日程 |
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| 1日目:午前、敦煌に向けて出発 2日目:一日車内。深夜2時柳園着 そのまま駅前のホテル泊 3日目:タクシーで敦煌へ。市内観光 4日目:莫高窟観光。夜、トルファンへ 5日目:早朝トルファン着。市内観光 6日目:トルファン郊外ツアー。砂漠泊。 7日目:郊外ツアー。夜、クチャへ。 |
8日目:朝、クチャ着。午後から郊外観光 9日目:郊外ツアー。深夜1時、ウルムチへ。 10日目:午後4時、ウルムチ着。ホテルにて休息 11日目:ツアーで天池観光 12日目:市内観光。よーへー発つ。 13日目:ツアーで1号氷河へ。 14日目:午前の飛行機で済南へ。 |
発端 7月だぜ、いぇ〜い♪ というわけで、この夏にはどか〜んと旅行するでぇ〜〜、と決めていたわたし。同行者は言わずと知れた負け犬よーへーである。7月で任期満了という同じような境遇にあるわたしたち二人は、中国元を残さない勢いで、ほんとにどか〜んと旅行することに決めていた。そう、すでに半年以上も前から。まさに、宵越しの金はもたねぇ江戸っ子職人の心意気である。 1.雲南シーサンパンナ夢の少数民族訪問の旅 夏はやっぱりシルクロードでしょう。というわけのわからん意見の一致を見て、私ら二人はシルクロードへ旅立つことにした。 |
汽車内生活 済南から敦煌までは約40時間。朝10時に出て翌々日の早朝1時につくという長旅である。今回は、この汽車内生活を紹介してみたいと思う。 さて、長旅のためにわたしが準備したものをちょっとご紹介。 今回はそれに加えてよく気のつく女として一部では有名なあたしは、朝っぱらから3人分のおむすびもつくって持参した。 とまあ、ここまで周到に準備していても、退屈の虫は襲ってくる。これは他の乗客でも同じ。そこで、有り余る時間を使って乗客同士のお喋りが始まる。もちろん、外国人であるあたしたち3人は、格好の餌食である。 どうやら、退屈なのは乗客だけではないらしい。 旅をする時、列車や飛行機は、いうまでもなく目的地へ向かうための移動手段である。しかし、ここ中国で列車の旅をする時、それは観光なんかと比べ物にならないくらい長くハプニングも多く、いわば旅の一部である。移動が旅の一部になるような旅は、もう日本ではできないのかなぁ。 |
柳園到着〜敦煌へ そんなこんなで深夜2時、わたしたちは、乗務員一同の暖かいんだか好奇心なんだかよくわからない視線に見送られて柳園の駅におりたった。 さて、明けて翌日。 洗顔のため、部屋を出て洗面所に向かうと、近くの部屋からなにやら見覚えのある人が出てきた。そう、汽車の中でよーへーと友情を交わしていた済南の新聞記者のおじさんである。 出発してからしばらくは、運ちゃんは上機嫌で車を飛ばしていた。ウイグルの民族音楽をかけたり、世間話をしたり。が、外国人のあたしらに向かって交渉をはじめた。 「観光か。じゃ、一日敦煌を案内して、300元でどうだ」 ここらあたりからなんだか怪しい空気になってきた。 だから嫌なんだよ!観光地のタクシーは! ストライキは、労働者の正当な権利ではあるが、客に対して行使するのはいかがなものか。これには同乗者の新聞記者氏も呆れ顔。ものすごく困った事態ではあるが、わたしら3人、こういうことには慣れっこになっている上、実はちょっと予想していた事態なので、わりと平常心。これを慣れと呼ぶのか、堕落と呼ぶのか。 やっぱりこのおじちゃん、いい人だったようです。 これを聞いた運ちゃん、まったくの不承不承という感じでやっと車をスタートさせた。ま、これが目的で車を止めたんでしょうけど。結局ゴネ得なのかよ、この国は。 そんなこんなで、タクシーは敦煌市内に入る。新聞記者氏は郊外の友人の家にご逗留らしい。んで、まず「だから敦煌のホテルは高いんだってば」とごねる運ちゃんを再びなだめすかし、適当なホテルにつけてもらった。ホテルのフロントで値段を聞くと、2人部屋で180元、ドミトリーで40元。旅行を重ねる度にホテルランクが落ちていくわたしたちにとっては、ちょっと満足できないお値段である。 このおっちゃん、ますますいい人である。 しかし、わたしたちはいい加減疲れていたので、もう、ここらあたりで手を打とうか、洗濯もしたいし、部屋にお風呂があるほうがいいよね、という結論に至り、わたしと鶴ちゃんがツインの部屋に、奴隷よーへーをドミトリーに放り込むことにした。新聞記者氏に、その決定を告げ、丁重にお礼を言って別れると、タクシーの中から彼が手招きをしてよーへーを呼んだ。自分が逗留する友人宅の電話番号と住所を渡し、「困ったことがあったら連絡しろ」と。 このおじちゃん、最後までいい人だった。 |
敦煌市内観光 よーへーがためにためこんだ洗濯をし、姫二人がまったりとコーヒーブレイクを済ませたのち、わたしたちは市内観光へと繰り出した。 敦煌市内中心部のロータリー さて、夕方(といっても、こちらの主観で言えばまだまだ昼間だが)。怪しい日本語満載のレストランで怪しさ満点の夕食を済ませ、わたしたちはチャリンコで出かけることにした。やっぱり日没まではまだまだありそうだったので、わたしたちはまず、敦煌郊外にある白馬塔へと向かう。なんでも、インドの高僧クモロスが長安へ経を講ずるために向かう途中、乗っていた白馬がこの敦煌にさしかかったときに死に、その馬を埋葬して塔を建てたのだとか。
