中国旅行記ーシルクロード編 page1
(2001.7)

 

日程

1日目:午前、敦煌に向けて出発
2日目:一日車内。深夜2時柳園着
    そのまま駅前のホテル泊
3日目:タクシーで敦煌へ。市内観光
4日目:莫高窟観光。夜、トルファンへ
5日目:早朝トルファン着。市内観光
6日目:トルファン郊外ツアー。砂漠泊。
7日目:郊外ツアー。夜、クチャへ。
8日目:朝、クチャ着。午後から郊外観光
9日目:郊外ツアー。深夜1時、ウルムチへ。
10日目:午後4時、ウルムチ着。ホテルにて休息
11日目:ツアーで天池観光
12日目:市内観光。よーへー発つ。
13日目:ツアーで1号氷河へ。
14日目:午前の飛行機で済南へ。

 

発端

7月だぜ、いぇ〜い♪
夏休みだぜ、いぇ〜い♪
任期満了だぜ、いぇ〜い♪
これで中国最後だぜ、いぇ〜い♪

 というわけで、この夏にはどか〜んと旅行するでぇ〜〜、と決めていたわたし。同行者は言わずと知れた負け犬よーへーである。7月で任期満了という同じような境遇にあるわたしたち二人は、中国元を残さない勢いで、ほんとにどか〜んと旅行することに決めていた。そう、すでに半年以上も前から。まさに、宵越しの金はもたねぇ江戸っ子職人の心意気である。
さて、どこに
どか〜んといったろーか。というので、候補地は二つあった。

1.雲南シーサンパンナ夢の少数民族訪問の旅
2.敦煌、ウルムチ魅惑のシルクロード探求の旅

 夏はやっぱりシルクロードでしょう。というわけのわからん意見の一致を見て、私ら二人はシルクロードへ旅立つことにした。
さて、今回の旅は、二週間という長丁場。おかげさんで、ずいぶん声はかけたがわたしと負け犬よーへー以外の参加者はなし。男と女の二人旅、しかも二週間。これはちょっとまずいかも。本人達はよくっても、世間は許さないかも。わたしはともかく、悪いうわさが立ってよーへーがおムコに行けなくなっても困る。いや、わたしはちっとも困らないが、恨まれるのはわたしである。(何か間違ってます)
 が、そのとき思わぬところから参加者が現れた。それは、よーへーの後任として、6月から青島へ赴任してきた鶴ちゃん。入国3週間にして全行程汽車とバスというこの過酷な旅に参加しようというツワモノ出現である。というわけで、またしても姫二人、奴隷一匹という定番の人数構成での旅行が決定した。
 今回初対面となる鶴ちゃんは、果たして咲のキョーレツな性格について行けるだろうか、二人はうまくやって行けるだろうか、と旅行前から負け犬よーへーは心配で心を痛めていたそうである。が、済南で初めて二人が遭遇した時、その心配は安心から恐怖へと変貌していったそうだ。(詳しくは
中国日記参照)
二人してキャラクター濃い上に、気が合いすぎ。そしてそのパワーの向かう先は言わずとしれたよーへー方面である。1+1が5にも10にもなることを目の当たりにして、出発前から疲れが100倍になった奴隷と、またとない友を得てパワーが100倍になった姫二人の旅は、よーへーの行く末を案じる人々の暖かい励ましに見送られ、スタートしたのである。

 

汽車内生活

 済南から敦煌までは約40時間。朝10時に出て翌々日の早朝1時につくという長旅である。今回は、この汽車内生活を紹介してみたいと思う。
前にも書いたと思うが、硬臥は3段ベットである。複数人数で旅をするならば、下段を1つは確保しておくことは基本である。なぜならば、寝たくもねぇ昼間は、上段、中段は居場所がない。この上段と中段、普通に座って首が立たないという実に迷惑な高さなのである。椅子があることはあるが、占領されている場合が多い。だから、日中は、下段ベッドを椅子代わりにしてだべるというわけ。今回、わたしたちは、下、中、中、というベッドを確保したため、実に快適だった。

