SHIZA旅のページメルマガ過去ログ(1/35)
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SHIZA旅のページメルマガ(イ島3ラノララック)
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修正]
SHIZA旅のページメルマガ(イ島3ラノララック)
発信地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2004.11.15 20:22作成2004.11.21 2:09貼付
2004.12.3 16:00配信予定
注:イースター島旅行記の続きです。
イースター島は9.19から9.25まで滞在。
現在は、ブラジルを旅行予定。お間違いないようお願いします。
(イースター島旅行記は、毎週金曜日午後4時配信予定)
イースター島に着いて3日目。
この日は、レンタカーを借りて島内を一周した。
左ハンドルの車は、はじめて運転した。
マニアル車だから、ギアチェンジをしないといけない。
最初は、うっかり左手でギアを変えようとして、
ドアに手がぶつかった。
シフトレバーは、運転者の右側にあるのだ。
そして、車は右車線を走る。
右車線を走るのは、どうも妙な感じだ。
この日に行った場所のリストは以下の通り。
Hanga Vinapu(女性のモアイ)
Akahanga(海岸近くにある倒れたモアイ)
Rano Raraku(モアイ製造工場:おすすめ)
Ahu Tongariki(15体のモアイ:おすすめ)
Ahu Hanga Hoonu(地球のヘソ)
Ovahe(ビーチに立つモアイ)
やはり、一番の見所は、Rano Raraku(ラノララック)だろう。
ここは、山の斜面に、タケノコのようにモアイが生えているのだ。
そして、岩から切り出される過程で、打ち捨てられたモアイもある。
日本のテレビなどで見る、モアイの映像は、ここのものだろう。
ここでモアイ像が製作さていたのは10世紀から11世紀にかけて、
と、言われている。
ここには、400体近いモアイ像があるという。
そのモアイが、あるものは、岩から切り出される途中で、
あるものは、土に半分埋まった状態で、
あるものは、斜めに傾いだ状態で、ここに放置されているのだ。
それにしても、打ち捨てられたようなモアイって妙に哀しい。
何故、忘れ去られてしまったんだろう。
岩を切り出して具現化された「見えない伝説」。
それなのに、この巨大なモアイ像を打ち捨ててしまったのか。
どれだけの人たちが、このモアイ像を刻むために働いたのだろう。
それなのに、打ち捨てられてしまった。
いや、もしかしたら、すごく努力をしたからこそ、
(あまりにも、無理をしたからこそ)
その反動で急激に魅力が無くなってしまったのかもしれない。
高揚した気分が、一気に地に落ちるように…
(一説によると。食料や燃料不足などによって、島内で争いが起こり、
モアイを作ることが出来なくなったという)
そして、その哀愁があるから、今こうして見るモアイは、
魅力があるのかもしれない。
打ち捨てられた、かなしさ。
忘れ去られた、さみしさ。
日本人がモアイに惹かれる大きな理由が、
この、「かなしさ」や「さみしさ」なのでないだろうか。
さて、ラノララックの次は、Ahu Tongariki(アフトンガリキ)。
ここは、海岸近くに、15体のモアイが並んだ様が圧巻だ。
このモアイ像は、日本の民間企業が建てたという。
(こういう復元がなされるまでは、
島内のモアイ像は、倒されたままで放置されていたのだ)
これだけのモアイ像が、並んでいるのは壮観だ。
しかし、こうなってしまうと人工的な力が表面に出てきて
「かなしさ」や「さみしさ」が減衰してしまう。
復元した遺跡を見るときの、不思議な違和感を
ここでもかすかに感じる。
さて、この15体のモアイも、島の内側を見ている。
まるで、この島を見守っているように。
ふと、この太平洋の孤島に住んでいる人たちは、
島の外から、「外敵」がやってくるという概念を
持っていなかったのではないか?と考えた。
絶海の孤島に、「外敵」がやってくる可能性は極めて低い。
一番近い島まで数千キロ。
そして、この島は周囲58キロ程しかない。
このような小さな島に到達するのは至難の業だろう。
だから、「外敵」という概念は少なかったのかもしれない。
その代わりの「敵」は、島の内部にいる人たち。
少ない樹木。やせた土地。
そこからは、十分な食料を得ることが難しい。
食料を奪い合う「敵」を恫喝するために、
モアイは島内を眺めるように立っているのだろうか。
一緒に住む仲間が「敵」だという、やるせなさ。
それは、私が食料を奪い合って争う必要が無い社会にいるけれど、
秩序が乱れたときには、相争うハメになるかもしれないという運命。
そんな運命を、かすかに感じさせる。
絶海の孤島は、まるで宇宙に浮かぶ惑星のようだ。
巨石文明も、伝説も、繁栄も。
いつかは、忘れ去られてしまう島。
巨大なモアイの影に潜む、やるせなさ。
それがあるからこそ、この島が一層魅力的になるのかもしれなかった。
