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◎6月9日(土)晴 (9日目) トビリシ→(アルメニア国境)→エレバン泊 ●今日の予定 きょうはトビリシを去り、アルメニアへ入ります。エレバンへの途中、ハフパット修道院とサナヒン修道院を見学の予定です。 5:00、起床。体温は36.3度。今朝も元気に迎えられました。妻の腰痛も大丈夫。ありがたいことです。曇り空ですが、昨朝よりは明るく、マハタの丘のアンチスハティ教会やナリカラの要塞がよく望めます。 ●マハタとナリカラ クワ川を挟んでムタツミンダの反対側あるのがマハタの丘。山頂にはラフタング・ゴルガサール王の命のよって建てられた5世紀創建のアンチスハティ教会があります。 ナリカラはクワ川右岸の山上にある4世紀から16世紀の砦。19世紀には火災で建物が消失しました。いまは旧市街の展望所として人気があります。何度も眺めた丘や要塞ですが、それももうすぐお別れ。3日間、毎朝眺めた風景なので離れがたい思いです。 ●地下にパイプ8:00、スタート。アルメニアのエレバンまで 280kmのドライブです。郊外に出ると、満開の黄色い花(ウサギの箒)があちこちに群生、その奥にロシア軍兵舎の廃墟。ロシア時代の廃墟…何度、目にしたことでしょう。 オレンジの灯が点々と灯る場所がありました。バクー→トビリシ→トルコへと通じる石油パイプラインが地下に埋まっていることを示す表示灯です。 ●失業率20% グルジアで滞在中、暇をもてあましたようにぶらぶらしている男性を多く見かけました。実質失業率が20%と聞いて同情したものです。民族紛争などによる経済の疲弊から立ち直れないのでしょうか。1995年に独自の通過、ラリを導入して経済が好転したといわれているのですが…。 2005年にパイプラインが完成して、石油資源の輸送拠点としての成長が期待されているようですが、その経済効果はまだ浸透していないように見受けました。 ●グルジア側国境 9:10、グルジア側国境の町、サダロフに到着しました。すぐ横に流れるデベト川。川向こうはアルメニアです。 野菜の直売所も出ています。近所の農家のおじさん、おばさんたちでしょう。数人がトマトやリンゴを買おうと硬貨を出したら受け取りません。紙幣を出した先客には笑顔で売っていました。硬貨を信用しいない様子。ラリの残りを使い切ろうとの作戦は失敗でした。 ●割り込み しばらく待って出国手続きの開始。スーツケースを押して1か所だけある窓口に並びました。ゆっくりした作業。一行の後ろにも現地の人らしい列ができ、いらいらした様子です。たまりかねたように男性が割り込みました。 周りには係官がいますが、ヒマワリの種を口に入れ、殻をポイと吐き出すだけ。咎めようとはしません。そのうち、今度は家族連れが割り込みを図りましたが、みんなの「ノー、ノー」で諦めました。国境ではよくある光景です。 ●マカさんに別れ11:15、ようやく出国。キリストのイコンによく似た顔立ち、いつも物静かだったマカさんとはここでお別れです。ありがとうマカさん。 スーツケースを100mほど引っ張った先にアルメニアの国境があります。グラタシュンという町です。「こんにちは」。日本語で明るく迎えてくれたガイドさんは、1960年代のファッション雑誌から抜け出してきたような令嬢風スタイルでした。 《以下、プラス1時間のアルメニア時間で表記》 ●国境越え 入国事務所で査証の発給をしてもらいます。アルメニアは現地発給で1人30j。パスポートを預け、迎えの大型バスに乗って査証が取得できるまで待ちました。12:20、やっと入国が許されました。国境越えに要したのは約3時間。まずまずでした。 その間に令嬢風ガイドは上手な日本語で自己紹介。名乗った後「アルメニアの名前は難しいです。私の名前はバラという意味ですから、これからバラと呼んでください」と笑わせました。 ●バラさんバラさんはエレバン大学卒。2005年の愛知万博に参加したアルメニアのパビリオンでコンパニオンをつとめ、その後、埼玉県で留学生活を送ったそうです。今年9月にも旅行博に参加するアルメニア代表の一員として1週間、日本を訪れるといっていました。 コーカサスの人には珍しく、つば広の帽子を被り、しゃれた日傘を持っています。