中国旅行記ー上海・蘇州編(2000.2)

 

日程

1日目:午後、岡山から上海へ
2日目:市内観光、
3日目:徹夜明けのためダウン
4日目:蘇州観光
5日目:帰宅

 

発端

 「あたしがいるうちに中国に遊びにおいでよ」
とまあ、この一言がすべての発端だった。声をかけられたのは、バイトで2年一緒だったという接点だけでいまだに親交を結んでいる同い年の白衣の天使、なんちゃん。声をかけたのは夏だったが、彼女は中国をキャンセルして、夏はオーストラリアに飛んでしまった。余談だが、親族以外で、中国まで遊びに来てくれる人は少ない。そして「中国はやめて、オーストラリアに行ってきま〜す」という例は多い。これをわたし達は、「中国−オーストラリアライン」と呼んでいる。
 冬もまた、うやむやにヨーロッパとか南国リゾートとかに飛ばれては、中国在住者の沽券にかかわるので、「冬は中国だからね。いこうね。いくんだよ!」と半ば強引に約束を取りつけておいた。
 で、1月末に一時帰国するわたしの日程に合わせて、2月に共に上海に飛ぶことになった。
 しかし、私となんちゃん、いままで何度もいっしょに旅をしてきたが、振りかえってみると、予定らしい予定を立てて行動したことがない。宿と行く日と帰る日しか決めていない。行き当たりばったり、スーパーミステリーツアーである。今回の上海行きは、行く日と帰る日のみ、宿すら決めていない。あんたら、ほんとに大丈夫か?

 

到着まで

 さてさて、調子よく約束を取りつけたはいいが、日程を決めるまでがまず難関。なぜなら、中国行きのために動き始めた11月、わたしは中国、彼女は広島、当時わたしの部屋はネットができる環境になく、電話は内線、運が悪ければ日本語も英語もできない門番のおっちゃんにつながってしまう。満足な相談なんか、できるわけがない。しかも、出発予定日2月11日は連休の頭にあたり、日程を決めた頃は、広島発はすでにキャンセル待ち。福岡発はあるが、日があわない。とまあ、行けるかどうかの瀬戸際にあった。
 「なんとかしろ」との身勝手なわたしの命を受け、最後に発掘したのは、岡山発
「まだまだいっぱい残っているから、急がなくても大丈夫♪」という旅行社の言葉を信じ、予約を入れる前にけなげにもわたしに電話連絡をしてきたなんちゃん。
 ここまでの下準備は、当然のことだがすべて彼女がやった。わたしは指示、というか単なるヤジ係である。で、二人で最終意志確認をし、ふたたびなんちゃんが旅行社に走ると、

「もう満席です。」
おいおい、昨日まであったじゃないかぁ〜〜〜。

 どうやら、広島のキャンセル待ちが岡山に流れてきたらしい。途方にくれて、またけなげにも電話連絡をしてくるなんちゃん。

「そんなバカな話があるか、旅行社の手落ちなんだから、何とかしろといえ!ダメなら、福岡までの交通費を出せといえ!」

 という、顔を見ていないから強気発言のわたしの無茶な発破を受け、涙をこらえて三たび旅行社へとなんちゃんは走る。結果、上海行き、2枚を勝ち取った。しかし、押しが弱いともっぱらのうわさの彼女が、こんなに強気な発言ができたとは思えない。済南からの念が届いたのであろうか。

 さて、日本へ一時帰国後、なんちゃんと共に岡山から上海へ。余談だが、岡山空港からは東方航空が乗り入れており、わたしは、中国の航空会社の中で、トップ1は東方航空だと思っている。日本の航空会社とも提携し、サービスでは中国国際航空を越えたとのもっぱらの評判である。(わたしの周りでは。)広島からは、西北航空なので、東方航空に乗りなれた後で西北航空に乗るとなんだか悲しい気持ちになる。
 搭乗手続きをしていると、おねーちゃんが「満席なのでビジネスクラスでもいいですか」と言ってきた。いいですかどころの騒ぎではない。
超ラッキー♪である。済南からの怨念は、座席のランクまでうごがしたらしい。
 ゆったりとした座席で、いまだかつて体験したことのないすばらしい空の旅を堪能できた。