クリックすると写真が表示されるはずです。(ラノララック)
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/easter02.jpg
クリックすると写真が表示されるはずです。(アフトンガリキ)
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/easter03.jpg
SHIZA旅のページメルマガ(バモス!ブラジル)
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修正]
SHIZA旅のページメルマガ(バモス!ブラジル)
発信地:アスンシオン(パラグアイ)
2004.12.02 17:13作成 2004.12.02 18:14貼付
2004.12.03 11:00発信予定
注:バモス=Vamos(「さあ行こう」という意味のスペイン語。
映画を観ているとよく出てくる表現。英語のLet's go.にあたる)
パラグアイの首都アスンシオンは、今日も、うだるように暑い。
今日は、中央郵便局に行き、日本に宛てて荷物を送ってきた。
送ったものは、アフリカや南米で溜まった、
もう旅では必要ないが重要なもの。
例えば、お土産や、日記帳のコピーとか。
(日記を盗まれたらショックなので、コピーして送ったのだ)
そして、いよいよブラジルに向けて移動する。
その前に、「イグアス移住区」という日系人の村を見たいと思っている。
その後、イグアスの滝ブラジル側へ向かい、いよいよサンパウロへ。
私の持っているブラジルビザは、90日滞在可能なので、
ブラジルは、3ヶ月程度で旅をしようと思っている。
来年(2005年)のカーニバルは、2月5日から始まるようなので、
できれば、カーニバルを見てみたい。
(もし見ることが出来ましたら、メルマガで報告致します)
*両替レート:1USD=6110G
*宿情報:
*アスンシオン;内山田旅館:Constitucion763-757:シングル10USD
バス・トイレ、空調、朝食付き(朝食は日本食)
*エンカルナシオンの宿:
Hotel Germano:General Cabanas Carlos Antonio Lopez
日系人の方が経営していらっしゃるので、日本語可。
シングル15000Gより(約300円)。
バスターミナルより、徒歩1分ほど。
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・過去ログはこちら(melma!サイトへ)
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SHIZA旅のページメルマガ(パラグアイより)
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SHIZA旅のページメルマガ(パラグアイより)
発信地:アスンシオン(パラグアイ)
2004.12.01 19:07作成 2004.12.01 19:57貼付
2004.12.02 11:00発信予定
暑い。とにかく暑い。
そして、この纏わり付くような湿気。
アフリカのダルエスサラーム、あるいはタイのバンコクを思い出す。
街を少し歩いただけで、体中から汗が吹き出して来るようだ。
エンカルナシオンから、バスで6時間。
パラグアイの首都アスンシオンに着いた。
エンカルナシオンも暑かったが、ここ、アスンシオンも暑い。
一ヶ月前は、雪の舞うウスアイア(南米最南端)にいたことを思うと、
随分と、遠くまで来たような気がしてしまう。
暑いと困るのは、水分が欲しくなることだ。
コカコーラや、ミネラルウォータをたくさん飲んでしまう。
そのためか、食欲はあまりない。
泊まっているところは「内山田旅館」。
シングルルームで10ドル。(バストイレ、朝食付)
10ドルというと、私の換金レートで1200円。
私にとっては、結構高く感じられる。
でも、部屋にバスタブも着いているし、エアコンも付いているし、
久しぶりに素晴らしく贅沢をしている。
部屋は日本のビジネスホテルのような作り。
受付の人は、少し日本語を話す。
ここでは、郵便料金が安いということなので、荷物を日本に送る。
それからすぐに、ブラジルの「イグアスの滝」へ向かう。
コーラ190ml:1000グラーニ(20円)
水2L:3000グラーニ(60円)
エンパナーダ(肉入りパイ):1000グラーニ(20円)
1USD=6050グラーニ
クリックすると写真が表示されるはずです。
(内山田旅館の部屋)
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/paraguay01.jpg
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SHIZA旅のページメルマガ(バンドネオン)
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修正]
SHIZA旅のページメルマガ(バンドネオン)