「これ、日本で買いました」と得意気です。 ●両替せず アルメニアも米ドルで買い物ができるというので、現地通貨に両替しないことにしました。ちなみに1jは345ドラム、日本円に換算すると1ドラムは0.35円というのが現在の相場でした。 自分たちはグルジアでも両替しなかったので、3国とも現地通貨のお世話にならずじまい、ということになります。こんなことは初めての体験です。 ●アルメニアという国 最後の訪問国となったアルメニアは、西アジアにある共和国です。グルジア、アゼルバイジャンのほか、イランやトルコと国境を接し、南西部にはアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェバニ自治共和国を抱えています。 面積は2万9800平方km。日本のわずか13分の1で、東京都と千葉県を合わせたほど。旧ソ連邦の中では最小でした。 ●世界で最初 人口約325万人のほとんどがアルメニア人で、他にはアゼルバイジャン人、クルド人、ロシア人が少数住んでいます。 公用語はアルメニア語、宗教はキリスト教(アルメニア正教)です。アルメニアは301年、世界で最初にキリスト教を国教にしました。首都は最大都市のエレバン、サマータイム中なので日本との時差はマイナス4時間、通貨はドラムです。 ●国の歩み アルメニアはカスピ海と黒海に挟まれた内陸にあります。商才に長けたアルメニア人は紀元前6世紀ごろ、すでに国境を越えた商業活動を活発に展開。紀元前1世紀には大アルメニア王国(ウラルトゥ王国)を築いて繁栄しました。キリスト教が布教したのはそのころからです。 しかし、内陸部という地理的な条件もあって、絶えず外部から侵略されました。アラブやモンゴルの侵攻が繰り返されて荒廃。そのため、多くのアルメニア人が異教徒の支配を受けたり、故国を捨てたり、あるいは抗戦して虐殺されたりするという悲惨な歴史を歩みました。アルメニア人が離散の民(ディアスポラ)といわれるのもそのためです。エレバンには虐殺博物館があるほどです。 ●隣国との紛争 1936年に旧ソ連邦を構成するアルメニア社会主義共和国として独立しましたが、1988には隣国アゼルバイジャンにあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニア人の帰属問題が起こって紛争となり、いまも尾を引いています。旅行者は両国間の出入国ができません。このことはアゼルバイジャンでも耳にタコができるほど聞かされました。 現在のアルメニアはアゼルバイジャン、グルジアと同じく旧ソ連邦の崩壊後に真の独立を果たしました。 ●アルメニア事情 アルメニアに関するその他のことは、後に触れることにして先を急ぎます。バラさんのアルメニア事情の説明が始まりました。 @一番の産業は古来からの宝石の加工。ユダヤ人からダイヤモンドなどを仕入れ、それを加工してベルギーやオランダ、ドイツなどへ輸入しています。A政情は比較的安定。今後はアゼルバイジャンやトルコと友好関係を保つことが懸案。B識字率は100%。C日本への年間輸出額は4000万円ほど。そんな内容です。 ●山岳地帯バスは緩やかな坂を上り続けています。両側には荒々しい岩山が迫っています。穏やかだったグルジアの山とは様相が変わりました。アルメニアは平均標高が1800mという山岳と高原の国。平地は国土の20%。耕地の少ない厳しい環境です。 河川は網の目のように流れていますが、山岳なので急流や滝が多く、またセバン湖などの湖が数多く点在しています。 ●ハフパット修道院(世界遺産)12:50、アルメニア最初の観光地、ハフパット修道院に到着しました。アルメニア北部のトゥマニャン地方にあります。「強固な壁」を意味するだけあって、見るからに頑丈そうな建物です。 修道院の建設が始まったのはバグラトゥニ朝時代の10世紀後半。アショト3世によって進められました。11世紀から13世紀にかけて増築され、現在の姿になりました。「 ウラルトゥ王国ハフパットの聖十字架」とも呼ばれ、最盛期には500人ほどの修道士がいたそうです。●完璧な状態 小径を上ると、聖グレゴル教会が姿を現しました。火山岩を切石にして積み上げた威厳に満ちた建物です。境内には図書館や鐘楼、僧院などの付属建物がほぼ完璧な状態で残ってます。 