日もいい感じに落ちてきたので、わたしたちは鳴沙山を目指し、更にチャリンコで走る。鳴沙山とは、敦煌市内からチャリンコで約30分。東西約40km、南北約20kmの広大な砂漠というか砂山である。荒野に突然どど〜〜んとどでかい砂山が出現する光景は圧巻である。ラクダの隊商が似合うまさに「月の砂漠」のイメージ。 おわかりか?か弱い若いムスメが力尽きて倒れ、そのまま砂と共に風化してもおかしくないほど高く、且つ急勾配なのである。砂をじかに登るのは断念し、左に見えるちゃちな階段を10元も払って登ったのだが、はっきり言って、足を踏み外して転がり落ちたら確実に死ぬ。それでも、「山の頂上から沈む夕日を見よう」ときばってハイペースで登ったのだが、まじ、死ぬかと思った。少々お年を召したEさんなぞ、心臓に多少変調をきたしていたようだ。 ちょっと見えにくいけど許して。 感動しました。 肉体の疲労と日没を満喫した後にやってくるのは、暗闇。星も出始めて、いよいよ満月のご登場・・・なのだが、 月、でねぇじゃんよ。 10時半まで山のてっぺんで粘ったが、月の現れる気配なし。奴隷よーへーがポツリと 「もっと遅い時間なのかなぁ。」 そーゆーことは、事前に調べとけ!と言いたかったが、それを声高に言えるほどの天文学知識の持ち主はここにはいない。もっと粘りたかったのだが、あまりに粘ると砂漠で遭難→風化のラインがかなり現実的なものになるので、適当なところで下山し、暗闇の中、対向車の危険と戦いながらチャリンコで市内まで戻った。(ある意味、街灯1つないこの帰り道が一番デンジャラスだったといえる) さあ、敦煌の夜はこれでは終わらない。 昼の猛暑でたるみきっていた敦煌市民の活動時間はこれからである。夜も12時近いというのに、街には屋台と土産物屋が建ち並び、そらもう大騒ぎ。お祭り好きのあたしと鶴ちゃんは、「お腹すいてないっすよ」とか、「疲れたから寝たい」とかいうよーへーを有無を言わさず引きずって、土産物屋を冷やかし、とある屋台に腰を落ちつける。食したものはシシカバブ(羊の串焼き)。真夜中なのに、ものすごくハイテンションの姫二人と疲れと眠気にやられ、ローテンションの下僕1人。外国人がこんなところでたむろするのは珍しいのか、かなり好奇の目で見られた。 なんか、やな予感がする…。 そして歌い始める芸人3人。曲は「北国の春(中国語バージョン)」 やっぱり・・・・ これには周囲のお客さん大喜び、あたしら3人、腰くだけ。払わんわけにはいかねぇだろ、これは。 更に話は続きます。 この写真、今でもわたしの宝物です。 |
敦煌2日目〜莫高窟 美少年の余韻覚めやらぬ敦煌二日目。6時半起床。もちろん全員超グロッキー。しかし、グッタリしている暇はない。今日は仏教美術の宝庫、莫高窟観光である。 郊外にある莫高窟にはタクシーで向かう。タクシーといっても、バス感覚の乗りあいタクシー。往復で1人10元。ここでわたしたちは中学生2人と道連れになった。一人は地元の子で、ハミという町から遊びに来ている親戚の子を莫高窟までつれて行くのだとか。彼女らと一緒になったおかげで、わたしたちはものすんごく助かった。なんたって地元民。効率よく観光するすべを知っているし、簡単なガイドまでしてくれる。結局、莫高窟を出るまですべてその子が案内してくれた。同じタクシーに乗り合わせただけなのにねぇ。 外から見た莫高窟 満足して敦煌市内に帰りついたわたしたち3人。さて、これからどうしよう。もう見たいところは全部見てしまったし、したいことも全部してしまった。玉門関とか、陽関とか、郊外に見所はあるのだが、そこまで行く時間もないし行く気もおきない。それよか昨日からの強行軍でもう疲れて歩きたくねぇ。つーかもうここで寝たいよ、寝させてくれ、というなげやりな乗りだった。旅の始まりにしてすでにこの倦怠感。大丈夫なのだろうか。 さて、わたしと鶴ちゃんが向かった足ツボマッサージ、実は昨日のうちから「なんだかこぎれいでいいよね」とチェックしていたところだったのだが、ここがまぁ、とんでもねぇところだった。 ・・・怪しい。ヒジョーに怪しい。 と思ったがもう遅い。よくみりゃマッサージ師もすべてミニスカートの若いおねーちゃんである。でも、もう後戻りはできない。 すっきりした足の裏とすっきりしない心を抱え、わたしたちは待ち合わせのjohn's cafeへ。ここでよーへーと合流し、お茶を一服。このときわたしは、チョコレートスフレなる物を食べたのだが、これがバカうま。今まで何度も何度も力説したが、ここ中国でおいしいケーキに出会うことはほとんどない。このチョコレートスフレは今まで中国で出会った中ではかなりの高ランク。その時の精神状態と肉体状態から言えば、まさに「地獄に仏」である。 その後、本当にやることがなくなってしまったので、汽車の時間まではまだあるが、バスで柳園駅へと向かう。更に、駅前のレストランで2時間ほどグッタリと時間をつぶし、駅の構内へ。そこでグッタリと脱力しながら汽車を待ち、夜の9時、次の目的地、トルファンへと向かう汽車に乗った。到着は翌朝6時すぎでございます。 |
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