発信地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2004.11.27 17:37作成 2004.11.28 3:09貼付
2004.11.30 11:00発信予定
(パラグアイを移動中に発信予定)
「バンドネオン」の演奏を聴きに行った。
バンドネオンというのは、アコーディオンのような形状の楽器であり、
パイプオルガンの代わりに開発された、持ち運び可能な楽器だという。
ただ、現在では、バンドネオンの生産は殆ど行なわれていないようだ。
バンドネオンの演奏会に行ったのは、11月25日の夜。
プログラムは、G.Frescobaldi,J.S.Bach,
Alejandro Barletta,G.F.Hendelなど。
パイプオルガンでよく演奏される種類の曲が多かった。
演奏会場は、古い建物で、ヨーロッパの雰囲気のある重厚な建物だ。
柱や天井の絵、室内の装飾は、パリの宮殿を思わせるものがある。
このヨーロッパの雰囲気の中で、ヨーロッパの音楽を聴くということが、
何だかとても、よい感じがした。
つまり、音楽と建築が一体化するような不思議な感覚。
さて、バンドネオンの音色は、アコーディオンのようでもあり、
それよりは、やはりちょっと深い感じもする。
曲目が、主としてパイプオルガンで演奏されるものであるためか、
パイプオルガンのある情景を思い出してしまう。
地の底から響く音が、パイプオルガンだとすると、
天上から響いてくるような感じがバンドネオンだ。
(天井に描かれた美しい絵に、私は見入ってしまう)
そして、私はこの音楽を聴いていて、
不思議な幸せのようなものを感じていた。
自分が昔、この音楽を(パイプオルガンで)聞いていた頃。
日本にいて、それなりに幸福で、ささやかな安寧の中にいた頃。
そんな時代の出来事を思い出していたからだ。
きっと、「音楽」には、私たちの記憶が溶け込んでいるに違いない。
もっと「科学的な」言い方をするならば、
音楽によって、その音楽に関連付けられた昔の記憶が、
仄かに蘇って来るに違いない。
そして、その記憶は、不思議と美化されているのだ。
だからこそ、私は音楽が好きだし、
音楽を懐かしく感じるのかもしれない。
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SHIZA旅のページメルマガ(旅人よ、歩き出せ)
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修正]
SHIZA旅のページメルマガ(旅人よ、歩き出せ)
発信地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2004.11.22 23:15作成 2004.11.28 3:00貼付
2004.11.29 11:00発信予定
一週間ほど前に以下の文章を作成したが、
腰が重たくて、5日先へバスのチケットを延長した。
結局、出発日は28日の午後7時。(日本時間29日午前7時)
行き先は、パラグアイのエンカルナシオン。
この日本旅館には23泊もしてしまった。
前回(今年の7月から8月にかけて)40泊したので、合計63泊。
ブエノスアイレスだけで、こんなに長く滞在するとは。
ここで2日前に、エジプトのカイロで会った人にも再会した。
アフリカを旅している頃のことを思い出した。
アフリカを旅していた頃が、夢のようにも感じられる。
今考えてみると、随分たくさんのことが変わっている。
これから先、ブエノスアイレスを離れて、
ここにいた頃のことを思い出すことがあるだろう。
そのときもきっと、ブエノスで過ごした日々を、
すごく遠くの出来事のように感じるに違いない。
(2004.11.28午前2時10分:付記)
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今日、11月22日レティーロというバスターミナルへ行き、
バスのチケットを買ってきた。
行き先は、パラグアイのエンカルナシオン。
11月23日の夜19時のバス。(日本時間:11月24日朝7時)
やっと重い腰を上げて、ブエノスを発つ。
ブエノスアイレスは、本当に面白かった。
まだまだ、ここに滞在していたい。
だけれど、もう出発しないと・・・
多くの人をここで見送り、今度は自分が見送られる。
すごく、複雑な気分だ。
しかし、こうして私は旅を続けてきたし、
これからも、このようにして旅を続けていくだろう。
さて、パラグアイを1週間ほど旅した後、ブラジルに向かう予定だ。
ブラジルは、どのようなルートになるのかまだ分からない。
カーニバル(カルナバル)を見るか見ないか。
見るとしたらどこで見るのか。それが大きなポイントになるだろう。
今日は、急に暑くなり、日本の夏を思い出す気候だ。
日本でこれを読んでいる皆さまは、
きっと、寒い思いをしていらっしゅることだろう。
地球上には、季節も時間も、まったく異なる土地がある。
いままで生きてきて、「11月は、冬」だと私は思い込んできた。
だけれど、そんなことは「ぜんぜん正しくない」。
他にも「正しい」と思い込んでいることが多いような気がして、
私は、それが何だか、怖い感じがする。
