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◎3月19日(金)晴 (9日目) ンゴロゴロ→アリューシャ→マナンガ(タンザニアとケニアの国境)→アンボセリ泊 ●クレーターに霧 今日はンゴロンゴロを後にし、国境を越えてケニアに戻ります。サファリカーで300kmほどのしんどいドライブになりそう。6:30、朝食。食事中、外輪山にかかる雲がうっすらとピンクの化粧をしたものの、それでおしまい。クレーター内には霧が立ちこめていました。東の上空は青空にまだら模様の雲。今日も好天。8:00、「ジャンボ」の明るい声で発車。ドライバーは愉快なロバート。濃霧の外輪山をポレポレで進みます。アフリカの天気をロバートは「カメレオン天気」と表現しました。雨期は目まぐるしく変化するからです。 ●日本も援助30分ほど走ると、セレンゲティとアリューシャへの分かれ道。霧が薄くなって、前方にバブーンの群れが見えました。親子もいれば、路上で毛繕いをしているものもいます。車を怖れる様子がないので、ロバートは超ポレポレで通過しました。 8:50、自然保護区のゲートを出ました。その先に工事半ばの赤土道路が延びています。ツルハシやスコップを手にやって来る集団は、道路工事の作業員たちです。ンゴロンゴロ−アリューシャ間215kmの新設道路のうちの30kmを日本が援助して、いま工事の真っ最中。 ●タンザニアの農業 標高1500m付近まで下がってくると農地が目立ってきました。トウモロコシ畑が断然多く、リュウゼツランのような植物も見かけます。タンザニアの経済を支えるのは農業。全輸出額の13%以上を農産物が占めています。なかでもサイザル麻と香辛料のチョウジは世界最大の生産国。 車窓から見かけるリュウゼツランのような植物がサイザルで麻の原料になります。チョウジはフトモモ科の常緑樹。ザンジバル島とペンバ島で栽培されており、両島で世界の生産高の大半を産出します。キリマンジャロ南麓を中心に栽培されているコーヒー豆も年に6万トン以上の収量を上げているそうです。 ●木工業盛ん十字架を先頭にした集団は、金曜ミサのために教会へ向かう一団です。退屈させない沿線風景を揺れに任せて眺めています。4人のドライバーはアリューシャ在住なので、国境でお別れということになります。世話になったロバートには日の丸の入った扇子をプレゼントしました。 9:10、カラツという町で給油のためストップ。裸足の子供たち数人が「ペン、ペン」と集まってきました。この辺りは木工業が盛んなようで、沿線には製材所や家具製造の風景が見られます。 ●舗装道路再出発の直後、道路の舗装工事現場に日本人男性がいました。近くの土産物店でしばらく休憩。マサイ族の首飾りや布、木彫り製品、楽器などが並んだ大きな店でした。商店の前を走る立派な舗装道路はjaicaの援助で開通したもの。 おかげでひどい揺れもなく、時間も短縮されて快適にドライブしていますが、この道路がもたらす影響は少なくないはず。静かな山村にトラックなどがうなりをあげる日も遠くないでしょう。 ●バオバブの木やがてマニヤラ湖が見え、その先で車がストップしました。枝を広げた大木があちこちに立っています。ずんぐりした体型のバオバブでした。東アフリカでバオバブが密生しているのはこの周辺に限られるそうです。 バオバブの木は種類が多く、南アフリカで見たのとはかなり違っていました。バオバブの木といえばサン・テグジュペリの小説「星の王子さま」にも登場する馴染みの木。確か、小さな星が大きなバオバブの木に覆われないように、王子さまが毎朝バオバブの芽を摘みとる、という内容だったように記憶しています。 ●不時着セスナ機 さらに進むと、機体を損傷したセスナ機が道路際に横たわっていました。聞くところによると、17日にアリューシャからセレンゲティへ向かう途中で不時着した、ということです。乗客は無事だったようですが、14日には自分たちも同じような機種で飛んだので、惨事の現場にはぞっとしました。ちょうど、牽引車に乗せて移動する準備だったので、数人が作業風景にカメラを向けたら「写真を撮るなら金を出せ」とすごまれました。 ●痩せたマサイ牛10:50、ナイロビに通じる幹線道路を左折して、アリューシャへ向かいます。日が差してきて緑がまぶしいほど。赤い布をまとったマサイの男たちが棒を手に牛を追っています。背中が盛り上がったマサイ牛はどれも痩せ気味。栄養のある餌が少ないからか?。これまでも何度か食べましたがは堅たい肉でした。 トウモロコシ畑では種まきの真っ最中。畑を耕す牛の後に数人 の男たちが従って種をまいて行きます。●沿道の風景 沿道に槍や棒を持った男たちがいて、車を止めようと合図を送っています。写真のモデル代稼ぎです。