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◎4月18日(月)晴 (9日目) バフォス→ラルナカ→ドバイ ●体調不良続く 喉が痛く、咳もひどい。もう1日だ、頑張ろう!。上空はどんより曇り、妻は傘を用意しました。 心配した空模様は時間とともに青空が広がってきました。「キプロスは雨が降らない」というのは本当のようです。 ●甘い菓子9:00、最後の観光に出発。直後、町はずれの菓子店でストップ。名物の菓子をお土産にどうぞ、というわけです。求肥(ぎゅうひ)みたいなルクミアというのがお目当て。ボッティチェルリの「ヴィーナス誕生」の絵をあしらった缶入りで、むちゃくちゃ甘い菓子です。 「トルコのロクムに似ているわ」などといいながら、何人かが買い求めました。カルポメロというシロップは腎臓によいとか。地元では砂糖代わりに使うことが多いといいます。 ●麦秋の季節 南岸 沿いでは麦秋の季節。茶色っぽく色づいた穂が春風に揺れ、すでに刈り取りがすんだ畑も見かけます。バスは沿岸道路をリマソール方面へ引き返し、キロキティアの遺跡へ向かっています。10:00、島内唯一のトンネルを潜りました。車内ではキプロスについて、復習がてらの解説が続いています。93%が高校を卒業し、87%が短大か4年生大学に進学。そのうち37%は島内の大学で、他は海外に留学するといいます。進学率はカナダ、アメリカ、日本に次いで4番目だとか。 ●失業率5% 失業率は5%ですが、インテリ向けの仕事が不足し、大学を出てドアマンをしている人もいるそうです。結婚適齢期は女性が23、4歳、男性が25、6歳。結婚式は多いときは1000人以上も招待することがあると聞いてびっくり。 そんな話を聞くともなしに聞いていたら、ラルナカまで66kmの標識が目に入りました。沿道は麦秋の風景が続いています。10:15、キロキティアは近い。 ●国旗 ところ どころで、見かける国旗は、キプロスの島とオリーブの枝2本を配した単純なデザイン。島が黄土色で描かれているのは、島が銅の産地であることを示し、2本のオリーブはギリシア系とトルコ系住民の平和共存を祈念しています。
グリーンラインや学校ではキプロス国旗とギリシャ国旗が2つ並んで掲揚されていました。 ●キロキティアの遺跡(世界遺産)15分後、キロキティアの遺跡に到着。細い道を辿った先に円形型の住居が5棟復元されていました。厚い壁に四角い窓。これは夏の暑さ対策を考慮した構造です。 目の前の斜面に広がる廃墟が世界遺産に登録されている集落跡。一見しただけではがらくたの捨て場のようで「なんで、これが世界遺産?」と首をかしげたくなります。 ●1万年前の集落ところが、紀元前8000年、もしくは7000年ごろから紀元前4000年ごろにかけての集落跡で、新石器文明が後世に伝わる過程や当時の生活様式を知る貴重な遺構と聞かされて驚くばかり。まさに侮るなかれ、です。 集落跡は1937年に発見されました。1970年代になって本格調査が始まり、現在も続行中です。調査が進むにつれて約1万年の生活ぶりが徐々に解明されています。 ●円形住居集落跡に沿って斜面を上ると、あちこちに円形の石積み跡が見られます。これは住居跡。近くを流れるマロニ川から集めた石で円形の基礎を築き、その上に土と藁(わら)で作ったレンガを載せ、間を小石で埋めて仕上げました。住居は直径2mから3m。中には10mというのもあります。 集落の住人に関しては、300人、1500人、4000人などの説があって、どれが近い数字?。 ●平和な暮らし 住居跡から遺骨も発見されており、当時は死者を家の中の地下にでも埋葬したのではないかと考えられます。死体には必ずオリーブオイルかワインを塗ったらしく、遺骨とともに偶像や祭礼用の什器などの副葬品も発掘されています。 集落には通路もあり、周りには防護壁の跡も見られます。遺構に災害や戦いなどの痕跡はなく、住民たちは狩猟や農耕、さらに家畜を飼育して平和な暮らしを営んでいたのではないかと想像できます。 ●古代ロマン 新石器文明は紀元前1万年ごろアジアで興り、紀元前8000年から7000年ごろにキプロスに達したといわれます。ここの住人たちはシリアやイスラエル方面からの渡来人ではないかといいます。 集落跡は放棄された後、自然破壊したとの見方が有力で、住民は何かの理由で他の土地へ集団移住したのではないかと推測されています。花が彩る1万年前の住居跡。当時の暮らしをあれこれ想像させるロマンあふれる遺跡でした。 ●天使が建てた遠い、遠い昔話に触れた後は、オレンジ畑や麦秋風景を眺めながらのドライブ。