持って「インディアン・アメリカン」と自称する人も出てきた。今では一般的に、「ネイティブ・アメリカン」と言われている。

次に漠然とネイティブ・アメリカンと言われている彼らは、どれほどの違いがあるのか見ていくこととする。 コロンブス以前のアメリカでは500余りの部族が存在していた。言語は、わけ方にもよるが、系統別に分けただけでも50余りあった。強いて、生活文化圏なるものを作ってみると、大きく8つに分けることができる。 五大湖からカナダにかけての森林狩猟文化圏。大西洋沿岸の北東文化圏。ミシシッピ川周辺の南東文化圏。ミシシッピより西でバッファローの多く住む平原農耕文化圏。ロッキー山脈東麓よりテキサスまでの高原狩猟文化圏。アリゾナを中心とした砂漠中心の南西荒野文化圏。ロッキー山脈西麓の北西荒野文化圏。太平洋岸沿いの北西太平洋文化圏。(猿谷、33p)以上のように土地に合わせて多種多様な生活が営まれていたことがわかる。

ここで彼らのたどってきた歴史を見ていきたいと思う。その為に私が読んだ本は『物語・アメリカの歴史』『アリステ・クックのアメリカ史(上)』『アメリカ 暴力の歴史』『ジョセフ酋長最後の戦い』などである。しかしながら、これらの本の引用をしたどころで、ただの羅列で紙面を使い切ってしまうことになる。よってかなり手荒だが、これらの本で共通して言っていること、伝えたいと思われることを、私なりに手短にまとめてみることとする。

当初、白人達はネイティブ・アメリカンに対してはかなり友好的だった。彼らはネイティブから、ここでの生きる術を学んだ。しかし徐々に移民も増え、力が増すに連れてネイティブ達を圧迫していった。彼らは「彼らのやり方」で、土地を奪っていく。酒で酔わせた上での土地取引、言葉が通じない間での取り引き。ネイティブの違う部族同士に利害関係を持たせ、お互いを戦わせる。ネイティブの生活の糧であるバッファローを殺して生きていけないようにする。更に、西海岸辺境を「フロンティア」と位置づけ、西へ侵略していった。神から与えられた使命としての「マニフェスト・デストニー(明白な天命)」を旗印に良心の呵責を払拭して、虐殺する。ネイティブの中には、平和的に解決していこうとシタモノモいた。が、追いつめられた結果として西部劇のステレオタイプのような、玉砕的な戦いを強いられていった……。

ざっとまとめるとこんな感じだろうか?私はそう読んだ。先述の本の中では各部族(チェロキー族、タコラ族、アッパチ族など)の悲劇が長々と書かれている。 現在のネイティブの様子はどうなっているのだろうか?授業中配布されたプリントによると、1990年の時点で人口は200万人を僅かに下回っている。2050年には460万人に達すると言われている。他の本で調べてみると(本多、212p)、1940年は33万人、1950年は35万人、1960年は52万人、1968年で66万人というから1960年以降、急激に増えていることがわかる。しかしいずれにせよ、アメリカ総人口の1パーセントたらずである。先住民でありながら、最も少数派であるということは、なんとも皮肉な現実である。

先述のプリントによると、西部のオクラホマ、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコなどの州にネイティブは多い。また彼らのおよそ38パーセントが「インディアン保留置(Indian reservation)」に住んでいる。最大の保留置はアリゾナ州、ニューメキシコ州、ユタ州にまたがるナバホ保留置である。保留置以外に住む62パーセントの多くは都市部に住む。 インディアン保留置の現状はどうなっているのだろうか?本多氏の『アメリカ合衆国』にはこのような記述がある「こうして保留置を車で旅すると、誰でも気づくことがある。緑の多い山や豊かな田園風景の中を走ってある地点から急に荒涼たる砂漠に入ったとしよう。地図を調べてみると「インディアン保留置」に入ったこことを示している。しかし突然オアシスのような肥沃な川縁に出たとしよう。それは保留置を抜けたこと意味している。」というから驚いてしまう。確認のため、実際行ってきた人に聞くと確かにそうらしい。しかし、その荒涼とした土地に「石油、水、ウラニウムの埋蔵資源ある」(P・ラディン、212p)そうで、またまた白人から追い払われてしまう可能性が出てきたというから、なんとも言えず、空しさを覚えてしまう。 アメリカでは「貧困ライン(poverty line)」というものがある。Imidas'96によれば「生計費、物価指数などを考慮して、ほぼ毎年、貧困ラインを設定している」という。貧困ライン以下の層は「人口の14・5パーセント」を占め、黒人の3割、白人の1割がそうである。