バラさんの案内でいくつかの建物を見学しました。聖グレゴル教会は祭壇の前が広くなっていて、中央には暖炉用という穴があ りました。アルメニアの一般家庭とよく似た構造という説明でした。●石棺踏んで 院内にはフレスコ画が描かれ、石壁には修道僧が彫ったレリーフ、十字架の石碑(ハチュカル)が見られます。床には石棺が敷き詰めたように並び、それを踏んづけながらの見学。いささか心が痛みます。 おそるおそる歩く様子を見て「気にすることはありません」とバラさん。修道士たちは亡骸になっても人に尽くす精神で、自ら踏みつけられることを望んだのだから、といいました。 ●地下に書庫どの建物も石壁に修道僧が彫ったレリーフや文字が見られ、床には石棺が敷き詰めてあります。内部は小さな窓から日が差すだけ。写真撮影はOKですが、暗すぎて思うようにはいきません。 床に直径30-40cmの穴が並んだ部屋があります。ワイン蔵?。だれもがそう思うような造りですが、異教徒に襲われた場合に備えて、貴重な図書を地下に隠しました。穴は教会の歴史を物語る証人というわけ。 ●屋根に野草アルメニアでも最も保存状態がよい修道院と評価されているだけに、内部の壁や石柱に崩れは見られません。何度も地震に襲われましたが、びくともしなかったとのこと。教会の三角屋根には野草が生え、白い花を咲かせて爽やかな風に揺れていました。 旅番組のTVレポーターならずとも「歴史を感じるぅ〜」と声を上げたくなるような修道院でした。ハフパット修道院は近くにあるサナヒン修道院と抱き合わせて1996年、世界遺産に登録されました。 ●ブタの産地 13:45になり、バスはレストランへと急ぎます。山沿いに建ち並ぶ石造りの住宅やアパートは、どれもトタン屋根。積雪の厳しい冬を想像させます。 下り坂でバスが減速。おやっ?と思ったらブタの親子が直前を横切りました。北部のアラヴェルディ周辺はブタの産地で「ブタはいつも外にいます」ということでした。 ●銅の産地前方に見える町が白煙に覆われています。場違いのような巨大煙突がもくもくと煙を吐いていました。アラヴェルディは銅の産地。煙突は工場のものでした。 町を見下ろすレストランで昼食。生産地らしくブタのケバブが登場です。バラさん自慢のブタは絶品でした。 ●百万本のバラ食事半ばに男性2人の合奏が始まりました。1人は見慣れない楽器を奏で、1人はボーカルを担当。日本人の好みを熟知しているようで「走れトロイカ」や「百万本のバラ」が披露されました。 いつ聴けるかと思っていた百万本のバラ。本家のグルジアでは機会がなく、国境を越えてようやく聴けました。「百万本のバラの花を あなたに あなたに あなたにあげる」の歌詞を日本語で歌ってくれるサービスぶりでした。 ●山間の集落15:30、サナヒン修道院へ向かいました。山岳の国、アルメニアらしい風景が車窓を過ぎります。眼下に深い山間に抱かれた集落が見えます。「平地は少ない」と説明したバラさんの話が実感できる光景です。山容はやや穏やかになって、緑が増えてきました。 車内ではバラさんの日本体験記が披露され、失敗談が笑いを誘っています。広がる青空がみんなを明るくしてくれました。 ●サナヒン修道院20分ばかりでアラヴェルディ市に建つサナヒン修道院に到着。高台に建っているので、見上げても三角屋根をのぞかせているだけ。墓地の脇道を少し上ったら、屋根全体が野草に覆われ、苔むした修道院が姿を現しました。まさに古色蒼然。名前通りの「古い修道院」でした。 修道院の建立は10世紀。この地を治めていたタシル・ツォラグト朝の庇護を受けて、モンゴルが侵入する13世紀まで中世アルメニアの学問、芸術の中心でした。 ●石柱に彫りもの敷地内には聖アストヴァツァツィン教会(951年建造)や鐘楼、聖グレゴルの礼拝堂、石柱の回廊、図書館などがあります。長い歳月をかけて完成した修道院は、時代ごとの建築様式が融合されており、ハフパット修道院と一緒に世界遺産に登録されています。 ハフパット修道院と同じように床には石棺、石柱や壁には修道士のレリーフ、図書を隠した床穴などが見られました。ここも内部の写真撮影はOKです。 ●廃墟の工場群16:30、今夜からの宿泊地、エレバンを目ざします。走っても走っても山ばかり。そんな風景がしばらく続いた後、異様な光景が車窓に映し出されました。