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◎2月23日(水)晴 (9日目)
 タイズ→アデン泊

●日の出待つ
 5階レストランのベランダに出てみました。町明かりの中で2本ミナレットのアル・アシャラフィヤ・モスクが日の出を待っています。徐々に明るさを増す旧市街。上空に青空が広がり始めた6:40、山の端から朝日が顔をのぞかせました。
 すでに赤みを失った朝日は、モスクや町並みの白壁をちょっぴり光らせただけ。日の出は取り囲む岩山に邪魔されました。

●朝の通り
 8:00、ホテルの前を活動を始めた人々が行き交っています。茶色のひょうたんを10個ばかりぶら下げて来たのはラクダのミルク売り。ドライバーの1人が買って一気飲みしました。箒(ほうき)を肩から下げて売り歩く男性や一輪車を押しながらやってくるおじさん。
 カメラを向けると、世話好きの男たちが箒売りなどにポーズをとらせて「撮れ、撮れ」とお節介を焼きます。朝の通りには庶民の素顔があふれています。

●2部制授業
 髪をきちんと結った女の子がザックを背負って登校中。聡明な感じの女児は写真OKでした。イエメン国内の大半の学校は2部制。1部は8:30から4時間、2部は15:30から4時間の授業。暑い昼間は勉強にも身が入らないためというのが主な理由です。
 観光中にまとわりつく子供たち。「学校へ行っていない」と思っていたのは、当方の勝手な憶測でした。やんちゃ坊たち、ごめんなさい。昨年訪れた中国の新彊ウイグル自治区などの学校も同じように昼休みをとっていたのを思い出しました。

●6・3・3制
 教育制度は6・3・3制。6歳で就学し12年間は義務教育。小学校の就学率は80%、中・高校になると60%に減り、大学への進学率は20%ほど。女性の結婚適齢期が17歳前後なので、結婚後も通学できます。
 地方では海外で富を得た人が古里に校舎を寄付するそうで、イエメンの成金は篤志家が多いです。

●ヘンナで茶髪
 8:35、スタート。今日は5号車。ドライバーはヘンナで頭髪を染めた茶髪のおじさん。ヘンナはミソハギ科の低木。その葉をすりつぶすと染料になり、女性たちは手足に入れ墨のように絵を描いたり、髪を染めたりします。
 茶髪は涼しいらしく、あちこちで見かけました。中には髭や胸毛まで染めている男もいます。ヘンナを愛用するのはイエメンに限ったことではなく、インドやパキスタン、中東の国々にも浸透し、最近は化粧品も開発されているそうです。

●ゴミ街道
 珍しいことに上空を雲が覆っています。沿道で羊を追い、農作業をする女性がかぶる帽子はつばが特大。シバーム近郊で見たとんがり帽子とは対照的にぺちゃんこ帽子です。眺める岩山は先を尖らせて荒々しい様相。
 イエメンの恥部をさらす沿道は、さながらゴミ街道の光景です。沿道といわず、スークの周辺といわず、いたるところにビニール袋やペットボトルが散乱し、ここでもビニール袋の花を咲かせています。

●ポイ捨て
 現地の人は昔からゴミのポイ捨てを習慣にしてきました。以前は土に還ったり、山羊や牛がえさにできるものばかりだったので、ゴミの山が増えることはありませんでした。しかし、ビニール袋やペットボトルが主流になった今は違います。 
 それでも人々の習慣は改まりません。ジャンビーアの男性は飲み干したボトルや買い物袋を、お気に召すまま所かまわずにポイポイ捨てます。ゴミの山は増えるばかり。しかし、「恥部」とはこちらが思うことで、現地の人にそのような意識は毛頭なさそうです。

●清掃作業
 サナアやアデンなど都会では清掃車が走り、清掃作業員が美化に励んでいます。ですからメイン通りやその周辺はきれいです。
 その都市部でも中心部をはずれると、箒を持ったおじさんたちは日陰でぼんやり。住民に清掃意識を浸透させるのは容易ではないと思われます。


