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◎6月17日(日) (9日目)
 カルロビバリ→プラハ泊

●ゲーテの散歩道
 早朝、文豪、ゲーテが好んで散歩したという、いわゆる「ゲーテの散歩道」を歩きました。メイン通りをはずれた森の中の小道を行くと、大きなシャクナゲの木が満開でした。林間を渡る風はひんやりしてすがすがしい心地です。

●スメタナ像
 名曲「わが祖国」の作曲家スメタナの銅像がありました。チェコ音楽の父は右手にバラの花を持っていました。ここはスメタナ公園。銅像の周りは芝生と花。町はずれなので訪れる人も少なく、銅像は静かな環境に居心地が良さそうでした。

●新世界を初演
 少し先へ進んだところに野外劇場がありました。しかし、スタンドの周辺は雑草がぼうぼう。舞台も破損したまま放置されています。
 ここはドヴォルザークの名曲「交響曲第9番」(新世界から)が、ヨーロッパで初演されたところなのです。歴史的な場所が荒廃のままに放置されている、ドヴォルザークのファンの1人として寂しい思いがしました。

●麻薬で悪化
 温泉地を後にして最後の訪問地、プラハへと向かっています。ガイドがプラハの治安に関して注意を促しました。最近、麻薬常習の若者が急増し、薬代を稼ぐためにスリだけでなく、強盗もするようになりました。
 車の盗難も日常茶飯事だそうです。暴力団もできて、治安は悪化するばかり。「とくにここ2、3年で急速に悪化しました。プラハでは細心の注意を払って下さい」。訴えるような口調でした。

●給与事情
 ガイドの話は続きます。今度は職業と給与についてです。共産主義時代はタクシー、散髪、ウェーターらチップで稼ぐ職種が高収入。自由主義国になった現在はドイツ、アメリカなど外国企業のトップ・マネジャーが14万−10万コルナで最高水準にあります。
 次いで弁護士、コンピューター関係、銀行員など。「公務員も人気があります。仕事が忙しくないし、休みが多いから」。どこかで聞いたような話でした。 

●大統領別邸
 プラハに到着し、最初に大統領別邸の庭園を見ました。昼食の予約時間より早くついたので、レストランの横にある庭園でも散歩して時間つぶししようと思ったのです。
 門の前に軍人がいたので「おや?」と思ったら、そこが大統領別邸だったと言うわけです。芝生の上に絵を描いたように花が植えられ、今はほとんど使われない黄色い外観の別邸が建っていました。

●黄金のプラハ
 プラハはチェコの首都です。スラブ民族がヴルタヴァ川の周辺を開拓したのが町づくりの始まりとされています。880年ごろ、西岸の丘の上にプラハ城の基礎となるヴィシェラフト城が築かれて急速に発展しました。
 14世紀にボヘミア王のカレル1世が神聖ローマ帝国の皇帝となって、プラハを首都に定めてからは「黄金のプラハ」と称えられるほどの繁栄ぶりを見せたということです。

●西岸と東岸
 現在も「百塔の町」、「北のローマ」などと表現されるプラハ。ヴルタヴァ川を挟んで西岸には丘の上にプラハ城が建ち、平坦部の東岸には旧市庁舎や国民劇場などがあります。
 両岸を結ぶのが、かの有名なカレル橋です。全長516mの橋上は観光客が途切れることがなく、銀座さながらの混雑を見せるとさえいわれています。

●ストラホフ修道院
 今日は西岸地域を観光します。まず、ストラホフ修道院へ。プラハ城からやや離れた場所に建っています。1140年、ヴラジスラフ公によって創建され、17、18世紀に有名な図書館「神学の間」と「哲学の間」が完成しました。
 図書館は部外者の入場が禁止されてますが、旅行会社が特別に手配してミニコンサートを聴くことができました。「神学の間」で若い女性のフルート、壮年男性のギター演奏をたっぷり聴きました。

●神学の間
 図書館は貴重な蔵書もさることながら天井の装飾画が素晴らしいことで有名です。
 神学の間は1671年に建造されたバロック様式。1万6000冊の蔵書を持ち、天井には学問と知識を賞賛する場面が描かれています。普通は写真撮影禁止ですが、私たちはOKでした。

●珍しい書見台
 縦長の部屋の両側に書棚が並び、空間には18世紀に作られた天球儀や珍しい書見台などが展示されていました。幸運にも入室してゆっくり見学でき、撮影もできましたが、一般の観光客はドアからのぞき見するだけ。気の毒に思いまし。

