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◎9月19日(日)  (1日目)
 関西空港→広州新白雲空港→ウルムチ空港→ウルムチ泊

●旅友のKさん
 旅友のKさんに見送られての出立です。彼女とはホームページを通じて交際が始まり、見送ってもらうのは今回が3度目になります。
 彼女が出かけたインドの話、九寨溝、黄龍の話、日隆の花の話、次の旅行の話…話題は途切れることなく続き、出発前のひとときはあっという間に時間が経ってしまいました。食料やおつまみなど、旅のグッズをありがたくいただいて手荷物検査へ。

●飲料水制限
 今回もお茶のボトルを別にチェックされました。新設した測定器の上に1本、1本乗せて比重?を調べる念の入れよう。
 スーツケースは20kg以内を厳しくいわれていましたが、2個で39.7kgのどんぴしゃ。中国の国内線はスーツケースに飲料水を1kgまでしか入れることができず、手荷物もボトル2本に制限というので、これも忠実に守りました。

●大阪と東京組
 14:40、中国・広州行き中国南方航空CZ390便(14:50発)に搭乗。JALとの共同運航便です。別の団体も数組あってほぼ満席。
 今回の参加者は12名で、そのうち関空からは7人と女性添乗員が搭乗。成田14:20発の航空便に搭乗した東京組5人とは広州で落ち合うことになっています。

●狭い座席
 15:13、離陸。青空が広がって大阪は30度を超しました。中国南方航空は聞いていた通り、座席がやや狭くて窮屈な感じです。

        《以下、マイナス1時間の北京時間で表記》

 30分後、ドリンクのサービス。直後に機内食。魚、チキン、ビーフの3択で自分はビーフ、妻は魚をチョイス。どこにでもありそうな味ですが、飲み物は豊富でした。

●シルクロードの真髄
 今回訪れるのは中国、カザフスタン、キルギスにまたがる中央アジアの最奥地。天山山脈(全長約2500km)の周辺地域をバスで周回するツアーで、旅行会社のパンフには「シルクロードの真髄」を極めたい旅人のための企画、とありました。たいそうなお題目ですが、その通りの光景に出会えるか、期待に胸が弾みます。
 中央アジアとは旧ソビエト連邦に属していて、1991年のソビエト連邦崩壊とともに独立国となったウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの5カ国のこと。乾燥気候の地域が広がり、遊牧民族が中心の国。いずれもイスラム文化圏に属しています。

●新装の空港
 眼下の山岳風景は、やがて緑の中に高層アパートが林立する都会へと一変。機はぐんぐん高度を下げて17:37、新装の中国・広州新白雲空港に着陸しました。8月にオープンしたばかりという空港は何もかもぴかぴか。ターンテーブルで少し先に到着していた東京組と合流できました。
 スーツケースを引っ張り、長い、長い通路を辿って国内線ターミナルへ。手荷物検査は大甘ですが、ボディチェックはかなり念入りに繰り返されていました。ボトル2本までという制限はないに等しく、手持ちの缶コーヒーを慌てて飲みましたが、そんなことをしなくてもパスできたようです。

●一気にウルムチへ
 当初は広州で1泊して、翌日の便で新彊ウイグル自治区の区都・ウルムチ(烏魯木斉)へ向かうはずでしたが、予定が変更されて一気に飛ぶことになりました。
 20:00、中国南方航空CZ3911便(20:30発)に搭乗。3×4×3のシートはまたも満席。20:40、夕闇の中を離陸。30分後に機内食。妻が昼食にチョイスした同じ魚のフライでした。

●毛布チェック
 北京経由なら時間を短縮できて体もいくらか楽なのに、わざわざ広州まで南下し、それから北西のウルムチを目ざすルート。
 21:40からうつらうつら。毛布を借りたらしっかりチェックされました。持ち帰る乗客がいるらしいのです。

●シルクロードの旅
 これまでパキスタンやトルコ、イランなどでシルクロードを断片的に辿ったことはありますが、いまだかつて「これぞシルクロードの旅」というものを体験していません。「いつの日にか」との念願を果せる時がようやくやってきました。
 シルクロードが日本人旅行者に広く知られるきっかけになったのは1980年に放映されたNHKの番組「シルクロード」。喜多郎の名曲で始まる番組は、多くの人を絹の道へと誘(いざな)い、旅行会社でもパッケージツアーを企画して人気を集めました。第1次ブームから四半世紀近く遅れをとったわけですが、シルクロード1年生のつもりで旅を楽しむことにします。

●シルクロード 
 そもそもシルクロードとは?。教科書的にいえば、中国から中央アジア、西アジア、ローマ、果ては北アフリカまでを結ぶ古代の東西交通路のこと。シルクロード(絹の道)と呼ばれるのは、このルートを辿って中国特産の絹が交易されたからです。
 ドイツの地理学者、リヒトホーフェンが1877年に出版した著書「China」でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易路を「ザイテンシュトラーセン(絹の道)」と表現。これが英訳されてシルクロードと呼ばれるようになりました。

●3ルート
 絹の道は大きく分けて3ルートがあります。中国の西安(唐の時代の長安)や洛陽から天山山脈、パミール高原を経て西アジア、ヨーロッパへ通じる道(オアシス路)と、モンゴル高原から黒海周辺の広大な草原地帯を通ってヨーロッパに至る道(ステップ路=草原の道)、それに海を伝う南海路です。
 現在、シルクロードとして観光客が多く訪れるのは、西安を起点に蘭州、敦煌などを経由して新疆ウイグル自治区へ、さらに中央アジアへと至るオアシス路。ルートは大まかに天山北路、天山南路(西域北道)、西域南道の3本に分かれ、他にも河西回廊、青蔵公路など幾筋かの幹線と支線があります。


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