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◎4月14日(木)晴 (5日目) ベイルート→アンジャール→バールベック→ベイルート泊 ●2つの世界遺産 日の出前の礼拝を告げるアザーンがかすかに聞こえています。出発前に友人が差し入れてくれた赤飯を食べました。噛めば噛むほど日本の味がします。上空を覆っていた雲は徐々に薄くなって晴天を約束。今日は2つの世界遺産、バールベックとアンジャールの観光です。願ってもない日和になりそう。 ●モニュメント 8:00、アンジャールへ向けて出発。早朝から建物の解体や改築工事が始まっています。トリポリでもシドンででも見かけた内戦の復興事業。下部にローマ式のアーチ、上部はガラス張り、といった古い伝統様式と近代的な様式を融合させた建物も見かけます。 郊外に出てから緩やかな上り坂に。30分ほど走った沿道に穴だらけの塔を見かけてストップ。戦車を埋め込んだ内戦終結記念のモニュメントです。レバノン内戦といい、明日から訪れるキプロスの紛争といい、どちらもキリスト系住民とイスラム系住民の争い。イエスやムハンマドは「こんなはずではなかった」と子孫の愚行を嘆いているに違いありません。 ●徴兵義務 快調に走っていたバスが時たまストップします。軍隊の検問であったり、自動車税の検査であったり。係官は緑色かグレーの迷彩服を着ています。緑は本物の軍人、グレーは徴兵。レバノンには18歳になると1年間の徴兵義務があるのです。 バスが高度を上げるに従って、町は霞の彼方に遠ざかり、別荘が点在する斜面が迫ります。1525mの峠の天辺に達し、そこからは下りに。ベカー高原は霧に覆われていました。 ●シリア軍駐屯地 荷を満載して行き交うトラックを眺めたり、もぬけの殻になったシリア軍の駐屯地を複雑な思いで流し見しているうちに、9:00がすぎ、ワインとチーズで有名なシュチューラの町を通過しました。 レバノンのジプシーは定住生活者が多く、この辺りの農家の手伝いなどで糧を得ているといいます。近くの緑はレバノン杉が1本、あとはアルメニア人が植えた糸杉。 ●アンジャール(世界遺産)9:25、イスラム都市遺跡のアンジャールに到着。ベイルートから東へ50km走ったことになります。遺跡はアンティ・レバノン山脈の麓、ベカー高原のほぼ中央に位置しており、ウマイヤ朝の第6代カリフ(最高権威者)、ワリード・ベン・アブドルマラック1世が8世紀に夏の離宮として造営したもの。岩の水(アンジャール)が示すように豊かな泉水に恵まれた立地条件の良さがカリフの目にとまったのです。 ●40年で消滅 都市は東西350m、南北385mの城壁に囲まれ、幅10mの道路が交差しています。シリアのダマスカスとベイルートを結ぶ隊商の中継地として栄えたのですが、わずか40年ほどで姿を消してしまいました。遺跡に残る列柱や宮殿だけが当時の栄華を偲ぶよすがになっています。 同じベカー高原にはローマ遺跡のバールベック神殿もありますが、ここはイスラムの遺跡なので、やはり趣が異なります。 ●ウマイヤ朝 これまで文中に何度か登場するウマイヤ朝(661〜750)は、預言者・ムハンマド(マホメッド)の死後、最初に誕生した王朝。最盛期には東は中国・唐との国境付近、西は北アフリカからイベリア半島までを支配しました。 また、イスラムでは初めての世襲王朝としても知られます。8世紀初頭に最盛期を迎えました。この都市がわずか40年間で消滅したのは権力争いが原因。ワリード1世の息子と父親の従兄弟のマルワーン2世とのカリフを巡る争いは、従兄弟に軍配があがって町は破壊されました。またもや人間の愚行が見え隠れします。 ●列柱道路メイン通りは列柱通りといわれ、東西、南北に延びる幅10mの通りが交差しています。