| ページ: | TOP | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 12 |
(赤字をクリックすると関連のページが開きます)
◎2月25日(木)晴 (11日目) サナア→ワディ・ダハール→シバーム→コーカバン→スーラ→サナア泊 ●古武士の風格 今朝もアザーンの大波、小波が寄せています。6:30、日が昇って期待通りのイエメン・ブルーが広がりました。観光最終日の今日はサナア近郊のワディ・ダハールとその周辺を巡ります。8:30、出発。8号車にY・Iさんと同乗。ハンドルを託すのは古武士の風格を持つ最年長ドライバーです。ホテル近くの公園でジャカランダが紫色の花を枝いっぱいに咲かせていました。 ![]() ●アル・カビール村 郊外に出ると、すぐに岩山が迫り、30分後にワディ・ダハールのアル・カビール村に到着。サナアから15kmほどの集落は絶壁の岩肌にへばりついていました。 建物はサナアほどの高層ぞろいではありませんが、1、2階に石材を使い、 3階以上は日干し煉瓦という同じ建て方。漆喰装飾をふんだんに使った7、8階建てもこれ見よがしに建っています。●監視塔も 日干し煉瓦の円筒の上に家が建つ奇妙な建造物がありました。昔の監視塔という説明です。モスクの近くにはハンマーム(公衆浴場)の白いドームがあり、見上げる岩山の頂上にはかつての見張り台が残っていました。 わいわい騒ぐ子供たちの輪をのぞいたら、男の子が巣から落ちたひな鳥を自慢そうに見せびらかしていました。 ●ワディ・ダハール 岩山に囲まれたワディ・ダハールは標高2400mの緑豊かな谷間。全長は100km、最大幅3kmに及びます。その谷間に巨大な岩壁を背にしたアル・カビール村やカート・スークで有名なスーク・アル・ワディ村などが点在しています。 その中でも有名なのが奇岩の天辺に建つロックパレス。アル・カビール村のはずれから、その姿を遠望できます。しかし、ここからは岩山と重なってしまい、写真で見るような姿ではありません。 ![]() ●シャミさん これまで長袖シャツにズボン姿で通してきたガイドのシャミさんが、ワンピースにジャンビーアのイエメン男に変身しました。50代と見受ける色の浅黒い大男。見かけは取っつきにくい感じですが、細かなことに気がつき、仕事も率先するので一行の信頼は日増しに高まりました。 食事時のお助けマンから買い物の案内まで、いやな顔を見せずにこなすので「シャミさん、シャミさん」と大もてです。日本語の上達も早く、質問にも気軽に答え てくれます。気が優しくて力持ちのシャミさんは、本当にナイスガイドです。●ロック・パレス アル・カビール村からロックパレスまでは至近距離。岩の天辺にサナアと同じ様式の建物が聳えていました。その姿は不安定な建築物の代表選手です。「地震がないから大丈夫」。シャミさんの説明に納得しながら位置を変えて見上げます。 高さ50mの岩上に建つのは18世紀に完成した宮殿。1930年代にこの地を治めたシーア派ザイド朝イマーム・ヤヒヤが夏の離宮として建設したもの。岩の宮殿、ロック・パレスとは上手いネーミングです。 ●不安定と安定感1棟だけに見えた岩上の建物は、実は幾棟もあり、その一部は岩を抱え込むように建てられています。眺める位置によって不安定にも見え、がっちりした建物にも見えます。岩の前に繁るバオバオの大木は樹齢750年だそうです。 今日は金曜日。イスラム教徒の安息日なので家族連れの観光客がたくさん訪れています。その人たちの後について宮殿の中へ。 ●外交用マフラジ宮殿は5階建てとも、7階建てともいわれます。棟が折り重なるように建てられているので、ちょっと眺めただけでは、どちらが本当なのかよくわかりません。ただ、1階は家畜用、2階は穀物貯蔵用に使われ、人が住むのは3階から上、という構造はサナアの住宅と同じです。 3階にカマリア窓がついたマフラジがあります。これは外交用。ワディ・ダハールの風景を楽しみながら、来客と水パイプを楽しんだのでしょう。 ●瞑想室も深さ60-70mの井戸や瞑想室、カマリア窓の部屋などを見ながら階段を上がります。最上階のマフラジは身内や友人の招待所。屋上は漆喰で真っ白に塗り固め、中央にイマーム(王)専用の椅子が設けられていました。 屋上から眺めるワディ・ダハールは絶景です。断崖にへばりつく集落、岩上に身を寄せ合う建物群、監視塔など様々な風景が一望できます。 ●多い観光客 岩の上に建てたのは外敵の侵入に備えた戦略的な意味からですが、絶景を眺めながらの暮らしは、さぞ快適だったろうと想像できます。