さて、長旅のためにわたしが準備したものをちょっとご紹介。
・有り余る時間を発狂せずに過ごすための必需品は
本とトランプ
・そして食料。朝は
パン、それにカップラーメンを2、3個。さらにオプションとして、ソーセージと果物をつければカンペキ。
を持ちこむのも基本。列車内で水分補給をしないと、簡単にのどをやられる。
 わたしはそれに加えて
お茶セット&紙コップも持参した。中国では、汽車であろうとホテルであろうと、お湯だけはふんだんに使えるのでコーヒー、紅茶、ココア、ホットレモンなどを持参すると、リラックス度合いが違う。これであたしは何度も救われた。
・更に
洗面用具とタオル。これらを荷物とは別に手の届く所においておくともうどんな長旅でも怖いものはない。

今回はそれに加えてよく気のつく女として一部では有名なあたしは、朝っぱらから3人分のおむすびもつくって持参した。

 とまあ、ここまで周到に準備していても、退屈の虫は襲ってくる。これは他の乗客でも同じ。そこで、有り余る時間を使って乗客同士のお喋りが始まる。もちろん、外国人であるあたしたち3人は、格好の餌食である。
よーへーは済南の新聞記者のおじさんと仲良くなり、姫二人は、途中駅で停車したときアイスを買ってくっちゃべっていたら、中国人二人組のおにーちゃんに声をかけられた。そして鶴ちゃんは、乗務員のお兄さんにやたら気に入られていた。ふつう、降りる駅がちがづくと、乗務員は知らせにきてくれるのだが、そのとき、彼は鶴ちゃんの耳に息をふきかけて起こしたのだから、これはもうただならぬ関係である。
余談だが、どこに行っても鶴ちゃんは現地人にモテモテで
「現地人キラー」の異名を持つ。
さらに、数両はなれた食堂車に行ったときも、自己紹介もしてないのに「あんたたち日本人だってね」と囲まれた。保安員まで寄って来たときは、逮捕されるんじゃないかとびびった。
おそるべし、乗務員ネットワーク。

どうやら、退屈なのは乗客だけではないらしい。

 旅をする時、列車や飛行機は、いうまでもなく目的地へ向かうための移動手段である。しかし、ここ中国で列車の旅をする時、それは観光なんかと比べ物にならないくらい長くハプニングも多く、いわば旅の一部である。移動が旅の一部になるような旅は、もう日本ではできないのかなぁ。

 

柳園到着〜敦煌へ

 そんなこんなで深夜2時、わたしたちは、乗務員一同の暖かいんだか好奇心なんだかよくわからない視線に見送られて柳園の駅におりたった。
 柳園とは、目的地敦煌の最寄駅。しかし、最寄りといっても敦煌まではタクシーで1時間かかる。観光都市敦煌の玄関口である他は何一つとりえのないこの柳園には、駅前に数軒のレストランとひなびたホテルがある以外は何もない。しかし、この時間にタクシーを拾って敦煌まで行っても、ぼられる上に何一ついいことがないのは目に見えていたので、わたしたちはとりあえず駅前のホテルで仮眠をとることにした。だいたい、駅を一歩出たときから、客待ちしていたタクシーがしつこいのなんの。逃げるように運ちゃんの群れをふりきり、一番手近なホテルに飛び込み、値段を聞くと1ベット25元の安さ。この手のホテルは、外国人が泊まれないことも多いのだが、あっさりOK。そのまま3人してベッドに倒れこみ、明日に備えることにする。