周辺には王宮をはじめ、公衆浴場やカリフの寵愛を受けた女性たちの第2宮殿(ハーレム)、モスク、住居区などがあり、沿道には600以上の商店が軒を並べていたといいます。 商店は瓦礫と化していますが、野辺を渡る風に身を任せながらぶらぶら歩いていると、どこからともなく当時の喧噪が聞こえてくるようです。 ●廃材利用 通りの数カ所に残る列柱は、支柱のサイズや様式がばらばらです。アーチを支える支柱の長さは石材を足して調整したり、支柱の先端にある彫刻もまちまち。これはローマの都市計画に基づき、ローマやビザンチン時代の廃材をリサイクルしたためといわれます。 遺跡は1949年から発掘調査が進められて、各施設の全容が明らかにされましたが、調査以前はローマの政治家、マルクス・アントニウスが愛人のクレオパトラに捧げたカルキスという町の遺構では、と考えられていました。 ●テトラピュロン下水道が完備した町は交差点の四つ角にテトラピオンと呼ぶ四面門が立っていました。台座の上に4本の円柱を立てたモニュメント。復元されているのは1カ所だけですが、中には飾り物が何もありません。偶像を崇拝しないイスラム流ということでしょう。 同じような四面門はシリアのパルミラ遺跡でも列柱通りで見かけました。 ●宮殿商店街を抜けた南東ブロックにカリフの住まいである宮殿があります。2層のアーチで支えられた高い天井の中庭部分が復元されていました。教会に似ていると思ったら、シルビアさんは「ビザンチン時代の教会建築様式です」と説明しました。 大理石の柱にギリシャ文字やマリアの祈りの言葉が刻まれていたりするところを見ると、教会としても使われたことがあるようです。外壁はイスラム建築らしく色違いのレンガと切石を重ね合わせています。 ![]() ●耐震技法 隣のブロックにカリフ(支配者)のハーレムである第2宮殿があます。女性の住まいらしくフクロウ、鳩、葡萄の房など豪華な装飾も見かけます。ここには子供も一緒に住んでいたとのこと。 注目は耐震性を重視した建物の壁面。宮殿と同じようにレンガと切石を交互に積み重ねてあるのは見た目の美しさだけでなく、緩衝装置の役目も果たしているとの説明でした。日本でも奈良・法隆寺や興福寺の五重塔に耐震性の機能が用いられていると注目され、その技法は最近の高層ビルにも採用されていると聞きました。 ![]() ●花の遺跡 花に埋まった広い遺跡。汗をにじませながら瓦礫と化した古都を巡ります。こぢんまりながら設備が整ったローマ風呂、カリフ専用の入り口があったというモスク跡などに触れながら当時の生活ぶりを偲びました。 メイン通りを引き返した糸杉の緑地帯に、レバノン杉が1本だけ自生していました。この辺りもかつては巨木に覆われていたそうです。遺跡から見えるはずのアンティ・レバノン山脈が靄に隠れていたのは残念でしたが、まずまずの天候で見学できました。 ●白い国の片鱗10:50、もう一つの世界遺産、バールベック神殿へ向かいます。雪をのせたアンティ・レバノン山脈がかすかに見え、その下には石灰岩の白い山が連なっています。ぼんやりながら「白い国・レバノン」の片鱗を車窓から眺めることができました。 緑と茶色のパッチワーク模様を描く畑では家族総出の収穫風景も見られます。ベカー高原はかつて「ローマの穀倉」とさえいわれ、現在も高原の肥沃な土地40%は耕作が可能。小麦、トウモロコシ、綿花、野菜、ブドウなどが栽培されています。 ●石切り場11:25、バールベック神殿群の南西にある石切場に到着。ここから切り出された石灰岩が神殿の建材として運ばれたのです。現在も切りかけの巨石が一部、地中に埋まる形で横たわっていました。高さ4.2m、幅4.8m、長さ21.5m、その重量は1000-2000dと推定されています。 これらの巨石がどのように切り出され、1km先の神殿建設現場へどのような方法で運ばれたのかについての記述は未だ見つかっていません。