また、車に向かって手を差し出す子供たち。これは「何かちょうだい」の類。 頭上に荷を載せて歩く女性、スカーフをかぶった女性の一団。キリスト教徒が多い国ですが、イスラム教徒もわずかながらいます。そんな風景を退屈することなく眺めていました。 ●安い空港売店 12:15、右手にアリューシャの空港が見えてきました。14日にここから空路、セレンゲティへ向かったのです。「空港の売店は安かったね」とは買い物好きの会話。 あちこちで買い物をしたり、品定めをしたのですが、ここが一番安かったというのです。車内からは「もう一度立ち寄って」などの冗談も飛び出しました。 ●窓にロック 空港を通過したら道路に凹凸の障害物が続々。その度に車はスピードを緩め、ガックンと越えて行きます。徐々にアリューシャ市内が近くなり、人通りもめっきり増えてきました。 「窓をロックしてください」。ロバートはいつになく真剣な表情です。戸外の人に向かってカメラを向けてもいけないと注意します。障害物で減速したら、ふいにドアを開けられたり、写真を撮ったといって因縁をつけられたりするから、と言います。アリューシャの治安の悪さを改めて知らされた思いです。 ●商店に鉄格子沿道には黄色い花、カッシャと情熱的なアフリカンディゴの並木が続いています。先日泊まったホテルが見えて、車は市内の中心部に入りました。減速する車にうさんくさそうな視線が注がれます。 商店には防犯用の鉄格子がはめられて、お巡りさんが所々に立って警備。「早く通り過ぎてくれ」と祈りたいような険悪なムードを体感しました。 ●外国の要人路上の障害物がなくなり、人影もまばらになって、ようやく緊張から解放されました。13:00、町はずれのレストランで昼食。花に囲まれた野外のレストランは涼風があって気分は爽快でしたが、料理はお粗末でした。 食後、みんなの要望でキリマンジャロ・コーヒー店に立ち寄る予定でしたが、ドイツから要人が来訪するため、遅くなると道路が閉鎖されるかも知れないとの情報で、取りやめになりました。 ●キリマンジャロ・コーヒー 「残念ね」。そんな声があちこちのテーブルから漏れます。キリマンジャロ・コーヒーはアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5895m)の山麓で栽培されています。高地で産出されるコーヒー豆は、昼は太陽の光をいっぱいに受け、夜は厳しく冷え込む環境で育てられて香しさと酸味が特徴です。 多くの人に愛好されているので「土産にするならこれ」と決めていたようです。日本でも販売されており、200gで800円から1000円ほどするらしい、と聞きました。 ●風景が一変 13:50、国境の町、ナマンガへ向けてスタート。1時間ほど眠っている間に沿線の風景はがらりと変わっていました。緑豊だった農村風景は消え、アカシアの木が茂る疎林地帯が広がっています。 真っ直ぐに伸びる1本道には行き交う車もなく、昼下がりの日差しがぎらぎら照りつける中をマサイの男女がテクテク歩いているだけ。 ●チータ交通死 そんな道路脇に車が止まっていました。減速した車窓にちらりと映ったのはチーターの死骸。ロバートによると、道路を横断しようとして車にはねられたに違いないといいます。 100km以上のスピードで突っ走る車。俊足チーターといえども、時にはこんな被害に遭うのです。目の前をイタチが横切ったので、またまたびっくりでした。 ●ドライバーと別れ15:50、国境に到着。14日から世話になったタンザニアのドライバー4人とはここでお別れです。40歳代にしか見えなかったロバートは55歳に近く、お孫さんもいることもわかりました。そんな身内の話も出来るようになったドライバーとの別れは辛いものです。 ロバートは日の丸の扇子がお気に入りのようで、仲間に見せて自慢そう。マイケルと並んだところを記念撮影しました。もちろん、手には扇子を持って。 ●売り手攻勢 タンザニアの車に乗り換えて、添乗員が一括で行ってくれる入国手続きを待ちます。待ってましたとばかりに車を取り巻くのは、マサイの土産物売り。窓を開けると攻勢が激しいので、暑さに耐えてじっと我慢です。 5ダラーが4ダラーになり、最後には決まって1ダラーになります。無視しては悪いと思うのですが、手にするアクセサリーや木彫りはどれも出来がいまひとつ。触手が伸びません。 ●未舗装道を疾走16:30、ケニアに入国して、最終目的地のアンボセリへと向かいます。ドライバーはジョナサン。車はこちらの方が上等です。直後、ブーゲンビリアが咲き競う売店でトイレ休憩して先を急ぎました。 未舗装のがたがた道を70、80kmのスピードで突っ走るので、時には天井に頭を打って悲鳴も聞かれます。沿道の草が息絶え絶えのようにぐったり。