 さて、明けて翌日。

 洗顔のため、部屋を出て洗面所に向かうと、近くの部屋からなにやら見覚えのある人が出てきた。そう、汽車の中でよーへーと友情を交わしていた済南の新聞記者のおじさんである。
あら、おじさんもここに泊まったのね〜、と思いながら、チェックアウトを済ませ、外のレストランで軽く朝食を食べ、さて、バスでもふんづかまえて敦煌に行こうかしら、と考えていたときに、おじさんが声をかけてきた。
このおじさん、外で客待ちしているタクシーと何やら交渉していたのだが、「1人20元で敦煌までつれて行ってくれるから、一緒に行かないか」とのこと。
わたしらは悩んだ。だいたい、外国人でこんなところでタクシーなんぞに乗ったら、ぼられることは目に見えているので、わたしらは最初っから公共のバスで敦煌まで行くことにしていた。
しかし、タクシーのほうが快適だし、途中で止まることもないし、しかも料金はバスと同じ。汽車内の会話で、この新聞記者氏はわりと信用できる紳士であることもわかっていた。
問題は、
「おじちゃんは信用できても、運ちゃんは信用できねぇだろ」ということ。しかし、このおじさんがあまりにも熱心に勧めるので、ありがたくタクシーに同乗させてもらい、敦煌に向かうことにした。

 出発してからしばらくは、運ちゃんは上機嫌で車を飛ばしていた。ウイグルの民族音楽をかけたり、世間話をしたり。が、外国人のあたしらに向かって交渉をはじめた。

「観光か。じゃ、一日敦煌を案内して、300元でどうだ」
「夜、柳園までまた送り届けてやるからどうだ」

わたしたちは、敦煌で一泊するつもりだったので、丁重に断ったのだが、どうしてもきかない。
「敦煌なんて、一泊してまで見るところはないぞ」
「ふつうは日帰りで観光するぞ」
「敦煌のホテルは高いぞ」

 ここらあたりからなんだか怪しい空気になってきた。
よーへーが、なんといわれても、敦煌に一泊する、もう帰りの切符も手配してある、それに観光するときもタクシーには乗らない、ということを説明すると、この運ちゃん、
この世の終わりのような失望の表情を見せ始めた。どうやら、わたしらの敦煌観光の足としての収入を当てこんで、20元で声をかけたらしい。
あげく、
こいつ運転を放棄して道端で車を止めやがった。
自分の要求を通すため実力行使に出たのである。

だから嫌なんだよ!観光地のタクシーは!

 ストライキは、労働者の正当な権利ではあるが、客に対して行使するのはいかがなものか。これには同乗者の新聞記者氏も呆れ顔。ものすごく困った事態ではあるが、わたしら3人、こういうことには慣れっこになっている上、実はちょっと予想していた事態なので、わりと平常心。これを慣れと呼ぶのか、堕落と呼ぶのか。
 ここで助け舟を出してくれたのは、新聞記者氏だった。わたし達を誘った以上、責任も感じているだろうし、第一わたしら3人、交渉という面では全くの役立たずである。なんとか運ちゃんをなだめすかし、ご機嫌をとり、そりゃもう、あの手この手。結局、「自分が10元、この3人が10元上乗せして、計100元でなんとか敦煌まで行ってくれよ」というふうに交渉をまとめた。

やっぱりこのおじちゃん、いい人だったようです。
負担額一番多いし。

 これを聞いた運ちゃん、まったくの不承不承という感じでやっと車をスタートさせた。ま、これが目的で車を止めたんでしょうけど。結局ゴネ得なのかよ、この国は。
 その後は特になにごともなくタクシーは順調に敦煌へと向かった。「なにごと」どころか、まっすぐに伸びる道一本の他は、本当に何もなかった。周囲365度、見渡す限りのゴビ灘の荒地。「ゴビ」とは、現地の言葉で砂漠を指すそうだが、砂漠というよりは、荒野である。荒野の一本道をひた走るタクシー一台。すごい光景である。ここで遭難したら、まず3年は発見されまい。そんな中で、わたしはすんごいものを見てしまった。それは、
ラクダの放牧。写真がとれなかったのが、身もだえするほど残念なのだが、ものすごく感動。