 そして到着。到着したのは、おなじみ上海虹橋空港ではなく、できたてほやほやの上海浦東空港。この空港がすごい!何がすごいって、美しい!そしてできたばかりだから人がいない!
中国で美しくて人がいない空港なんて探せないよぉ〜。人がいない空港は、例外なく美しくないし、人がいる空港も例外はあるが美しくない。やはり中国にいたある友人は、関空に降り立った時、「トイレの床に寝てもいい」と言ったそうな。
とまあ、それくらい浦東空港は私にとっては感動的だった。今では人も飛行機もずいぶん増えているみたいですが。

 

上海の行き当たりばったりな日々

 さて、無事空港に降り立つと、お出迎えさんが二人いた。一人は、以前の職場の先輩で、私を関西のA学校へ引きずり込んだ張本人で、現在上海で留学生をしているNさんと、そのお友達、精神科医のK先生だった。
 まずはタクシーで市内まで、約1時間のドライブ。
 とにかく上海は
都会です。田舎臭さがほとんどない。(済南居住者にとっては。)どこまでも続く高層ビルの群れに圧倒される。香港は、都会ながらも雑然とした雰囲気があるし、北京は、上海に比べるとまだまだ田舎。とにかくすごい。
 とりあえず、K先生の紹介でホテルに入り、一息。このホテル、人民公園横、南京路から一本入ったところにあるというすばらしいロケーション。かなり安く泊まれちゃったので、K先生に感謝!

 さて、これからどうしよう。スーパーミステリーツアーな二人組はあいかわらずボーっとしている。とりあえず、一番の繁華街、南京路に案内してもらう。「香港ですか?」と言いたくなるネオンを見ながら、ぶらぶらとウィンドーショッピング。着いたのが遅かったので、これで一日が終わった。

毎日通った南京路

夜がやっぱり最高です。


 <それでいいのか、2日目市内観光>

 翌日。今日は二人で市内観光である。こうやって見ると、北京と比べて、上海には観光スポットなるものは少ない。とりあえず豫園にでも行ってみるか、とあいかわらず行き当たりばったりに決定し、額を寄せて地図を検討。
 が、この豫園、アクセスがヒジョーに悪い。適当なバスが見当たらない。しばし考えた後、「歩いてみるか」と、スーパーミステリーな結論に至った。さて、これには、スーパーミステリーな結末がつくのだが、それは後述。
 地図を見ながら、豫園までてくてくてくてくてくてく歩く。これには、「なんちゃんに中国の町並みを堪能させてあげよう」という私の心優しい思惑もあったのだが、到着まで1時間以上。彼女にとっては、アリガタ迷惑だったにちがいない。途中で、小物の店を冷やかしながら、なんとか到着(
したと私は思った)。

 とにかく、人の多さにはびっくり。土産物屋が建ち並び、ものすごい人々が群がっている。またまた土産物屋を冷やかしながら、人を押しのけて歩く。上海は、物価が高い。どうしても、北京と比べちゃうんだけど、値切れない。北京では、1つ10元が3つで10元になったものも、1つ15元が3つで38元までしかさがらなかった。
 豫園も堪能(
したと私は思った)、お土産もいろいろ買ったし、帰るベえかな、とまたまた「なんちゃんに古い町並みを見せてあげよう」と余計な親切心を浮べた私は、黄浦江まで、さびれた通りをなんちゃんを引きずって歩く。ここでは、中国チックな町並みを見、さらにお茶も買い捲り、なんとか川へと出た。

 、私は思っていた。「何かがおかしい…」
 豫園に行ったことがある読者の方もとっくの昔に気付いただろう。このもやもや感を解決するべく、おそるおそる、なんちゃんに聞いた。

「ねぇ、豫園って、公園だったよねぇ。」
「そうだよ」
「有料だったよねぇ」
「そうだよ」
「でも、あたしたち、お金払わなかったよねぇ」
「そうだよ」
「あたしたち、豫園に入ったっけ?」
入ってないよ

え゛・・・・・・

 あわててガイドブックを確認すると、以下のことがわかった。
 わたし達が行ったのは、豫園商場という場所であり、豫園はれっきとした有料庭園で、豫園商場のどこかに入り口があったらしい。
 ガイドブックスーパー行き当たりばったり斜め読みの私は、「いかに行くか」だけに気をとられ、「いかに入るか」なぞアウト・オブ・眼中だったのだ。もちろん、わたしよりもそっと聡明ななんちゃんは、もっと早い段階で「何かがおかしい」とは気付いていた。