晴れたり曇ったりのはっきりしない空模様。いまにも雨が落ちてきそうです。12:00、古びた教会でストップ。天使によって建てられたという意味の「アンドロケティスティ教会」でした。 内部は撮影禁止ですが、6世紀のモザイク、11世紀のフレスコ画が残っていました。何度か再建されて、入り口部分は14世紀のも。 ●オンヘラン・モスク「340日間雨が降らない」といわれるキプロス。N添乗員は「もし降ったらラッキーです」とジョークを飛ばします。次に立ち寄ったのは塩湖のほとりにある「オンヘラン・モスク」。オスマントルコの時代に建造されました。 建造に関して物語があります。預言者・ムハンマドの親戚の女性が遠征先のキプロスで死に、亡骸がここに埋葬されました。その後、モスクが建てられ、彼女はモスクの暗い場所でいまも眠っているそうです。 ●キティオン 13:00、 ラルナカの町に戻り、紀元前13世紀の都市跡「キティオン」を見ました。ギリシャ・ペロポネソス半島から渡来したミケーネ人が築いた町。ミケーネ文明の古代遺跡は崩落が激しく廃墟と化していました。上空を気にしながら順路に沿って進みます。壁に帆船の彫刻が残る巨石の神殿は航海の安全を祈願したもの。周辺には錨(いかり)や聖なる角のある石、溶解炉なども。町と言うより、集落といった方がいいようなこぢんまりした遺跡でした。入り口にアフロディテのルーツを解説したパネルが展示されています。 ●ハルミチーズ これで レバノン、キプロスの観光はすべて終了しました。昼食は海岸べりのレストラン「ASSIL LISSI」で。家族経営のアットホームな感じ。前菜として名物のハルミチーズが登場しました。ワインのつまみに最適などという経験談に接し、1度は賞味してみたいと思っていたものです。山羊の乳でつくった伝統的なチーズで熱を加えても溶けず、塩味が効いたしっかりした歯ごたえが人気の秘密といいます。厨房を見せてもらうと、若いお父さんが網の上にのせたチーズを炭火で焼いていました。見た目には角餅そっくり。 ●名物メゼ 香ばしい焼きたてを口に。かなりの塩辛さです。「血圧がいっぺんに上がりそうだ」。誰かが叫びました。体調の良くない自分は一口だけで「ご馳走さん」でした。 メインはキプロスの名物料理であるメゼ。多いときは20種類もが並ぶセットメニュー。魚料理だけのフィッシュメゼと肉料理のミートメゼの2種類があります。 ●お手伝い今日はミートメゼ。ソーセージや骨付き肉のグリルなどがメイン。他にはハーブとオリーブオイル、塩で味付けしたビレッジサラダ、豆をすりつぶしたパテ、塩漬けのオリーブ、パンなどでした。 店内では6歳の娘、エカテリーナちゃんがウェートレスで大活躍。てきぱきとお手伝いする可愛い様子は大人気でした。 ●とうとう雨に 食後は道路を隔てた海岸に出て、しばしの休息。海水浴にはやや早い時期。しかも、どんより天候で冷たい風が吹き、波も荒いです。早めに切り上げて、ラルナカ国際空港へと向かいました。 個人でチェックイン。18:15、エミレーツ航空のドバイ行きEK106便に搭乗。直後、大粒の雨になりました。定刻の19:10、離陸。 《以下、1時間早めたドバイ時間で表記》 悪寒がして機内食もパス。毛布4枚をかぶって耐えます。23:10、ドバイ空港に着陸。 |
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◎4月19日(火) (10日目) ドバイ→関空(機内泊) ●悪寒に耐え 上着はもちろん、帽子をかぶり、首にはタオルを巻いて悪寒との戦い。長い通路をやっとの思いで移動して2:20、関空行きのエミレーツ航空EK316便(02:50)に搭乗。あいにく機内は満席で、体を横たえる余裕はありません。 《以下、5時間早めた日本時間で表記》 海外旅行も40回近くになりますが、旅の途中でこれほど体調を崩したのは初めて。食べる気力も、しゃべる気力も失せて、ただ目をつぶって時間が経つのを待ちます。 ●よろよろ状態 17:37、関空に着陸。「はるか」で京都駅へ、電車を乗り継いで帰宅。京都駅に着いたときは、意識がもうろうとして、どのように乗り継いだのかほとんど記憶がありません。よろよろ状態の情けない姿で自宅に。そのまま布団に横たわりました。 【追記】 帰国翌日の20日、救急車で病院へ運ばれ、意識不明のまま入院。すぐ、人工呼吸器の世話になるほどの呼吸困難に陥り、結局、2006年2月半ばまで入院闘病を続けるはめになりました。 |
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