 そんなこんなで、タクシーは敦煌市内に入る。新聞記者氏は郊外の友人の家にご逗留らしい。んで、まず「だから敦煌のホテルは高いんだってば」とごねる運ちゃんを再びなだめすかし、適当なホテルにつけてもらった。ホテルのフロントで値段を聞くと、2人部屋で180元、ドミトリーで40元。旅行を重ねる度にホテルランクが落ちていくわたしたちにとっては、ちょっと満足できないお値段である。
んじゃ、もっと安いとこさがそうかな〜、と思っていたところに、またまた登場したのは新聞記者氏である。彼は、ホテルの支配人まで呼び出して、料金の交渉をはじめた。しかも、その交渉が決裂すると、わたしらの手を引き、「一緒にもっと安いホテルを探しに行こう」とまで行ってくれた。

このおっちゃん、ますますいい人である。

 しかし、わたしたちはいい加減疲れていたので、もう、ここらあたりで手を打とうか、洗濯もしたいし、部屋にお風呂があるほうがいいよね、という結論に至り、わたしと鶴ちゃんがツインの部屋に、奴隷よーへーをドミトリーに放り込むことにした。新聞記者氏に、その決定を告げ、丁重にお礼を言って別れると、タクシーの中から彼が手招きをしてよーへーを呼んだ。自分が逗留する友人宅の電話番号と住所を渡し、「困ったことがあったら連絡しろ」と。

このおじちゃん、最後までいい人だった。

 

敦煌市内観光

 よーへーがためにためこんだ洗濯をし、姫二人がまったりとコーヒーブレイクを済ませたのち、わたしたちは市内観光へと繰り出した。
 敦煌の市街地は、てくてく歩けばすぐに一回りできてしまうくらいの小ささ。ふらふらと市街地を歩き、土産物屋を冷やかしたのち、明日トルファンに向かうため、旅行社に手配を依頼しておいた切符を取りに行くが、3時まで昼休みとのことで、受け取ることはできなかった。
 昼休みが3時までというのは、働き者の日本人からすれば実にふざけた習慣であるが、済南から遥か西に位置するこの地ではある意味しかたのないことである。中国では、標準時は北京時刻の一つだけ。経度から考えれば、敦煌では時間が1、2時間ずれているはずである。なんせ日没が8時から9時。つまり、普通に考えて真昼間にあたるこの時間は、暑いわ、眠いわ、仕事にならねぇ、というわけ。そのかわり、どこの商店でも10時くらいまでは平気で営業している。そーいや、買い物客とか、通行人もあまり見なかった。この町がにぎやかになるのは夕方からである。
 そこで、あたしたちは
john's cafeという外国人のたむろするカフェで小休止することにした。john's cafeとは、シルクロードの観光都市、いたるところに支店を持つバックパッカーの溜まり場。この旅行では、行く先々でこのカフェにお世話になることになる。
鶴ちゃんはそこそこおいしいコーヒーを飲んでご機嫌に、あたしはアイスコーヒーを頼んだらホットコーヒーに氷をぶちこまれたものを出され少々ブルーになっていたところで、1人の日本人と知り合った。
 その日本人、
Eさんは、年のころは50代、ぬわんとネパールからバスで中国に入国し、敦煌までたどり着いたという旅のつわものである。すっかり息投合したあたしたちは、その日の観光を共にすることにした。
 その日の予定は、奴隷よーへーの「砂漠に昇る月が見たい」という強硬な主張により、チャリンコを借りての
夕暮れの鳴砂山観光である。実は、これはよーへーにとってのシルクロード観光のメインで、7月5日の満月に合わせて旅行日程を組んだというよーへーの入れこみぶりである。今からチャリンコ借りたところで月が出るまで数時間待たねばならないため、夕食時にしきり直しすることにした。