わたし:「言ってくれればいいのに。」
なんちゃん:「だって、あんまり自信たっぷりに出ていくから」

 そらそーだ。中国初体験の彼女にとって、腐っても私はガイドであり、ツアコンであり、通訳である。そんなあたしに意見なぞできるはずがない。二人の行き当たりばったりミステリーツアーは、ここらあたりから、何やら暗雲が立ち込めるのである。

 しかしこれで私は、「万里の長城行ったけど登らなかった事件」中国旅行記−北京編1)に加え、「豫園行ったけど入らなかった事件」まで犯してしまったのである。しかも、日本からはるばるやってきた大切な友人を巻き添えにして。

これでわかった。日本にいる私の友人のみなさん。
私と旅をすると、何かを見逃す。気をつけましょう。

 
豫園だと信じていた豫園商場


ホントはこんなところだった(はず)豫園

 さて、とりあえず気を取りなおして、川沿いをさらにてくてくてくてく北上する。ふと目の前に、「船乗り場」の看板が。
「そーいや、黄浦江遊覧とかあったよねぇ」
「うん」
「とりあえず、乗ってみよっか」
 と、どちらからともなく、またまた行き当たりばったりな行動に出る。この船、観光船でもなんでもなく、市民の足の一般路線。船は手すりに寄りかかれないほど汚いし、当然、一直線に向こう岸に着いてそれで終わり。一往復して、「これで遊覧したことにしよう」とスーパーミステリーにも結論付ける。
 その後、外灘にたどり着き、向こう岸の風景を楽しみながら、休憩。だって、もう足ががくがくで歩けねぇ。
これで、「歩いて周ろう、ぐるっと一周上海観光の一日」はハードにも虚しくも幕を閉じた。

 しかーし!ほんとにハードな出来事はここから始まる。ホテルに帰りついてから、夕食でも、と電話をかけて呼び出したNさんと、徹夜で語り合ってしまうのである。しかも、かなりおも〜い話題で。
詳細は省くが、次の日の日中は、爆睡して終わってしまうのであった。


 <何とかしろよ、出だしが遅れた3日目>

 午後からぐったりと活動をはじめたわたし達二人、すでにしゃべる気力もねぇ。とにかく、「何か観光しなければ」と根性で持ちこたえ、またしても行き当たりばったりに「雑技でも見に行くか」ということになった。もちろん、行き当たりばったりなわたしたち(というより私)は、「何とかなるか」と思って切符の手配すらしていない。
 切符売り場に行ってみると、「本日のはありましぇ〜ん」との冷たい返事。ならばと別の日を聞くが、どうやら、わたしたちの上海滞在中、雑技の公演をしているのは今日だけだったようだ。おりしも日本は連休、観光客はいっぱい、しかも公演が本日のみとなれば、そら切符なんか買えねぇだろう。深く納得。つーか、下調べくらいしとけよ!

 中国勧誘当事者として、さすがにあせった私はタクシーで別の雑技団のところへ急ぐ。が、ここは3月まで休館らしい。
 一体、今日一日は何だったんだろう…。
 昨日の豫園に続いて、今日の雑技、行き当たりばったりも、ここまで来ると犯罪である。さすがになんちゃんの顔をまともに見られない。ここは、食ぐらい堪能していただかなければ、そうだ、せめてレストランで女王様のようにもてなそう、とけなげに思いつめた私が、「おいしいものを食べにいこう、何でもいいよ。何が食べたい?」と聞くと、
女王様はポツリと「北京ダック」とおっしゃった。

ここは上海だっつ〜〜〜の!!!

 が、彼女に逆らえない弱みがある私は、北京ダックの店を調べまくり、女王様をお連れした。女王様は、北京ダックはたいそうお気に召したようで、まあ、よかった、よかった。
 更に、Hさんの友人の中医にしてマッサージ師という方にホテルの部屋まで出張していただき、旅の疲れと日ごろの疲れをふっ飛ばすため、全身マッサージを受ける。これでかなり心が和む。
 終わりよければすべてよしとは口が避けても言えないが、まぁ、なんとか許してたもれな一日が終わった。

 