その一方、あるインディアン保留置(ローズ・バット保留置、1991年)では、「貧困ライン以下の家庭は50パーセントを越える。失業率は73パーセント、年間所得のみならず、就学率、住宅環境どれをとってもアメリカ平均を大きく下回る。逆に、事故死率、アルコール中毒者、自殺率は高い。」(阿部、20p)ここの事例が極めて希な、特殊な例とは、常識的に言って考えられない。実際、一年間アメリカに留学していた(コロラド州)友人に、ネイティブ・アメリカンのことを聞くと「かわいそう」と言っていた。 政府の対応としては、直接的にネイティブ・アメリカンのみ対象ではないが、「アファアーマティブ・アクション(affirmative action)」があげられる。和訳するとそのままだが「積極的な行動」となる。『'97現代用語の基礎知識』によれば「被差別集団が過去のおける差別の累積により他の集団と比べて著しく不平等な状態に置かれているような場合、格差の急速な是正のためのたられる積極的優遇処置」である。人種的少数派(racial minorities)や社会的少数派(social minorities)を政府機関や民間企業に対して一定割合の雇用を義務づけた割当制(quota system)が好例としてあげられる。その一方で白人男性は差別感を覚え反対派が多い。クリントン大統領は1995年度に「アファアーマティブ・アクションに終結されるべき時期がきたら終結させるべきだが、その時期はまだきてない」としている。 ネイティブ・アメリカンは「少数派の少数派」として、生活環境をはじめ、多くの面でまだまだ改善されるべきであると言えるのではないだろうか?社会的弱者として、アメリカの影の象徴的存在と言える。


<むすび   アメリカの見方について>  

今まで一年間、先生の講義では主にアメリカの影の部分を知ることができた。(と私は思っている。)幼いころより我々はアメリカという絶えず輝ける面ばかりを見てきた(見させられたと、反省せざるを得ない。自由と民主主義と正義、フロンティア精神、幌車、アメリカンドリーム、豊かな大量消費社会………。大半の人が絶賛するのであった。そして日本を「特殊な」「不思議な」国として、文化も言語もすべて一元化して片づけてってきたような気がしてならない。 歴史を見る際「イギリス系アメリカ人の書く〈アメリカ史〉とアメリカ先住民の書く〈アメリカ史〉とでは、すべてが逆になり、しかも両方がある意味で正しく、両者をプラスして2で割ったような〈中間的歴史〉の如きのものは存在しない。」(本多、285p)のであって、「滞在期間の長い人ほど、そのアメリカ間も「正確だ」と考えられる、ある種の「幻想」は決定的に否定できる。」(本多、286p)のもうなずける話である。

だから、歴史と同じようにイギリス系アメリカ人からのアメリカと、マイノリティーからのアメリカとではまるっきり違っているのは当然である。そしてこれもまた「中間的見方」などできるもでないと私は思う。 「先住民の土地をふんだくって、追払って、殺して、黒人奴隷にい酷使させた恐ろしい国」という言い方が「偏向している」と言われたとする。そうすれ「開拓精神に燃え、フロンティアを目指し幌車を進めた。徐々に豊かになり、世界に誇るべき民主主義が発達した」という言い方も裏を返せば「偏向している」のである。物事の両面を見る方法論としては、アメリカは実にいい例だと思う。 今まで私は「表」ばかり見てきた。これからは「裏」を「表」にしていきたい。まだまだ圧倒的に「表」を「表」として見ている人が多いから、私のような「偏向している」人がいても調度いいかもしれない(笑)。 ある本で(W・Eホロン、14p)で、精神分析の専門家は子供の個性や性格は生まれてから5年で出来上がるいう説をもとに、「今日私たちが経験している暴力社会の性格は、祖先のピューリタンによって決定されたことになる」と言っているが、アメリカの「主流」の属する著者だけに、大変説得力がある。 昨年の春、一ヶ月ほどベトナムを旅してきた、この戦争の傷痕の理由、超大国アメリカに勝利したベトナムを知りたくて、帰国後多くの本を読んだ。アメリカの好戦性はまったくもって、先述の言葉で整理がついてしまうのではないだろうか? そしてつい先日のイラクに対する報復爆撃、昨年夏のアフガニスタン、スーダンに対するミサイルも思い出してしまう。グローバル化という荒波が始まっているが、私は「反アメリカ観」(イコールマイノリイティーにとっての「素」のアメリカ観)と共に、アメリカを見ていきたいと思っている。


参考資料
本多勝一著  『アメリカ合州国』      朝日文庫
阿部珠理緒  『アメリカ先住民の精神世界』 NHKブックス
Pラディン著 『あるインディアンの自伝』  思索社
猿谷 要著  『物語 アメリカの歴史』   中公新書
Aクック著  『アリステア・クックのアメリカ史(上)』NHK            
W・Eホロン著『アメリカ・暴力の歴史』 人文書院       
 『imidas'96』        集英社        
『現代用語の基礎知識』    自由国民社

 

TOP>>

全ての写真及び文章の著作権は作者に帰属します。