日本で身に付けて来た「常識」や「正義」が、
何もかも間違っていたとしたら・・・
(そしてその可能性は十分にあるのだ)
慣れ親しんだところを離れる寂しさを感じながら、
私は、こんな理屈っぽいことばかり考えているのだった。
クリックすると写真が表示されるはずです。
(ブエノスアイレス、コロン劇場付近)
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/argentina03.jpg
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SHIZA旅のページメルマガ(イ島2最初のモアイ)
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SHIZA旅のページメルマガ(イ島2最初のモアイ)
発信地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2004.10.23 12:49作成2004.11.21 2:06貼付
2004.11.26 16:00配信予定
注:イースター島旅行記の続きです。
イースター島は9.19から9.25まで滞在。
(イースター島旅行記は、毎週金曜日午後4時配信予定)
イースター島は周囲58キロ。面積165平方キロメートルの島だ。
南太平洋に浮かび、チリ本土から3800キロ、タヒチから4000キロ、
一番近い島からでさえ1900キロも離れている。
島の形は、地図を見ると、三角形をしている。
そして、三角形のそれぞれの頂点の場所に火山がある。
この島の、南西にあるのがハンガロア村で、
島の人口の殆どがこの村に集中しているという。
旅行者のほとんどが滞在するのも、この村だ。
そして、私はいま、この村の南側にある
「ラパヌイイン」という宿に泊まっている。
翌日は、7時に起きて、8時ぐらいに宿を出た。
マグロを求めて、魚市場を探す。
市場らしきところがあるのだが、
そこでは野菜やお土産しか売っていない。
漁港でマグロが買える、というのを情報ノートで読んでいた。
漁港だ。漁港へ向かおう。
漁港を探して歩いていると、
海岸に、モアイ像が立っているのを見つけた。
あ、モアイだ。
このときの不思議な気分を、
私は何て書いていいのか分からない。
数々の書物で読んできたモアイ。
そのモアイがさりげなく海岸に立っている。
思わず、触れてみたくなる衝動を抑えながら、
私はモアイ像に近づいていく。
南国の優しいかぜに吹かれながら…
南の国の風って、何だか人を不思議にしてしまう
そんな成分が含まれているのかもしれない。
私は、本物のモアイ像を前にして、一瞬、
この風に触れられて、自分がどこかずっとずっと
遠いところにいて、そこから、この孤島にある、
モアイ像を眺めているような、そんな気がした。
マグロが手に入らないので、一旦宿に戻る。
昼食に、スープパスタとワイン。
少し昼寝をして、博物館へ行ってみる。
しかし、今日はチリ全土で博物館が休みの日だという。
仕方なく、博物館近くから海を見に行くと、そこにもモアイがあった。
芝生の上に寝転びながら、
私は、遥か彼方の地平線に太陽が沈むのを待っていた。
モアイが、赤い夕日に染まっていくのを。
だが、この日は、くもり。ときどき雨も降る。
風も強い。
残念ながら、夕日を見ることはできなかった。
湿った風って、古い記憶を運んでくるような気がする。
イースター島の良さは、モアイ像を見ることができることと、
この、不思議な懐かしさを含有した風にあるのじゃないだろうか。
風については、多くの書物に書かれていはいないけれど、
この風がモアイを作り出す要因の一つなんじゃないだろうか。
この、不思議な優しい風に誘われて、ひとは、岩を切り出し像を刻む。
まるで、自分自身の「見えない伝説」を具現化するかのように。
クリックすると写真が表示されるはずです。(海岸のモアイ)
http://www.geocities.jp/shizatabi/top/easter01.jpg
SHIZA旅のページメルマガ(近代化と南米)
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修正]
SHIZA旅のページメルマガ(近代化と南米)
発信地:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2004.11.20 15:23作成 2004.11.21 1:47貼付
2004.11.22 11:00発信予定
前回のメールマガジンでは、
欧州に憧れていた国々について書いた。
ここ、ブエノスアイレスにいると、
どうもヨーロッパのことを考えてしまう。
(欧州の文化が南米の地に根付いていることについて)
例えば、50番のバス(コレクティーボ)に乗って、
セントロ(街中心)へ行くとき。
例えば、教会や、古い建物を眺めているとき。
アルゼンチン人の持つ、「欧州的なもの」の匂いを嗅ぐとき。
すなわちキリスト教、スペイン語、建築。街の構造。
そして、システム。
(この「目に見えないシステム」というものが重要なのではないか?)