敦煌市内中心部のロータリー

中心は、莫高窟の壁画をモチーフにした飛天像


 さて、夕方(といっても、こちらの主観で言えばまだまだ昼間だが)。怪しい日本語満載のレストランで怪しさ満点の夕食を済ませ、わたしたちはチャリンコで出かけることにした。やっぱり日没まではまだまだありそうだったので、わたしたちはまず、敦煌郊外にある白馬塔へと向かう。なんでも、インドの高僧クモロスが長安へ経を講ずるために向かう途中、乗っていた白馬がこの敦煌にさしかかったときに死に、その馬を埋葬して塔を建てたのだとか。
余談だが、入り口でもらった説明書きには、白馬が死ぬにあたってクモロスが「ああ、ここでおまえが死んでしまったら、わたしはどうやって長安まで行けばいいんだ」と嘆いたら、白馬が、「この前方に天馬がよく生まれる場所があるから、そこで新しいのに乗っていけばいい」と言いのこして息絶えた、と書いてあった。なんじゃ、そら。
 まあ、塔自体はたいしたことはなかったので、塔と、敦煌の古い城壁跡(
沙州古城)を見て、さっさとその地を後にする。


畑の中心にぽつんと立つ白馬塔

 日もいい感じに落ちてきたので、わたしたちは鳴沙山を目指し、更にチャリンコで走る。鳴沙山とは、敦煌市内からチャリンコで約30分。東西約40km、南北約20kmの広大な砂漠というか砂山である。荒野に突然どど〜〜んとどでかい砂山が出現する光景は圧巻である。ラクダの隊商が似合うまさに「月の砂漠」のイメージ。
 この鳴沙山の楽しみ方は、ラクダに乗って山の周囲をぐるりと一回りするか、山を滑り降りて、地響きのような音を楽しむこと(これが鳴沙山の由来)であるが、わたし達の目的は「砂漠で見る月」である。つまり、何よりもまず、砂山のてっぺんに登らねばならない。これが予想以上に
難問だった。砂というのが、これほど足をとり、歩きにくいものだとは思わなかった。それに、山に行きつくまでの平地には、100頭はくだらない観光用ラクダさんの落としものがてんこもりで、別の意味で非常にデンジャラスである。このときほどわたしはサンダルを履いてきたことを後悔したことはない。(結果は聞かんでくれ、頼む。)しかもこの山、ほれ。↓

 おわかりか?か弱い若いムスメが力尽きて倒れ、そのまま砂と共に風化してもおかしくないほど高く、且つ急勾配なのである。砂をじかに登るのは断念し、左に見えるちゃちな階段を10元も払って登ったのだが、はっきり言って、足を踏み外して転がり落ちたら確実に死ぬ。それでも、「山の頂上から沈む夕日を見よう」ときばってハイペースで登ったのだが、まじ、死ぬかと思った。少々お年を召したEさんなぞ、心臓に多少変調をきたしていたようだ。
しかし苦労して登っただけあって、
頂上からの景色はサイコーだった。前を見れば、周囲の砂漠から飛ぶ砂にけぶる敦煌市内(敦煌が沙州といわれるゆえん)が一望。後ろを見ればどこまでも連なる砂漠の山。そして砂漠に落ちていく夕日。

ちょっと見えにくいけど許して。

中央に見えるのは、砂漠に湧く泉、「月牙泉」

感動しました。

 肉体の疲労と日没を満喫した後にやってくるのは、暗闇。星も出始めて、いよいよ満月のご登場・・・なのだが、

月、でねぇじゃんよ。

 10時半まで山のてっぺんで粘ったが、月の現れる気配なし。奴隷よーへーがポツリと

「もっと遅い時間なのかなぁ。」

そーゆーことは、事前に調べとけ!と言いたかったが、それを声高に言えるほどの天文学知識の持ち主はここにはいない。もっと粘りたかったのだが、あまりに粘ると砂漠で遭難→風化のラインがかなり現実的なものになるので、適当なところで下山し、暗闇の中、対向車の危険と戦いながらチャリンコで市内まで戻った。(ある意味、街灯1つないこの帰り道が一番デンジャラスだったといえる)


