チベット仏教の四大宗派について
≪はじめに チベット仏教とチベット密教の関係≫
密教は仏教の一要素であり、密教以外の仏教を顕教という。顕教は、さまざまな教 理を駆使し、理論研究では密教に比べて、圧倒的に蓄積があり、僧侶もまず顕教を学
ぶことからすべてが始まる。一方、密教は理論を実践に導くための修行法などの面で は、はるかに実践的、具体的である。密教とは「三次元的な幻想に彩られた人の意識
を、的確にかつ速やかに破壊して、一気に本質的覚醒の境涯にまで引き上げてブッタ と成す(=即身成仏)ことを目的とした、意識革命についての教え」(注1)であり
「その心身に対する変化は目もくらむようなスピード感を伴い、具体的、劇的な変容 を内包」(注2)している。
時系列的には、仏教が誕生したインドでは、顕教のあとに密教ができた。しかし、チ ベットではインドから両者がほぼ同時期に入ってきた。そのため、神秘性に富み、性
的な瑜珈(ヨーガ)を含む密教は人々に受け入れやすく、チベット仏教界は当初から 密教重視であった。戒律軽視に陥りやすい密教と堅固な理論の顕教を統合過程そのも
のがチベット仏教の歴史であるといえる。
≪ニンマ派≫
「ニンマ」は「古い」を意味する。呪術を中心とする比較的古いタイプの7、8世紀段 階のインド密教を伝承しているところからこう呼ばれている。仏教が伝来する以前の
チベットの信仰として、シャーマニズムに近いボン教がある。その中でたぐいまれな 霊力を発揮した人物にニンマ派の開祖となるパドサンバヴァがいた。パドサンバヴァ
以降、彼を支持する人々はインドから伝わった密教呪術とボン教を融合させ、ニンマ 派を形作った。
派としての統一性は薄く、もともと在家の密教行者を中心とし、体系性や組織性もい 政治権力に近づくことなく、逆に、他宗派から仏教以外の要素が多すぎると批判され
弾圧の対象になることが多かった。しかし、民衆の支持が強く現在まで続いている。 ロンチェンパによって体系化された奥義の「ゾクチェン(大究竟)」は、インド密
教、禅、道教、ボン教の要素が複雑に絡み合っている。またニンマ派には、隠された 教えを啓示によって発見する「埋蔵経典」がある。
≪カギュ派≫
「カギュ」は「(ブッタの)教えの伝統」を意味する。インド在家の密教行者ティ ローパを開祖とする。数多くの分派がある。後発のサキャ派やゲルク派と違って整然
とした教理体系の構築にはあまり関心を示さず、もっぱら密教行法の実践に専念し た。
チベットの統一的権力の不在が続いた当時、自立できる仏教教団が必要とされ、教団 は、政教両面の役割が求められた。各地方の有力な氏族は、氏寺として寺院を建し、
それを中心として統治した。氏族の男子を出家させ差配を委ね、後継者にはその男子 の兄弟が生んだ男子とする、「おじ甥相続」がなされた。この「おじ甥」相続による
氏族教団というシステムは、戒律を犯すことなく氏族の繁栄を得られ、血族から離脱 する出家が一族を世俗的に支えた。
この氏族教団の弊害を打破するための対抗手段として、高い地位に達した高僧はあえ て解脱せず、この世に何度でも生まれ変わって人々の救済にあたるという「転生活 仏」制度がカカギュ派の一派のカルマ・カギュ派から創設された。 このカルマ・カギュ派には、黒帽派と赤帽派の二派があり、特に黒帽派は大きく発展 し、現在ではカギュ派全体の最有力教団となっている。なお、ブータンではカギュ派 の一派であるドゥク派が国教である。
≪サキャ派≫
「サキャ」は「白い土地」を意味する。開祖のコンチョク(ケンチョク)・ギャルポ がサキャ寺を1074年に建立したところから始まる。サキャ派の継承は、他宗派の多く
が、転生活仏制度をとっているのに対して、血統第一で歴代コン氏の世襲で(現在 は、コン氏の別系統のンゴル派やコンカル派が相続)である。総師は妻を持ち、その
下に生涯童貞の出家信者をおき、総師の指導に従ういう形態がとられている。 インド からの密教を再統合し独自の見解を加味して、解脱を求めての修行の過程(道)それ
自体に、すでに悟り(道)が実現しているとする「道果説」を解く。
同派からは、不出の大学者サキャ・パンディタを輩出する。宗教者としてのみでなく 政治的能力にもたけ、当初チベット人を皆殺しにしようとしていたモンゴルの侵攻を
最小限に食い止め、モンゴル王室に親密な関係を作りだし、果ては、モンゴルにチ ベット密教を布教することに成功した。彼の甥にあたるパスパ(パクパ)は元朝皇帝
フビライの帝師となりモンゴルのパスパ文字を作る。元朝の力を背景にチベット全土 における政教両面の権力を掌握し、以後100年間にわたりサキャ派の全盛期を築き上
げる。それ以降、チベット仏教界は、モンゴルと如何に関係を強化するかに腐心する ことになる。
≪ゲルク派≫
「ゲルク」は「徳行」を意味する。出家信者が黄色い帽子をかぶることから「黄帽 派」とも呼ばれる。当時の性的瑜珈(ヨーガ)の実践によって戒律を無視し乱れてい
たチベット仏教界を一喝し、「宗教改革」を行うことに成功したのが開祖のツォンカ パである。ツォンカパは顕教を完全に修めた者だけが性的瑜珈(ヨーガ)を含む密教
の実践を許可するとした。(悟りを得て解脱をするには圧倒的に密教のほうが優れて いることには変わりない。)これによって常に問題となってきた顕教と密教、戒律と
性的瑜珈の問題を解決した。ゲルク派は全ての宗派の中で一番厳しい戒律を持ち、出 家信者は生涯独身である戒律を無視しがちな従来の宗派とは対照的であったために多
く支持を受けた。
カルマ・カギュ派に刺激され他宗派も次々と転生活仏制度を導入したが、対抗政策 上、ゲルク派も転生活仏制度を導入を決定した。1578年、モンゴルの王侯アルタン汗
の帰依を受けたソナム・ギャムツォは、アルタン汗より「ダライ・ラマ」(ダライ= 大海(蒙古語)/ラマ=上人(チベット語))の称号を得、「ダライ・ラマ制度」を
確 立。その後、強力な軍事力をもつアルタン汗の後援のもとライバルのカルマ・カギュ 派を圧倒することに成功する。のちに「パンチェン・ラマ制度」を確立。1642年、ダ
ライ・ラマ5世によるチベット統一が実現し、ゲルク派は政教両面を支配し名実とも にチベット仏教の第一の宗派になり、現在にいたっている。
注1・2 『チベット密教の本 死と再生を司る秘密の教え』(学研) 第二章
≪参考文献≫
『チベット密教』 ツムティム・ケサン/正木晃著 (ちくま新書)
『極限の高地 TIBET チベット世界』 松本栄一著 (小学館)
『旅行人ノート1 チベット 改訂版』 旅行人編集室著 (旅行人)
『チベット密教の本 死と再生を司る秘密の教え』 (学研)
『チベット仏教攷』 矢崎正見著 (大東出版社)