エジプト最大のクフ王のピラミッドに使われた石は約750万dだそうですが、バールベック神殿の建設にはそれを上回る量の石が建材として切り出されたといわれます。 ●神殿を眺望昼食は神殿近くのレストラン「シェーラザード」で。最上階の7階に通されてあっと驚きました。巨大なローマ遺跡が眼下に広がっているのです。手前にはヴィーナス神殿が、高台にはシンボルのジュピター神殿の列柱、バッカス神殿の上屋も望めます。 総面積56万平方mに及ぶ神殿群。ユリウス・カエサルから300年の歳月をかけて築き上げたローマ帝政最大の神殿は見事というほかに言葉がありません。 ●バールベック(世界遺産) バールベック神殿はベイルートの北東約86km、ベカー高原のほぼ中央にある豊穣の神々の聖地です。バールベックに巨大な神殿建設を思い立ったのはローマの政治家、ユリウス・カエサル。それは紀元前1世紀半ばのことでした。 エジプトのピラミッドを見て圧倒されたカエサルは、地中海世界にローマの権勢を誇示するために、それに勝る神殿建設が必要と考え、当時、ヘリオポリス(太陽神の街)と呼ばれていた豊饒の地、バールベックを候補地にしたのです。 ●神殿建設ここはもともとバール(ベル)神を祀るために設けられた宗教施設でした。カエサルが非業の死を遂げた後は歴代のローマ皇帝に引き継がれました。最初に神殿建設に着手したのは、初代ローマ皇帝アウグストゥス。 ローマの最高神ジュピター(ユピテル)と先住民が信仰する土着の天空神バール・ハダドを融合した神殿建設を構想し、紀元60年ごろ、ネロ皇帝の時代にジュピター神殿が完成しました。基壇の幅54m、奥行き90mの神殿は世界一といわれ、アテネのパルテノン神殿よりも大きいものでした。 ●300年の歳月 その後も着々と工事が進められ、 2世紀中ごろには大小の祭壇を持つ大中庭や128本の列柱、バッカス神殿、六角形の前庭などが相次いで完成、3世紀初めにはヴィーナス神殿もできました。 ローマ帝国が威信をかけた神殿域は総面積56万平方m。300年の歳月をかけて天地創造の最高神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナスのローマ3大神を祀る古代ローマ帝国内最大の聖地が誕生したのです。 ちなみに、バールはベル神、ベックはベカー高原を意味します。 ●破壊の歴史しかし、紀元391年、コンスタンティヌス帝がキリスト教をローマ国教に決めると、土着の信仰神を融合させた聖地は好ましく思われなくなりました。神殿建設は中断、ジュピター神殿は一部が破壊され、大中庭には教会が建てられました。 その後も7世紀にはイスラム教徒による破壊、1759には大地震による崩壊、近年の内戦などで神殿群は繰り返し大きな痛手を受けました。バールベックが「破壊の歴史の博物館」といわれるのもそのためなのです。 ●ジュピター神殿 昼食後、はやる気持ちで神殿に向いました。階段を上り、3世紀前半のカラカラ帝の時代に完成した前門(ポロピュライア)から、ヘレニズム期建築の代表とされるジュピター(ユピテル)神殿へと入場。 世界最大の神殿は前門、六角形の前庭、大庭園、大神殿で構成されていましたが、1759年の地震で神殿はかなり崩壊しました。 ●六角形の前庭前門を入ってすぐに前庭があり、紀元250年ころに造営された六角形の前庭が隣接しています。六角形は先住民の様式を採用したものです。見事な装飾を施した石材がところかまわず、無造作に転がっています。 さらに進むと大庭園。150年に造営されころはエジプト産花崗岩の列柱128本で囲まれていたそうで、中央に大小2つの犠牲祭壇があります。ジュピター神に生け贄が捧げられた場所で、近くには生け贄の動物を清めた池がありました。 ●6本の列柱階段を上ると、神殿のシンボルである6本の列柱が青空に向かって屹立していました。