しばらく雨が降っていないようです。 ●動物たち歓迎 真っ青なキャンバスに沸きたつ豪快な雲。セレンゲティ、ンゴロンゴロとは、また違った勢いを感じる雲です。ジョナサンの話では、アンボセリは3月いっぱいはまったく雨が降らず、4月、5月は毎日のように降るといいます。 30分ばかり走ってアンボセリ・ナショナルパークの入り口に。園内に入ってすぐ、キリンやホロホロ鳥が道路を横断、ダチョウやインパラの群れも現れました。バッファローやゾウも歓迎してくれます。アンボセリに来て初めてサファリカーに乗った日本人を見かけました。 ●ロッジ到着ロッジへ向かうのが目的だから、動物がいても「シマウマ(シママ=ストップ)」というわけにはいきません。車は砂塵を巻き上げてひたすら走ります。 17:50、ロッジへ到着。草原の中に平屋の棟がいくつも散らばっていました。部屋番号が大きいほどキリマンジャロが見やすいといわれましたが、割り当てられたのは一行の中では若い方の51号。ロッジのすぐそばにキリマンジャロがそびえているはずですが、いまは雲の中。 ●キリマンジャロ山 アンボセリ国立公園といえば、アフリカの最高峰・キリマンジャロ山が間近に望めることで人気があります。ケニアとの国境付近にそびえる霊峰でスワヒリ語では「かがやく山」の意味です。 東南東の方向に楕円形に広がり、西からシラー峰(3962m)、最高点のキボ峰(5895m)とマウェンジ峰(5149m)の3つの峰が繋がっています。赤道直下にありながら山頂部は万年雪におおわれ、1889年にはドイツの地理学者ハンス・マイヤーらが初登頂に成功しました。日本人にも人気が高く、1966年(昭和41)に故植村直己さんが登ったのをはじめ、多くの登山家が登頂しています。 ●タンザニアの山 その周辺は国立公園に指定され、世界自然遺産にも登録されています。キリマンジャロ山自体はタンザニア北東部に位置しているのですが、北側のアンボセリ国立公園から見る姿がもっとも美しいといわれます。 キリマンジャロ山といえばアンボセリという具合なので、ケニアにある山とばかり思っている人も少なくありません。 ●「キリマンジャロの雪」 キリマンジャロ山はアメリカのアーネスト・ヘミングウェイが1938に発表した短編小説で一躍、世界に知られるようになりました。 1936年、34歳のヘミングウェイは夫人とともに東アフリカ狩猟の旅をしました。小説は5カ月間の滞在中に書かれたもので、キリマンジャロ山のことを「世界そのもののように広大で、巨大で、高く、信じられないほどの白さに輝く」と称えています。 ●部屋の周囲に猿部屋の周りにはどこからか忍び込んできたベルベットモンキー(サバンナモンキー)がうようよ。部屋にも入り込んでくるのでは、と思われるほどの数です。スタブ・スターリンと呼ぶブルーの小鳥たちもたくさん舞い降りて草むらをつついていました。 部屋は広く、設備もまずまず。蚊帳も用意されています。ロッジはどこも清潔で文句のつけようがありません。自然の中に設けられた宿舎がこれほど整っているとは想像外でした。 ●頂上が見えた 部屋は10:00から12:00、14:00から17:00までの間、停電するそうですが、湯は24時間出るというので安心。シャワーを浴び、周辺の様子を見ようと戸外に出てみました。 「キリマンジャロが見えますよ」。先に散歩中のNさんに言われて、前方を仰ぐと雲と雲の間から真っ白なテーブルが見えました。18:45。手持ちでカメラを構えましたが、薄暮状態なので大ブレは間違いないでしょう。瞬時、それも山頂付近だけのお披露目でしたが、初めて目にし たキリマンジャロは想像した通り風格のある山容です。●弱電防護柵 ロッジの周辺は弱電を通じた電線が張り巡らされています。動物が近寄れないための防護柵です。その奥には広大な草原が広がっており、ゾウやバッファローが夕餉の時を迎えてうごめいています。このロッジにもマサイの赤い布をまとい、棒を手にしたガードマンがいました。 51号はキリマンジャロを眺めるには条件が良くない部屋と聞かされていましたが、そんなことはなく、どかんと構える山容が目前にありました。 ●草原の星空 荷物専用車で運んでくれたスーツケースは砂埃にまみれ、中にまで砂塵が入り込んでいました。拭き取るのも大変なほどの砂埃。おそらく窓を開け放して走ってきたのでしょう。 19:30、ビュッフェ式の夕食。パスタ、チキン、パンなどすべて美味しく、サファリカーでの長距離移動で疲れているのに食欲は旺盛でした。でも、腰は痛く、肩も凝っています。部屋に戻る途中に見上げた草原の夜空は星の煌めきが満ちていました。 |
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