ショウペンハウエルの「意思」と「表象」、
ニーチェの「ディオニソス的」なものと「アポロ的」なもの。
哲学(そして、欧州で展開された、多くの宗教、芸術、科学)では、
このような「二元論」が基礎になっているような気がする。
ブエノスアイレスで感じた「欧州的なもの」
(その影に「二元論」がある)も、
このシステムの中に組み込まれているものであって、
それは科学技術の基礎をなすものなんじゃないかと。
そして、「欧州になろうとした国」日本。
もしも、「二元論」が「欧州的なもの」の基礎になっているならば、
欧米の科学技術を取り入れた日本では、
この二元論などを例とする欧米の文化も一緒に
(知らず知らずのうちに)取り込んできて、
それと気が付かないけれども、
我々はすごく大きな影響を受けているんじゃないか。
もしかすると欧米の科学を学ぶ以前のキリスト教に対する理解と、
以降の理解は、かなり違ったものになっているんじゃないか。
そして、欧米の科学を受け入れることが出来た素地として、
日本人の精神のどこかに、
欧米の文化と共通するものがあったんじゃないかと。
(例えば、「二元論」を受け入れることが出来る素地)
私は、どうすれば、「近代化」が達成できるのか?
ということを考えている。
もちろん「近代化」が「善」だとは思わないけれど、
「近代化」によって得られた「富」(カネ)が、
どれだけのパワーを有しているのかということを、
この旅で、思い知らされてきた。
日曜日。
「日本旅館」の近くのボリビア人街で、「ボリビア市」
というのが開かれる。
ボリビアというのは、アルゼンチンの北にある国だ。
南米の中では、「発展途上国」に位置づけられている。
そのボリビア市では、ボリビア人が多い。
そのボリビア人たちを見ていて、こんなことを思った。
知識を見につけることよりも、
近代化に必要な「習慣」や「システム」などの
「見えないもの」を身に付けることの方が、はるかに難しくて
それができたキリスト教国(特にプロテスタント国)が
「発展」を遂げることが出来たんじゃないか。
日本は、それ(プロテスタント的なもの)を学んだのではなくて、
文化の中にそいういう「プロテスタント的」なものを
有していたのではないかと。
だからこそ、日本は欧米化(あるいはプロテスタント化、近代化)するのに、
少ない努力で済み、多くの国々では、それが上手く行かないために、
欧米化が遅れてしまったのではないのか。
システムは、はっきりとは目に見えないものだけれど、
その重要性は、
近代的な設備を導入しても、それを上手く使いこなせないために、
工業化ができない国を見ていると、良く分かるような気がする。
目に見えない「システム」を学ぶことは難しいけれど、
それが出来た国と、出来なかった国が、
「発展できた国」と「発展できなかった国」の
違いになっているような気がしてならなかった。
*ホームページの紹介(リンクのページの更新情報)
「Wandering the World」
Yahoo!Japanにも登録されている人気サイト。
現在、長期の旅に出られています。
ネット環境が悪いにも関わらず、
海外から精力的に更新しています。
文章が特に秀逸。読みごたえあり。写真も多数あります。
この方のHP製作意欲には、ただただ頭が下がります。
http://www48.tok2.com/home/sawakon/
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