 さあ、敦煌の夜はこれでは終わらない。

 昼の猛暑でたるみきっていた敦煌市民の活動時間はこれからである。夜も12時近いというのに、街には屋台と土産物屋が建ち並び、そらもう大騒ぎ。お祭り好きのあたしと鶴ちゃんは、「お腹すいてないっすよ」とか、「疲れたから寝たい」とかいうよーへーを有無を言わさず引きずって、土産物屋を冷やかし、とある屋台に腰を落ちつける。食したものはシシカバブ(羊の串焼き)。真夜中なのに、ものすごくハイテンションの姫二人と疲れと眠気にやられ、ローテンションの下僕1人。外国人がこんなところでたむろするのは珍しいのか、かなり好奇の目で見られた。
 さて、屋台が建ち並び、人が集まる所にやってくるのは当然
物乞いと芸人。何度も言っているが、あたしは物乞いに施すということが生理的にどうしてもできない。しつこくはないのだが、とにかくひっきりなしにやってきてうるさいのなんの。
 そこへやってきたのは楽器を抱えた
流しの芸人3人組。
「一曲いかが?」
「いらない」
すると、すかさず屋台のおばちゃんが、「この人たちは、日本人だからだめよ」すると芸人、「あ〜ら、日本人なの」と、なにやら聞き覚えのある曲のイントロを奏で始めた。

なんか、やな予感がする…。

そして歌い始める芸人3人。曲は「北国の春(中国語バージョン)」

やっぱり・・・・

これには周囲のお客さん大喜び、あたしら3人、腰くだけ。払わんわけにはいかねぇだろ、これは。

 更に話は続きます。
わたし達が座っていた屋台のすぐ前に美容院があったのだが、そこのおにーちゃんが、やたらとわたしのことを見つめる。日本人だから見ているわけではない。それはその視線の熱さでわかる。ちなみに、そのおにーちゃん、
美少年。30分も過ぎた頃、その美少年は意を決したようにわたしに話し掛けてきた。
「あんずのジュース、飲みませんか?」
この言葉、
日本語である。彼は敦煌で日本語を勉強しているそうだ。ちなみに、あんずジュースはここの名物なのだとか。
「な〜んだ、やっぱり日本人だから話しかけたんじゃ〜ん」と思ったアナタ、黙れ黙れ。確かに、それもあるだろう。しかし、3人もいるのに彼は
わたしを見つめていたのだし、3人もいるのに、わたしに話し掛けてきたのだ。これはもうただごとではない。<をい 
彼の意気に感じて、わたしは即あんずジュースを購入。そして鶴ちゃんの分も強制的に購入。もちろん、一滴たりとも残さず飲み干させる。最後に、嫌がり、恥らうわたしと彼のツーショット写真を鶴ちゃんが強制的に撮り、敦煌の長い長い一日が終わった。

この写真、今でもわたしの宝物です。

 

敦煌2日目〜莫高窟

 美少年の余韻覚めやらぬ敦煌二日目。6時半起床。もちろん全員グロッキー。しかし、グッタリしている暇はない。今日は仏教美術の宝庫、莫高窟観光である。
わたしはこれで、洛陽の龍門石窟、大同の雲崗石窟、と
中国3大石窟制覇である。

 郊外にある莫高窟にはタクシーで向かう。タクシーといっても、バス感覚の乗りあいタクシー。往復で1人10元。ここでわたしたちは中学生2人と道連れになった。一人は地元の子で、ハミという町から遊びに来ている親戚の子を莫高窟までつれて行くのだとか。彼女らと一緒になったおかげで、わたしたちはものすんごく助かった。なんたって地元民。効率よく観光するすべを知っているし、簡単なガイドまでしてくれる。結局、莫高窟を出るまですべてその子が案内してくれた。同じタクシーに乗り合わせただけなのにねぇ。
 莫高窟は保存のためそれぞれの石窟に鍵かかかっており、ガイドさんに開けてもらってはじめて中に入れる。しかも、ガイドによって持っているかぎが違うので、全部の石窟を見られるわけではない。その子にしたがってちょこちょこ動きまわったおかげで、けっこうたくさんの石窟を見ることができた。
 
