●★★★★★1970〜1979年代★★★★★★★★★★★★★★★★★★★●
1970年(昭和45)10/26
村山 実: 最優秀勝率投手(.824)・最優秀防御率投手(0.98)
1971年(昭和46)07/17 江夏 豊: オ−ルスタ−で 9打者連続奪三振の新記録
1972年(昭和47)10/25 金田正泰: 監督就任
11/01 村山 実: 現役引退発表・ 背番号「11」は永久欠番 (奪三振2271Top)
11/20 石本秀一:野球殿堂入42番目・広島 精神教育で指導広島カープ初代監督
【顕彰文】 大正初期、広島商業の投手として全国大会で活躍。同12年から母校の監督となり、卓抜した精神教育で選手を指導し、永らく同校に栄誉をもたらした。のちプロ野球界に入り阪神、金鯱、旧大洋、旧西鉄、太陽、広島の監督を歴任。また数球団のコーチをつとめた。多年に亘り球団の指導強化につくした功績は大きく、その門下から数多くの逸材が生れた。
1973年(昭和48)08/30 江夏 豊: 対中日
無安打無得点試合達成 (11イニング)
11回裏自ら決勝打・最多勝利(24)
1974年(昭和49) 掛布雅之:
ミスタータイガース・若トラ 高卒1年目で抜擢 1軍定着
本塁打王3回・打点王1回・最高出塁率2回
阪神の不動の4番サード
06/13 江夏 豊: 2000奪三振(2987) 10/14長嶋茂雄:引退セレモニー(後楽園)
10/25 吉田義男: 監督就任
11/25 藤本定義:野球殿堂入48番目・愛媛
29年間で6球団を指揮した名監督 阪神 2回優勝
【顕彰文】 松山商、早大の投手として活躍。又勝れた指導力で中等学校や実業団の強チームを育成した。昭和11年、巨人軍の監督となって同軍不動の地位を築き上げ、多くの俊英を育ててプロ野球隆盛に貢献した。戦後も太陽、金星、大映、阪急、阪神各球団を指揮 し、名実兼備の大監督とうたわれ、50年にわたって野球界につくした功績は誠に偉大
藤村富美男:野球殿堂入49番目・広島 猛打初代ミスタータイガース
【顕彰文】 昭和初期呉港中学投手として名声を博し、夏の甲子園大会で優勝。タイガース結成当初入団し、のち内野手に転じ、長年にわたり一貫して同チームの主軸として活躍した。その熱烈な闘志と強打巧守はファンの絶大な人気を博して、プロ野球の繁栄に大きな役割を果した。
野田誠三オ-ナ-:野球殿堂入50番目・兵庫甲子園球場設計工事責任者
【顕彰文】 阪神電鉄の社長、会長を歴任し実業界に多くの業績を残したが、長年にわたり野球 に特別の情熱を傾けた。大正12年、甲子園球場の建設に当って設計責任者となり、努力と研究を重ね、遂に日本最初の近代的大野球場の完成に成功。爾来全野球界に飛躍的な発展をもたらした。高校野球の育成にもつとめ、またタイガースのオーナーとしてプロ野球の振興に尽した。
1975年(昭和50)10/21 田淵幸一: 最多本塁打者(43)
1975年、ビクターから発売された 本塁打王を獲得した記念 LPレコード
「やったぜホームラン王! スーパースター22番/田淵幸一」
江夏
豊: 奪三振2224(2位) 安仁屋宗八: 優秀防御率投手(1.91)
1976年(昭和51)01/28 江夏 豊: 江夏・望月−江本・長谷川・池内・島野 交換トレードで退団
● 実働18年 登板829試合 勝利206 敗戦158 S193 SP210 完投154 完封45 投球回3196 奪三振2987 防御率2.49
09/00 古沢憲司: 9月間MVP ( 64年 阪神入団・78年西武へトレード79年〜85年)
● 実働19年 登板543試合 勝利87 敗戦115 S25 SP35 完投54 完封17 投球回1896.1 奪三振1181 防御率3.72
10/11 王貞治: 対阪神(後楽園)でベーブ・ルースを超える 715号本塁打