●哲学の間
 隣の哲学の間は1783年に完成しました。天井に届くほどの書棚が並んでいて、書籍はざっと5万冊を数えます。その上に描かれた天井画は「神学の間」の白色基調とは対照的に赤茶色を基調にしていました。
 蔵書棚に見せかけた隠し扉があって、螺旋階段で上ることができる楽しい仕掛けもありました。

●蔵書15万冊
 修道院全体の蔵書は約15万冊あります。800年間に集められたもので、その中には写本3000冊、初期木版活字本2000冊など、貴重な書物が多いということです。9世紀に製本された修道院最古の「ストラホフ福音書」も自慢の一つです。

●百塔の町
 修道院を下ったところに展望台があり、プラハ城の尖塔や茶色の町並みが一望できました。赤茶色の屋根が密集する大都会に緑のドーム、緑や黒、白色の尖塔が点在しています。「百塔の町」。その名の通りの風景が広がって、青空はやや少ないものの満足できました。

●プラハ城
 ヴァルトシュティン宮殿やロレッタ教会、さらに外壁にフレスコ画が描かれたレストラン、昔の区役所、大司教所などを眺めながらプラハ城へと向かいます。ヴルタヴァ川西岸の丘に建つプラハ城は9世紀に基礎ができました。
 14世紀半ばにプラハが神聖ローマ帝国の首都になり、それを機にカレル4世が改築を進めて現在の偉容が整ったとされています。城の全長は580m。城壁の中には旧王宮、教会、大統領執務室などがあります。

●不動の衛兵
 城の正門両側の柱に戦う巨人像があり、入場者を見守っています。巨人像の下に濃紺の征服をまとった衛兵が起立していました。大勢の観光客がカメラを向けても、まばたき以外には不動の姿勢を貫いています。
 観光客が横に並んで記念写真を撮っても微動だにしません。任務とはいえ「お疲れさま」に思いますが、本人にとっては誇り高い職務なのです。
 
●大統領執務室
 入り口を入って左側はスペインの間。17世紀初めに彫刻の展示室として建設され、その後、改装されて現在はコンサート会場などに使われています。
 さらに進むとやや広い空間。聖イジーの像があり、右手は大統領の執務室でした。現在も使われており、旗がはためいていたら、大統領は国内に滞しています。

●聖ヴィート教会
 左側に聖ヴィート教会が華麗な姿を見せていました。930年に創建され、1344年に改築されたゴシック様式です。その後、宗教改革運動による混乱などがあり、現在の姿に完成したのは1929年になってからです。
 まず目に入ったのは、1956に年に建てられた西側の正門です。堂内に入って、色鮮やかなステンドグラスや聖ヴァーツラフ礼拝堂、南塔などを心ゆくまで見学しました。

●絶景広がる
 さらに城内最古の聖イージ聖堂をはじめヴラチスラブ・ホール、諸聖人共同の礼拝堂などを観光しました。ヴラチスラブ・ホールは15世紀に建造され、当時はヨーロッパ最大のホールでした。
 ホールのバルコニーからの眺めは絶景。絵はがきを見るような思いでした。右下にはカレル橋も望め、橋の上には小さな人影がうごめいていました。

●黄金の小道
 城を出ると、狭い通りにミニチュアのような家並みが現れました。有名な黄金の小道です。こぢんまりした棟割り長屋が十数軒。一時、錬金術師らが住んでいたので、この名が付いたといわれます。
 現在は土産店になっていますが、城から出て東門への経路になっているので、通行客でごった返していました。犯罪の多発地帯だそうで「スリにご用心」が連呼され、足早に通り過ぎました。チェコの作家、カフカが一時住んだ「22号」を撮影するのがやっとでした。

●期待はずれ
 出発前に友人から「黄金の小道はきれい」と聞き、期待していました。しかし、チェスキー・クルムロフやテルチ、ホラソヴィツェなどでカラフルな町並みをたっぷり観光した後なので、感動はありませんでした。
 東門から階段を下りると、スケッチやビール・カップなどを売る露店が出てぎわっていました。

●高いビール
 夕食はホテルのレストランででしたが、ビールの値段がいっぺんに高くなったのには、びっくりでした。300CCほどのグラスで380円。チェスキー・クルムロフのレストランでは500ccが60円ほどでした。
 ホテルだから特別に高かったのでしょうが、「安くて美味しいビールは当たり前」に思っていましたから、驚き度が値段同様に跳ね上がった、というわけです。

●夕焼け雲
 部屋に戻ると、目の前の建物が夕日を浴びていました。上空は見る見るピンク色に染まり、夕焼け雲を背に2本の尖塔がシルエットになって浮かび上がりました。荘厳な夕景に息をのみました。

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