莫高窟はすばらしかった。色彩といい、規模といい、保存状態といい、他の二つの石窟とは比べ物にならない。はっきりいって、人に見せるべきもんじゃないんじゃないかとけっこう真剣に思ってしまった。仏像はいうまでもないが、壁画の芸術度の高さはもう言葉にできない。ひとつひとつ、くまなく見たかったが、時間もなく、また一般公開されていない窟もあり、それはかなわなかった。残念ながら、石窟内は撮影禁止。つーか、入り口で荷物自体を取り上げられる。残念だけど、そこまでしても守る価値のある遺跡ですね。

外から見た莫高窟

観光客の写真撮影はこれが限界。


 満足して敦煌市内に帰りついたわたしたち3人。さて、これからどうしよう。もう見たいところは全部見てしまったし、したいことも全部してしまった。玉門関とか、陽関とか、郊外に見所はあるのだが、そこまで行く時間もないし行く気もおきない。それよか昨日からの強行軍でもう疲れて歩きたくねぇ。つーかもうここで寝たいよ、寝させてくれ、というなげやりな乗りだった。旅の始まりにしてすでにこの倦怠感。大丈夫なのだろうか。
 そこでわたしと鶴ちゃんは、疲れを癒すために足ツボマッサージへ、マッサージの快感に今だ目覚めていないおこちゃまのよーへーはネットカフェへ、と別行動をとることにした。

 さて、わたしと鶴ちゃんが向かった足ツボマッサージ、実は昨日のうちから「なんだかこぎれいでいいよね」とチェックしていたところだったのだが、ここがまぁ、とんでもねぇところだった。
 
まず、こぎれいなのは入り口だけ。
 中に入って「足のマッサージを受けたいんだけど」というと、何を勘違いしたのか店の奥にある別室に連れて行かれた。そこは個室になっており、あるものはベッド1つのみ。しかも、
照明がピンク

・・・怪しい。ヒジョーに怪しい。
これはもしかして、うわさに聞くマッサージとは名ばかりで、実はきれいなおねーちゃんが○○で××してくれるという中国にはよくある△△な場所ではないのか?

と思ったがもう遅い。よくみりゃマッサージ師もすべてミニスカートの若いおねーちゃんである。でも、もう後戻りはできない。
 おそるおそる足の裏のマッサージを受けたいと言ってみると、ちゃんとそれなりのブースに案内され、それなりの足ツボマッサージを施してくれた。
しかし、さっきも書いたがこのおねーちゃんはミニスカート。そのまま、わたしの目の前で大股広げて座るのである。もちろん、
パンツは丸見え。誘っているとしか思えない。(女同士だが。)
こうなると、わたしたちのあとから隣のブースに入っていったおやじの動向が気になって仕方なく、気がつけば耳を済まして隣の様子をうかがう始末。マッサージは気持ちよかったが、リラックスなんぞできたもんじゃなかった。

 すっきりした足の裏とすっきりしない心を抱え、わたしたちは待ち合わせのjohn's cafeへ。ここでよーへーと合流し、お茶を一服。このときわたしは、チョコレートスフレなる物を食べたのだが、これがバカうま。今まで何度も何度も力説したが、ここ中国でおいしいケーキに出会うことはほとんどない。このチョコレートスフレは今まで中国で出会った中ではかなりの高ランク。その時の精神状態と肉体状態から言えば、まさに「地獄に仏」である。

 その後、本当にやることがなくなってしまったので、汽車の時間まではまだあるが、バスで柳園駅へと向かう。更に、駅前のレストランで2時間ほどグッタリと時間をつぶし、駅の構内へ。そこでグッタリと脱力しながら汽車を待ち、夜の9時、次の目的地、トルファンへと向かう汽車に乗った。到着は翌朝6時すぎでございます。

  
             
中国旅行記へ  page2「トルファンの巻」へ(工事中)

 

 

 

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