●南北の国境
 ゴミをあさる羊の群れやカラスの集団に顔をしかめ、頭上に大きな袋を乗せて歩くカラフル衣装の女性たちに目を奪われていたら、予告のない場所で車列が止まりました。
 北イエメンと南イエメンの国境線だったところ。1990年の統一以前はフェンスがありましたが、現在は岩山の上に当時の監視所がおんぼろになって残っているだけです。

●ホエミ村
 車はその先から脇道の未舗装道路に入り、茂みに散って青空トイレ。女性の中には初体験もいましたが、すっかり慣れたようで「快適です」と笑っています。時間をもてあましたドライバーがジャンビーアダンス。いっときのくつろぎを得て、さらに先へ進みます。
 この辺りはホエミ村。少し入ったところにタイズの人が利用する温泉がありました。男性用は露天風呂で、女性用は屋内に浴槽があります。

●温泉で癒し
 男性の方は浴槽が2つあり、蛇口付近が70度と40度でした。10:00前なのに15、6人が浸かっています。大方は40度の方ですが、熱好きもいるようで熱湯に浸かる元気者も。
 ドライバーたちも足をつけたり、湯船に浸かったりして、しばしの癒しを満喫していました。もちろん有料。近くの丘の上に源泉があり、各所からちょろちょろと熱湯が流れ出しています。

●ハンマーム
 イエメンの人も温泉好き?。家庭風呂がないイエメンでは昔から公衆浴場が発達しています。タオルや桶を手にやって来る家族連れは銭湯気分なのでしょう。町のあちこちでモスクの周辺にハンマームと呼ぶ公衆浴場を見かけました。
 冷えた体を温めて、それから礼拝をという男性が多いので、夜明け前の礼拝どきはとくに賑わうそうです。半地下の浴室はスチーム風呂。話題に花を咲かせながら温まるハンマームは庶民の社交場なのです。  

●ゴミ場も遊び場
 ここでも子供たちが寄ってきます。女児はカラフルな衣装が多く、中にはブルーの目の子もいます。「シューラ」、「カルム」は当たり前。堂々と「アルム」を叫ぶ女児。「お金下さい」と要求しているのです。
 子供たちにはゴミの山も遊び場のよう。散乱するゴミ捨て場を平気で走り回っています。女児の1人はゴミの中に咲いていたハマナスのような花を摘んで得意げでした。

●抜きつ抜かれつ
 10:40、舗装道路に戻った車列は、待ってましたとばかりに100km以上のスピードで猛進。フロントに小雨がぱらぱらときましたが、すぐに止んで快晴が戻りました。速度規制がない荒野の中の1本道。行き交う車は滅多にありません。
 遠慮は無用のドライバーたち。6号車や7号車が追い抜くと、「お前たちは後だ」とすかさず抜き返す茶髪ドライバー。一時は車が悲鳴を上げそうな140kmのぶっ飛ばし。号車番号通りの車列でなければ気に入らない茶髪おじさんは几帳面な男です。

●干潟に野鳥
 11:00、アデンの検問所を通過。「パスポートが必要かも」といわれましたが、すんなり通過できました。アデンの町に入るとコンクリートブロックや焼き煉瓦を積み上げた近代的な建物ばかりです。あちこちで高層の建物が新築中。ドライバーは「アパートだ」といいました。
 大きな橋を渡って昼食のレストラン「アルジャミーラ」へ。干潟ではフラミンゴやペリカン、小型の野鳥がえさをついばんでいました。

●健啖ぶり
 昼食は野菜サラダ、海老の唐揚げ、ピラフなど。海老の唐揚げは美味しくて追加したいほど。
 隣の席ではドライバーたちが食事。大きなチキン、大盛りのピラフを平らげて、旺盛な食欲ぶりを発揮していました。