ジュピター神殿を支えていた62本の円柱のうち現存するのはこの6本だけ。円柱は直径2mあまり、高さ20mほど。柱頭にはアカンサスの葉をモチーフにした装飾が施されています。 見上げると、柱と柱をつなぎ合わせるため、柱頭の上に乗せた長押(なげし)にも見事な彫刻。そここに崩れ落ちている長押は高さが2m以上もあり、ライオンの頭や花どの浮き彫りが鮮やかです。 ●バッカス神殿 ジュピター神殿から坂道を下ると、そこには2つめのバッカス神殿があります。間口34m、奥行き69mで、基壇の高さは5m。神殿の周りを高さ17mの円柱42本が囲んでいました。 紀元150年ころに完成。屋根以外はほぼ原形をとどめており、現存する神殿の中で最も保存状態が良く、ギリシャ・アテネのパルテノン神殿をしのぐといわれています。 ●精緻な彫刻幅54m、高さ8mの階段を上ったところが入り口で、最上段にある円柱の上には精緻な彫刻が施された幅5.3mの長押(なげし)が据えられています。ここがバッカス神殿であることは、柱に酔人とその周りに描かれたブドウが証明しました。 内部の壁や柱の上部には神や動植物など様々な浮き彫りが施されています。また、地震で崩落した天井には、ワシと天使の図、矢を持つダイアナの図などの彫刻がありました。内部の正面に神体を安置する至聖所に通じる33段の階段があります。 ●痛ましい長押時間をかけて内部を見渡すと、いろいろなものが見えてきます。ウィリアム2世のプレート、ドイツとトルコの同意の碑(何に同意したかわかりませんが…)、修復工事に携わった人の落書き(サイン?)など、なかなかおもしろいものです。 神殿は土中に埋まっていたのが幸いして、いまに原型を伝えてくれています。ジュピター神殿でもそうでしたが、崩落した長押があちこちに散乱している風景は痛ましい限りです。 ●水道橋も 遺跡の中には10m以上もある巨石を利用して雪解け水を運んだ水道橋があり、繋ぎ目のない1枚岩がふんだんに使われているのには驚かされます。 637年にイスラム教徒に侵略され、要塞に造り替えられた歴史も伺えました。広大な遺跡を2時間や3時間で観光するのは忙しすぎます。「もっと見たい」と思いますが、団体旅行ではかなわない話です。 ![]() ●ヴィーナス神殿 後ろ髪を引かれる思いで神殿を出ると、3つ目のヴィーナス神殿が道路を隔てた向かいに崩落の姿をさらしていました。3世紀初めの創建といわれる八角形の小さな神殿。派手な装飾のバロック風至聖所がある他はほとんど原形をとどめません。かつては地下でバッカス神殿とつながっていました。 至聖所には貝殻から誕生するヴィーナスの図柄が描かれています。イタリアのウフィッツ美術館に展示されている ボッティチェリのヴィーナス誕生も貝殻からです。遺跡は現在も発掘調査中で、復元図が展示されていました。 ●ベカー高原 神殿群に再会し、集合写真を撮ってベイルートへ引き返しました。観光客が少なくて、見たいと思っていたところはほぼ一巡できました。バスはベカー高原をひた走り。斜面に立つ瀟洒な建物は成金の別荘。サウジアラビアからの避暑客が多いそうです。 レバノンとシリアにまたがる全長約120km、平均幅16kmの高原は、東側はアンティ・レバノン山脈、西側はレバノン山脈にはさまれています。以前、シリアのトリポリから日帰り観光したことがあるので、全長を走破したことになります。 ●好天に恵まれ 17:00、30kmあまり走ってホテル「クラウンプラザ」に到着。レバノンは今夜限り。明日はキプロスへ向かうので、ガイドのシルビアさんが別れの挨拶。4日間は好天に恵まれて楽しい観光ができました。シルビアさん、ありがとう。 |
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