宮殿を出て、岩場の下に戻ると観光客はさらに増えてお祭りのよう。ジャンビーアの男たちが次から次へと斜面を上り、宮殿へと消えていきます。 子供を連れた黒装束、覆面の女性も目立ちます。意外なのは「子供の写真を撮ってほしい」という母親が多いこと。着飾った我が子を記念に、というわけでしょうか。 ●ジャンビーア・ダンス ロック・パレスをイエメン・ブルーのもとで見られたのは嬉しいです。車が次に向かったのはロック・パレスを見下ろす高台。広い台地はあちこちに人の輪ができ、男性たちでごった返していました。わずかながら黒装束の女性の姿も見かけます。輪の中では結婚を祝福するジャンビーア・ダンスが繰り広げられているのです。 金曜日は礼拝の聖なる日というわけで結婚式が多い日。親族や友人たちは広場に集まり、 新郎に祝福のダンスを贈ります。 ●光る短剣 1つの輪をのぞいてみました。何重にもなった人垣で中の様子がわかりません。近くのトラックの荷台に上がってみたのですがダメ。勇気を出して人垣を分け入ると、「どうぞ、どうぞ」と快く輪の最前列に潜り込ませてくれました。 太鼓のリズムに乗って自慢の短剣を振り回す数人の踊り手。金モールの飾りをつけた新郎が祝福を受けています。青空に光 るジャンビーアはやはりイエメン男の象徴でした。●晴れやか 同じような人垣があっちでもこっちでも。ときどき鳴る空砲はこれも祝福。太鼓が響き、歓声が沸き起こります。太鼓のリズムやダンスのステップは部族によって違いがあると聞きました。 晴れの日なので小さな子供たちもジャンビーアを差して得意顔。女の子たちは屋台の買い物が楽しそう。台地は晴れやかさに包まれていました。この後、男たちは2次会で大騒ぎし、女性は別にパーティをします。 ●結婚事情 ところで、イスラム教徒の男性は一夫多妻が認められていますが、最近は複数の妻を持つ男性が少ないそうです。シャミさんは愛妻1人だけ。「お金がかかるし、気を遣うので…」と言いました。 こんな時代になっても恋愛結婚は御法度。大方の男女は生まれたときには相手が決まっています。親同士で決めて、できるだけ早く結婚させてしまうのがこちら流。外国人との交流やテレビ文化の影響を受けて婚前交渉でもあったら大変という親心からなのだ、という話です。 ●適齢期 お祭り騒ぎの広場に花嫁の姿は見かけませんが、金モールの新郎は22、3歳のよう。女性は16-18歳、男性は18-20歳が適齢期とされています。女性の場合、つい最近までは13-15歳だったといいます。 男性は外国への出稼ぎが増えて、30歳近くの独身もいるそうです。 ●谷間の宮殿台地からは眺めるロック・パレスは、谷間の斜面に埋まるほど小さかったです。ズームアップしたら建物の構造がよく理解できました。眺める位置によって危なっかしい建物に見えたり、安定感のある建物に見えたりする宮殿。ここから眺めると7階建てのように思えます。 ここで集合写真。ずらりと並んだ一行をたくさんの大人たちが物珍しそうに眺めています。おもしろいので、こちらからカメラを向けたら緊張した表情で居住まいを正しました。 ●スーラ太鼓のリズムに浮かれた後はスーラへと急ぎます。行く手の岩山に現れた豆粒ほどの集落は、坂を上るにつれて姿を拡大しました。岩山の麓に堅牢な石造りの家が密集し、岩の天辺にも建物が見えます。 9世紀にイマーム・アルハディールが造営した山岳部族の町、スーラでした。山を背にした集落は強固な城壁に囲まれ、オスマン・トルコがイエメンを支配したときも抵抗勢力として、独立を守り通したという強者(つわもの)たちの町です。 ●丸窓は装飾? 石組みのアルハディール門を潜って集落へ。かつては5つの門があったそうですが、現存するのはこの門だけ。石を精巧に積み上げた高層住宅は見るからに頑丈そう。漆喰装飾が際だつ外壁には、丸窓が上下に2個並んでいます。丸窓はすべて大理石の1種であるアルバスターで塞がれているので、窓というより装飾のようです。木枠をはめ込んで中が見られないようにしてあるのは女性専用の部屋。迷路のような狭い路地にそそりたつ石積みの壁。その中に2000人が住んでいます。どこからともなく聞こえてくるざわめきは、金曜日の礼拝に集まった人たちでしょうか。 ●ハナコです 角を曲がる度にまとわりついてくる子供たち。商売道具の小物を手にした「What’s your name?」もあれば、写真を撮っての「シューラ」、ボールペンちょうだいの「カルム」も。町が変わっても子供たちのおねだり作戦3点セットは変わりません。 