●アデン
 食後はアデンの名所巡り。アデンは国内NO1の港湾都市です。古代の火山活動で流れた溶岩は町に2つの半島をつくりました。半島に抱かれるように囲まれた港は天然の良港として発展し、10世紀頃にはシバ王国のマリーブに匹敵するほどの勢力を持ったそうです。
 東側の岬はアデン、西側はリトル・アデンと呼ばれ、町の経済はリトル・アデンにある大規模な製油所と港湾関連の業務が支えています。人口は70万人でイエメン第2の都市。現在はサナアが政治的な首都であるのに対し、アデンは経済的な首都として重要な役割を担っています。

●南イエメン
 町の歴史は古く、紀元前7世紀に遡ります。海のシルクロード時代の4世紀ごろには東西貿易の最大拠点になりましたが、その後、エジプトなどに侵攻され、1837年にはイギリスの支配下に。
 1967年にイギリスが撤退すると、代わって介入してきたのが旧ソ連。アラブ初の社会主義国家「イエメン人民民主共和国」(南イエメン)が誕生し、南北統一までその首都でした。

●ランボー・ハウス
 13:00、見どころのひとつ、ランボー・ハウスへ。フランスの放浪詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)が一時期、働きながら愛人と住んでいた建物です。当時バルディー商会だった3階建ては、1993年に改装されてホテルやレストランになっています。
 玄関を入った正面の壁にランボーの肖像画など、わずかな資料が展示されていました。彼が暮らしていた106号室はいつも予約がいっぱいという話です。

●早熟の天才詩人
 ランボーが作詩に励んだのは15歳から19歳まで。「早熟の天才詩人」などともてはやされました。その後はパリやブリュッセル、ロンドンなどで生活、21歳のときに詩を捨ててアフリカ、アラビア半島を放浪し、貿易の仕事などに従事しました。しかし、36歳の時に骨肉腫のために右足を切断し、ガンが全身に転移して他界。
 代表的な詩とし「蒼き夏の夜や 麦の香りに酔ひ野草をふみて 小みちを行かば…」の「そぞろあるき」があります。ハウスには若くしてフランス文学史に名をとどめたランボーを慕う文学好きが各国から訪れます。

●温度計は40度
 「アデンは暑い」と聞いていた通り、街路の温度計は40度、湿度48%を表示。でも、浜風のおかげでそれほど暑く感じません。
 次に訪れたのは1448年に創建されたアイダルース・モスク。巡礼をしながらイスラム教スンニ派の教えを広めたアデン出身の聖人、シェリフ・アブゥドラー・イブン・アイダルースの霊廟があります。

●アイダルース・モスク 
 モスクに入ると、アイダルース一族の棺が黒色や緑色の布で覆われて並んでいました。聖人の棺は緑色の布に包まれ、飾りが付いています。シャミさんが布をまくって棺の中を見せてくれました。
 遺体は地下に納められているので、もちろん見ることはできませんが、棺をのぞかせるというおおらかさにはびっくりです。廟といえば、写真撮影さえ許さないのが当たり前。しかし、そばにいた管理人はにやにや笑っているだけでした。  

●アデン・タンク
 次に向かったのは郊外に残るアデン・タンク。季節の花が盛りの公園を入って、奥へ進むとコンクリートの貯水槽が現れました。山の斜面にいくつもの貯水槽が連なっており、小さなトンネルを通じて下方へ水が流れ落ちる仕組みになっています。タンクは1854年に堆積物に埋まっているのを偶然に発見され、その後、英国などの技術協力で修復しました。
 紀元前1世紀に造られたという18の貯水槽は、シバの女王の水瓶といわれ、、4500万dを蓄えられます。3重の濾過装置があって、よくぞこれほど大がかりなものをと、驚かずにはいられません。

●午後の閑散
 30分ほど斜面を上り下り。でも、あまり汗が出ません。今日は湿度が低いのでラッキーです。観光はまだ続きます。次は火山のクレーター地区にある旧市街のスークです。屋内の市場は午前中で大半を売り尽くして閑散としていました。
 マンゴーやバナナを並べたお兄さん、野菜の箱に囲まれたおじさんは「写真を撮れ」といってポーズをする余裕も。みんなカートを噛みながらのんびりしたものです。 