国内第3の町、ヴァナゾルの工場群です。 工場群とはいっても大半は廃墟。石造りの建物、錆び付いた鉄管、ぼろぼろになった機器…の光景が延々と続いています。これらのすべては旧ソ連時代の負の遺産。 ●貴重な平地 ゴーストタウンさながらの光景ですが、かつては靴や洋服、セメント、機械の生産、銅や亜鉛の精錬で活況を呈していたそうです。ロシアの関連企業が撤退した後は、数本の煙突から煙が吐き出されているだけ。 平地の面積がわずか20%というアルメニアにあって、ここは貴重な平地の一部。手のつけようがない広大な廃墟に、ロシアも罪作りなことをしたものだ、と思わずにはいられませんでした。●草原の花々 町を過ぎてもなだらかな草原が広がって、菜の花が満開です。野花も競うように咲き乱れています。紫や黄色の花が咲く草原でバスを止めてもらいました。ひと息入れるには格好な場所です。 令嬢風のバラさんがモデル役。「花咲く草原と美女」は絵はがきのようでした。彼女はつば広の帽子と日傘の二重日除け。日焼けには格別気をつけているようです。 ●晴天に感謝草原には牛の大群が放牧され、ビロードのような緑の山肌が疲れをほぐしてくれます。山ばかりと思っていたアルメニアにもこのような長閑な風景が見られる…。嬉しくなってきました。 旅は天気次第。グルジアでは雨にたたられ通しだったので、ことのほか晴天のありがたみを感じます。 ●アラガツ山予告なしにバスがストップ。「アラガツ山が見えます」と、バラさんは草原の彼方を指さしました。 雪を頂いた峰が連なっています。アラガツ山(4090m)は国内の最高峰。大きな外輪山で南峰(3879m)、北峰(4090m)、東峰(3901m)、西峰(4080m)の4つのピークで構成されています。3200m地点にはカリという湖があります。 ●ラッキー かなり遠方ではありますが、頂上まですっきり見えます。昨日、バラさんが案内した日本人グループは見られなかったそうです。好天なればこそのお恵みに感謝です。 「みなさんはラッキーです」と、嬉しいことをいってくれるバラさんですが、彼女の国内最高峰はアララト山なのです。これについては、後に触れることにします。 ●ポピー群生アラガツ山を道連れにしたドライブもエレバンに近くなっていました。郊外の草原にポピーの群生があって、またまた写真タイム。妻はアラガツ山を背景にしたポピーに狙いを定めて、逆光に挑戦していました。 少し走ったら古ぼけたアパートが密集する地域に。うら寂しさが漂うエレバンの町はずれです。19:50、町の中心に近いホテル「メトロポール」に到着しました。 ●広い部屋 メトロポールは4つ星。今夜から3泊します。すぐに夕食。奥のテーブルを占拠していたのは40人ばかりの女性軍。同窓会らしのですが、いずれ劣らぬ超肥満。興がのって踊り出すと、床が揺れたように感じました。料理は美味しかったです。 部屋が広いのでスーツケースを広げるのが楽です。今回の旅行では部屋が狭くて困ったということは1度もありません。また、食事時やホテル、また旅行会社からも水がサービスされるので、うがいに使っても買わずにすんでいます。22:10、コーカサスへ来て初めて星を見ました。 ●エレバン エレバンはアルメニア中西部にある同国の首都です。トルコ国境近くのアラクス川沿いに拓けた町で人口は130万人。国内最大の都市で、化学や金属、機械、ゴム製品、プラスチック、織物、食品加工などの工業が盛ん。郊外では果樹園やブドウ園が広がる田園風景が見られます。 町は紀元前8世紀にウラルトゥ王国の要塞(エレブニ)が築かれ、ヨーロッパとインドを結ぶ交易路の中継地として栄えました。アルメニアでも古い町の一つで、ローマ時代の要塞をはじめ、16世紀のトルコの堡塁、18世紀のモスクなどが残っています。 ●姉妹都市 市内にはバラさんが卒業したエレバン大学、アルメニア科学アカデミー、マテナダラン古文書館、歴史博物館、オペラハウスなど多くの文化施設もあります。 現在、フランスのリヨン、ロシアのサンクト・ペテルブルク、スロバキアのプラスチラバなど25都市と姉妹都市の縁結びをしています。日本の都市はないそうですが、日本に友好協会があります。 |
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