御堂筋 界隈の街・建物 (4−追加) 撮影:Y.ASAI 06:04:13〜18 Panasonic DMC-FZ30 制作:07:01:22 Menuに戻る Page1|2|3|4--追記 四季の工芸菓子 「宗家 源 吉兆庵」 の紹介 御堂筋街路のショウウインドウのスナップ写真 ”大阪経済の大動脈「御堂筋」に面した大阪御堂筋店。中央公会堂や適塾などレトロな建物を残しながら、緑と近代的なビルがほどよく調和したこの地で、ゆったりと落ち着いた雰囲気の店舗を構えております。四季折々の和菓子のほか、お茶や米菓も取り揃え、工芸菓子や季節の和菓子を使った演出で、皆様のお越しをお待ちいたしております。”(引用:「源吉兆庵」のHPのCM口上書き) 大阪御堂筋店 大阪市中央区平野町4丁目2-16 不動ビル1F TEL 06-6228-6644 (御堂筋▲平野町4) 浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院 北御堂 本堂 撮影:06/04/13 / 13:23:24 浄土真宗本願寺派 大阪教区教務所 山門 境内 〒541-0053 大阪市中央区本町4-1-3 諡号:見真大師 親鸞聖人像 北側 おくりな:慧燈大師 蓮如上人 像 南側 京阪電車 淀屋橋駅−モニュメント 「来去任西東」 制作:辻 晉堂 1963年 (御堂筋・地下街▲土佐堀) 略歴・・・・・・辻 晉堂(1910-1981):現代彫刻の異才である。 1910(明治43) 烏取県日野郡溝口町の生まれ。大工に弟子入りし彫刻の才能を発揮 1933(昭和8) 第20回日本美術院展に「千家元麿氏像」が初入選。彫刻家としての第一歩を踏み出だす。以後院展に出品。写実的な木彫の作品を多数制作。禅の思想にひかれて僧籍に入り、晉堂と号す。 1938(昭和13) 得度、翌年(39)晉堂の名で出品した「婦人像」で日本美術院賞を受賞。 1949(昭和24) 京都市立美術専門学校(現・京都市立美術大学)の教授。具象・抽象の写実的な作風から枠組みを越えた抽象的・精神的な作品を制作するようになり、晩年は「陶彫」という土を焼く独自の具象的な「陶彫」の世界を拓いた。 1957昭和32) サンパウロ・ビエンナーレ展、翌年ベニス・ビエンナーレ展に出品、東洋的な作品として高く評価される。 1976(昭和51) 京都芸大を退職し名誉教授、77年京都市文化功労者に推された。 1981(昭和56) 70歳で死去。主要作品:『寒山』『拾得』他『下田光造氏像』『佐々木惣一氏像』等がある。伯耆町立二部小学校校門正面の『拓士の像』(1941年制作:鍬を手にした裸身の二人の若者、まなこをあげて彼方を凝視する)は故郷への記念碑的作品。 ● 梅 田 芸 術 劇 場 メインホール (旧・梅田コマ劇場) 06-6377-3800 〒530-0013 大阪市北区茶屋町19-1 ’おもろい女’の入場券 梅田芸術劇場 2006年 4月18日 (火) 1:00 PM 開演 阪急電車 梅田駅下車 茶屋町口北へ徒歩5分 梅田芸術劇場メインホール前 記念碑 茶屋町は、「菜の花や月は東に日は西に」 と詠んだ与謝蕪村など、古来文化人から愛された 撮影:06/04/18 / 16:25:06 梅田芸術劇場 表玄関 メインホール シアタ−・ドラマシティ− 瀬木 慎一:美術評論家。1928年(昭和3〜)東京 生まれ。中央大学法学部卒、1950年頃から美術 評論、著述、西洋美術を紹介するなど活躍。 特に海外でも美術社会学の研究が有名。総合 美術研究 所所長・国際美術評論家連盟会長・ ジャポニズム学会常任理事・国際浮世絵学会 理事等歴任。テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」 の鑑定士にも出演している。(出典: Wikipedia 抜粋) ● MBS 毎日放送 本社 大阪市北区茶屋町17番1 TEL 06-6359-1123 撮影:06/04/18 / 16:30:56 綱敷天神社 御旅所 ◆ 本殿: 菅原道眞公・文道太祖(梅塚天神) 学問の神様 縁結びの氏神さま 大阪の中心部、梅田茶屋町に御鎮座する 北区神山町に御鎮座される綱敷天神社御本社 の神様が夏のお祭りの際に、地元梅田の町が平 穏であるかどうかご覧になられ、その時お休みに なられる為のお社が「御旅所」で、神様の別荘の 様なもの ◆ 極狭い境内: 玉姫稲荷神社 s 茶屋で働く女性の守り神さまとして崇敬を あつめていた神社 大阪市北区茶屋町12-5 撮影:06/04/18 / 16:45:16 ◆ 他に、歯神社 (北区角田町2-8) が在る ◆ 綱敷天神社 御本社 (北区神山町9-11) [参考]「梅田」の名の由来:京都より太宰府までの左遷 の時、この地で今を盛りと咲いていた紅梅をご覧になり 感嘆したが、この紅梅を後世に「梅塚」と呼んだ。 (新御堂筋←) 梅田茶屋町 界隈(→阪急電車高架街) 撮影:06/04/18 / 16:35:58 褒かわいい水族館@ 阪急三番街の案内看板 め 阪急三番街 地下街 かわいい水族館 水槽 撮影:06/04/18 / 17:58:42 大阪駅 ▲ 国道176号線 北から南へ(梅田)〜御堂筋へ 新阪急ホテル前から撮影:06/04/18 / 18:05:02
御堂筋 界隈の街・建物 (4−追加) 撮影:Y.ASAI 06:04:13〜18 Panasonic DMC-FZ30 制作:07:01:22 Menuに戻る Page1|2|3|4--追記
四季の工芸菓子 「宗家 源 吉兆庵」 の紹介 御堂筋街路のショウウインドウのスナップ写真 ”大阪経済の大動脈「御堂筋」に面した大阪御堂筋店。中央公会堂や適塾などレトロな建物を残しながら、緑と近代的なビルがほどよく調和したこの地で、ゆったりと落ち着いた雰囲気の店舗を構えております。四季折々の和菓子のほか、お茶や米菓も取り揃え、工芸菓子や季節の和菓子を使った演出で、皆様のお越しをお待ちいたしております。”(引用:「源吉兆庵」のHPのCM口上書き) 大阪御堂筋店 大阪市中央区平野町4丁目2-16 不動ビル1F TEL 06-6228-6644 (御堂筋▲平野町4)
諡号:見真大師 親鸞聖人像 北側
おくりな:慧燈大師 蓮如上人 像 南側
略歴・・・・・・辻 晉堂(1910-1981):現代彫刻の異才である。 1910(明治43) 烏取県日野郡溝口町の生まれ。大工に弟子入りし彫刻の才能を発揮 1933(昭和8) 第20回日本美術院展に「千家元麿氏像」が初入選。彫刻家としての第一歩を踏み出だす。以後院展に出品。写実的な木彫の作品を多数制作。禅の思想にひかれて僧籍に入り、晉堂と号す。 1938(昭和13) 得度、翌年(39)晉堂の名で出品した「婦人像」で日本美術院賞を受賞。 1949(昭和24) 京都市立美術専門学校(現・京都市立美術大学)の教授。具象・抽象の写実的な作風から枠組みを越えた抽象的・精神的な作品を制作するようになり、晩年は「陶彫」という土を焼く独自の具象的な「陶彫」の世界を拓いた。 1957昭和32) サンパウロ・ビエンナーレ展、翌年ベニス・ビエンナーレ展に出品、東洋的な作品として高く評価される。 1976(昭和51) 京都芸大を退職し名誉教授、77年京都市文化功労者に推された。 1981(昭和56) 70歳で死去。主要作品:『寒山』『拾得』他『下田光造氏像』『佐々木惣一氏像』等がある。伯耆町立二部小学校校門正面の『拓士の像』(1941年制作:鍬を手にした裸身の二人の若者、まなこをあげて彼方を凝視する)は故郷への記念碑的作品。
梅田芸術劇場メインホール前 記念碑 茶屋町は、「菜の花や月は東に日は西に」 と詠んだ与謝蕪村など、古来文化人から愛された 撮影:06/04/18 / 16:25:06
梅田芸術劇場 表玄関 メインホール シアタ−・ドラマシティ−
綱敷天神社 御旅所 ◆ 本殿: 菅原道眞公・文道太祖(梅塚天神) 学問の神様 縁結びの氏神さま 大阪の中心部、梅田茶屋町に御鎮座する 北区神山町に御鎮座される綱敷天神社御本社 の神様が夏のお祭りの際に、地元梅田の町が平 穏であるかどうかご覧になられ、その時お休みに なられる為のお社が「御旅所」で、神様の別荘の 様なもの ◆ 極狭い境内: 玉姫稲荷神社 s 茶屋で働く女性の守り神さまとして崇敬を あつめていた神社 大阪市北区茶屋町12-5 撮影:06/04/18 / 16:45:16 ◆ 他に、歯神社 (北区角田町2-8) が在る ◆ 綱敷天神社 御本社 (北区神山町9-11) [参考]「梅田」の名の由来:京都より太宰府までの左遷 の時、この地で今を盛りと咲いていた紅梅をご覧になり 感嘆したが、この紅梅を後世に「梅塚」と呼んだ。
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