1977年(昭和52)02/02 森 茂雄:
野球殿堂入55番目・愛媛 1935年
初代阪神監督
早大監督になり10年間で9回優勝させる
【顕彰文】 松山商業、早稲田大学で強打の内野手とうたわれ、また大阪タイガース、イーグルスの初代監督として采配を揮った。
戦後10余年間早大の監督をつとめ、六大学リーグ
優勝9回の記録を樹立し、又多くの人材を育成した。その後、大洋球団社長、川崎球場
社長を歴任。なが年にわたって野球界に多くの業績を残した。
西村幸生: 野球殿堂入56番目・三重
在籍3年で55勝は凄い:44/4戦死
「(酒好き=主戦投手)酒仙投手」ではなく「初代巨人キラー」
【顕彰文】
関西大学野球部黄金時代のエースであり、東京六大学チームを連破し万丈の気を吐い
た。大阪タイガースに入団。主戦投手として年度優勝の立役者となり、特に沢村投手との対決では多くの名勝負を生んで当時の野球ファンを魅了した。わずか3年間のプロ野球生活であったが、大きな業績と共に強い印象をのこした。
04/29 佐野仙好: 川崎球場のフェンスに激突して瀕死の重症
07/16
掛布雅之: 本塁打が対ヤクルトでチ−ムの 23試合(6/16以来)連続本塁打
後藤次男: 監督就任
09/03 王 貞治: 対ヤクルト(後楽園)でハンク・アーロンを超える 756号本塁打
09/05 王
貞治: 国民栄誉賞第1号
に選ばれた
1978年(昭和53)01/24 松本謙次郎:
野球殿堂入57番目・福井
三代目(兼任)・五代目監督
06/06 35年 大阪タイガ−スと契約 初代タイガース主将・猛打で沢村と対決
37〜38主将〜41監督49現役復帰〜51現役引退52〜54監督 退団
【顕彰文】 敦賀商業から明治大学に進み、不断の練習と不屈の闘志で六大学リーグ屈指の強打者となった。大連実業団を経て昭和11年大阪タイガースの結成に参加。主将、一塁手、先頭打者としてチームの主動力となり「打倒沢村」の宿願を果して、昭和12、13年度の黄金時代を築いた。戦後には阪神、大映、東映等の監督を歴任。親分肌の人柄と卓越
した指導力は選手の信望を集め、多くの俊英を育てて球界に貢献した。
06/05 田淵幸一: 300号本塁打(320)・腰痛で最後に本塁打王を逃す
シーズンオフにブレイザー監督の意向で放出トレードされた
79〜84年 西武ライオンズ
● 実動16年 試合出場1739 打数5881 安打1532 本塁打474 打点1135 盗塁18 盗塁死24 犠打0 犠飛43 打率.260
07/16 藤田 平: 208打席無三振でプロ野球新記録
(97年 イチローが破る)
●
実働19年 出場2010試合 打数7217 安打2064 本塁打207 打点802 盗塁85 犠打44 三振679 打率.286
08/31
掛布雅之: 4 打数連続本塁打
11/01 ドン・ブレイザ−: 監督〜80年5/15退団 ヒルトン解雇で小津社長衝突
1979年(昭和54) 真弓明信: 田淵・古沢−真弓・竹之内・若菜・竹田 交換トレード
藤田腰痛穴埋 通算292本塁打とクリーンアップも打てる
史上最強の1番打者・首位打者1回
05/20 阪神タイガースに移籍の後、サイクル安打達成(チ-ム 4人目)対中日
10/25 掛布雅之: 本塁打王(48) ベストナイン Diamondグラブ賞
4月MVP
小林
繁: コミッショナー裁定により江川−小林トレードで阪神移籍
最優秀・最多勝利投手(22)・沢村賞・ベストナイン・ 6月MVP
● 実働6年 出場614試合 打数2208 安打743 本塁打202 打点486 盗塁5 犠飛20 三振337 打率.337
●★★★★1980〜1989年代に続く★★★★★★★★●
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