●カート市
 反対に活気を見せていたのは、屋外のカート市。南イエメンの人はカートにこだわらないと聞き、これまでは確かに噛む人は少数でした。ところが、ここは違いました。新鮮なカートを求める男たちでむんむんする熱気です。
 カートの束は湿り気を保つために布に包んであります。客たちは布の中の葉を品定めして買うのですが、どの目も真剣勝負に挑む厳しさです。1束1700リアル(10j前後)という高級品を掲げて見せる店の主もいました。

●アデン湾
 熱気にさらされた後は涼風を、というわけでアデン湾を高みの見物。小島が浮かぶ湾の長さは約900km、湾口の幅は約400kmあって、イエメンのほか、ジブチ、ソマリアなどの諸国が湾に面しています。
 このアデン湾を通り、バベルマンデブ海峡、紅海、スエズ運河へと続く航路がインド洋と地中海とを結んでいます。アデンは国際貿易港として、あるいは航行船舶の給油、中継地として、重要な役割を果たしています。

●アデン港
 アデン港へ。近年まで上屋から岩壁に出る場合、パスポートの提示が必要でした。今日は一行の名簿提出だけでOK。「軍事施設には絶対にカメラを向けないように」と厳しく言い渡されて旧港の岩壁に出ました。沖合に大きな船が停泊し、水先案内船が行き交っています。その背後に光るのは新港の石油タンク群。 
 1994年の内戦後、自由貿易港として再開発されたアデン新港は、1999年にコンテナターミナルや工業倉庫地域が新設されるなど充実の一途を歩んでいます。  
●発展の拠点
 石油開発で後れをとったイエメンですが、1984年に油田が発見され、現在ではマーリブ、シャブア、マシーラなどの油田で採掘が行われています。生産量は50万バレルを超えるまでに。天然ガスの開発も急ピッチで進んでおり、サユーンにかけての地域は建設ラッシュにわいています。
 第2のドバイを目指すアデン港は経済発展の拠点としてますます重要度を高めることでしょう。

●翻る国旗
 港の停泊船にはためく国旗は赤、白、黒の3色旗。南・北イエメンが統合して新しい国ができた1990年に制定されました。
 旧北イエメンの国旗から中央にあった緑の星を外したデザインで、赤色は独立のための革命を、白色は革命の目的である平和と希望を、黒色は植民地時代の圧政からの解放を表しています。

●政府要人
 これでアデンの駆け足観光は終わり。15:30、海岸のそばに建つホテル「シェラトン・ゴールド・モハル」にチェックイン。海側の部屋は政府の要人が泊まるというのでバツ。全員が見晴らしの良くない反対側でした。
 部屋は狭く、湯の出が最悪。部屋に給湯用のスイッチがあり、それを押してしばらくしたら湯が出るはずですが、いくら待ってもぬるい湯がちょろちょろ。

●寒いシェラトン
 仕方なしにシャワーを浴びたらブルブルッときました。湿っぽい部屋なのにセントラルのクーラーが効いているのか、寒さが身に応えます。薄い扉で仕切られた隣室からは話し声がもろに聞こえて「これがシェラトンか」といぶかるような設備です。
 苦情が出たらしく、後で毛布を1枚ずつ入れてくれることになりました。18:00、廊下から眺めた夕日は、海岸を少しだけピンクに染めて落日。 

●中華もどき
 夕食はホテル近くの中華レストランで。卵スープは良しとして、八宝菜風や肉の炒め物などは香辛料が強すぎて、私にはどれも不合格の味。
 イエメン料理も飽きただろうという、旅行会社の配慮には感謝しますが、大半はパスでした。アデンもビールが飲めます。統一前にはビール工場もあったそうです。

●流れ星ホテル
 食事中の話題はもっぱら「寒い部屋」。ぬるいシャワーを浴びた後、バスタオルを体に巻き、ドライヤーを吹き付けて暖をとったという女性の話はおかしいのですが、笑えませんでした。
 「ぴんきりシェラトンのキリだね」、「これでは4つ星でなく、流れ星ホテルだね」。全員うなずいてお開きになりました。


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