小間物を手にした少女が「私の日本名はハナコです」と名乗りました。観光客に教わったのでしょうが、日本人のおばさん相手には強力な武器になりそうです。 ●広がる台地 標高2700mの町は、やや息切れはするものの暑さは感じません。ユダヤ人が住んでいた家もあります。壁に浮き彫りされたダビデの星のマークがまだ残っていました。住民の多くはイスラエル建国の後に町を離れたそうですが、いまに伝わる大工仕事や銀細工の技術はユダヤ人から伝授されたものです。ゆっくり歩調で高台に。村人の生活を支える段々畑やその奥の集落が望めます。起伏を伴った茶色の台地がどこまでも広がっていました。 先ほど聞いたざわめきはすぐ下に建つモスクか らでした。●礼拝どき 坂道を下って駐車場に向かうと、ちょうど礼拝が終わったところ。モスクからはき出されたジャンビーア男たちが狭い路地をぞろぞろと帰路についていました。おもしろいのは、親に手を引かれる子供たちが決まったようにスーツを着こなしていること。 新調のスーツでびしっと決めた3、4歳児の坊やは親父さんたちの自慢。得意顔しているくりくり目の子供たちは、可愛いらしく、明るさいっぱいでした。 ![]() ●最後の昼食 200mほど坂を下ったシバームのツーリストホテルで昼食。3階のレストランはマフラジ風。靴を脱ぎ、カーペットに腰を下ろして中央のテーブルを囲みます。 野菜の煮込みやピラフ、チキンなど定番の料理を次々に運ぶ黒装束の女性。石鍋料理のサルタも登場しました。鍋の中をかき回した後、こちら流儀を真似てナンですくって食べました。ドライバーたちも同じフロアで食事。焼きたてのナンやチキンが人気でした。みんなそろっての昼食もこれが最後です。 ●兄弟の町食後に観光するのは双子の町とか、兄弟の町といわれるシバームとコーカバン。旅程もいよいよ最終段階です。兄弟の町はサナアの北西55kmにあります。高さ300mの岩山の上下に同じ部族のヒムヤール族が分かれて住み、役割分担を決めて1000年以上も助け合って暮らしてきました。 まず、麓のシバームを観光。紀元前2世紀の碑文が残る石組みの門を潜って住宅地へ。4万人が住む農業と商業の町は、石畳の路地があり、通りも広くて歩きやすい町です。 ●シバーム建物は石積み、丸窓、漆喰装飾。石組みがやや粗っぽいほかは、昼前に見たスーラと変わりません。建物の隙間から岩山の上に寄り添うコーカバンの集落が姿を見せています。シバームは標高2500m、岩上のコーカバンはそれよりも300mあまり高い2850mです。 カラフルなミナレットを眺め、窓からいくつもの顔をのぞかせてはしゃぐやんちゃ坊主の相手をするなどして旧市街を一巡。コーカバンへ向かいました。 ●コーカバンくねくねの坂道を上るにつれて、岩上の集落がどんどんアップされてきました。ワディ・アルメインで写真ストップ。コーカバンの集落を見上げ、緑豊かなワディ(涸れ川)の風景を眼下におさめて先へ進みます。 城門を入る前に、少し離れた場所から集落を眺めました。岩場の先端ぎりぎりに密集する建物にはどきりとさせられます。5000人が住むコーカバンは長い間、防衛の役目を担ってシバ ームを助けてきたといいますが、外敵を監視するにはもってこいの立地条件です。●石組み城門 農業生産と商業を担ってきたシバームとは、急斜面の細い道路で結ばれていました。シバームが外敵に襲われると、住民はこの道路を駆け上がって、堅牢な城壁の中へ逃げ込んだそうです。 厳つい城門の先に並ぶ建物はシバームのそっくりさん。広場に雨水を溜めた大きな貯水池があります。シバームから水を引けるようになった現在は、家畜用に利用されています。車で上がってきた舗装道路はドイツの協力で建設されました。 ●水買わず コーカバンを一巡して、すべての観光は終了しました。16:00、買い物組とホテル直行組に分かれてサナアへ戻ります。自分はホテル組。妻は買い物組に加わりました。 今回は水のサービスがあったので、自前で水を買うことは1度もありませんでした。みんな「両替したお金が余っている」状態なのです。 ●オーナー挨拶 シャワーを浴び、良い気持ちになってベッドにひっくり返っていたら妻が戻ってきました。 夕食どき、現地旅行会社のオーナーが訪れて、お礼の挨拶とイエメンコーヒーを1袋ずつお土産にプレゼントしてくれました。今夜は同じ旅行会社の別グループも同宿です。 |
| ページ: | TOP | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 12 |
|
|||
|
|