気を取りなおして蘇州観光

 これではいけない・・・。
 
このままなんちゃんを日本に帰しては、今後のわたしたちの友情にも、ひいては日中友好関係にもひびが入る、と思いつめた私は、蘇州観光には準備万端で臨んだ。まずは私の愛読書、「鉄道時刻表全国版」で最適と思われる蘇州行きの汽車にチェックを入れ、切符もばっちり確保。数ある庭園の中から3つだけ観光することに決め、ついたらすぐ、地図を買い、順路を決める。昼食は、ケンタッキー。前にも言ったが、中国のケンタッキーは日本より、アメリカよりうまい。是非なんちゃんにも堪能していただこうと私はかねてから決めていた。ここまでの予定を決め、汽車に乗りこんだ。蘇州までは汽車で小1時間。何ごともなく駅におりたち、さて、地図を買って移動、とスーパースケジュールンなわたしたちを阻んだのは、客引き
 とにかくしつこい!ものすご〜くしつこい。自転車かりろだの、タクシーにのれだの、ホテル紹介するだの、とにかくうるさい!あれから約1年が経過した今でも、あれ以上しつこい客引きにはまだ会っていない。それくらいしつこい。ほうほうのていでバスに乗りこみ、一安心。この蘇州でわたし達が観光した名所、以下3ヶ所。

(獅子林)
 園内は、太湖石という石で埋め尽されていた。この石には、ボコボコと穴があき、その姿が獅子に似ているから、このような名前が着いたのだとか。比較的こじんまりとした庭園だが、まるで迷路。ぐるぐる回ってやっと外に出る。

(留園)
 蘇州では、一番有名な庭園。わたしたちの感想は、「かぶった・・・・・」そう、なんとなく、獅子林と似ているのである。行けのある庭は美しかったが。

(寒山寺)
 ここには、1回鳴らすと10歳若返るという鐘があるというのをどこかで聞いたので訪れた。蘇州で訪れた名所の中では、私はここが一番よかった。近くにある別のお寺に入ってしまい、あやうく「行ったけど入らなかった」記録を上塗りするとことだった。無事、それぞれ3回ずつ鐘をつき、26歳(当時)のわたしたちは30歳若返った(はず)。近くには水路も走っていて、ゆったりとした風景が楽しめた。

 とまあ、やっと観光らしい観光ができたのである。えがった〜。しかし、結論として言えば、私には中国の庭園はあまりあわない。どれをみても同じに見えて、あまり印象に残らない。ワビサビがわかんねぇ女だからなぁ。
 で、その後、私は内陸、辺境の旅へと走って行くのである。

 帰りの汽車も、問題なく乗れた。しばらくは席がなかったが、それはしかたがない。途中駅は、指定席が買えないのだ。そういえば、ダフ屋らしき人に、「上海行きの切符、買わないか」と見せられたのは、ちゃんと座席指定があった。「あやしい」と思って手を出さなかったけど、あれは本物なのだろうか。蘇州からの指定席なんか、絶対無理だと思うんだけど。
 汽車の旅の収穫は、なんちゃんに、「使用前、使用後」を体感してもらえたこと。つまり、「上海始発」の汽車が、「上海終着」になると、どんな荒れ具合になるか、身をもって異文化を体験していただいた。もう体験したくもないだろうが。(つまり車内がめちゃくちゃ汚かったということです。)

 

そして別れの日

 次の日の朝、日本へ帰るなんちゃんをNさんとともに浦東空港まで送っていった。わたしは、午後の便で済南に帰り、翌日から授業である。「好朋友」ともいえる彼女とは、また半年間お別れである。別離の寂しさと共に、「はたして、彼女はまた私と旅行に行ってくれるのであろうか」という不安も。だって、あんまりといえばあんまりな旅。

決意:次はしっかり予定を立てます!!

 ほろ苦い気持ちで別れたあと、わたしとHさんは空港内の喫茶店で時間つぶし。ここのコーヒーは、めちゃくちゃうまい!てゆーか、日本基準でいえば普通。しかも15元とはかなりお安い。ほろ苦い気分がちょっぴり飛んだ。

 さて、午後の便で済南にたどり着いた私、ものすごい事態が部屋で待ちうけていた。暖気(パイプにお湯を通して暖める暖房システム)が決壊。部屋の中は水浸し。当時の同僚K嬢の証言によると、水深3センチだったそうだ。床から3センチ以内においてあったすべてのものが被害を受け、想像を絶する事態だった。これで、ほろ苦い気分も、「これから新学期、がんばるわ!」という意気込みも、すべて空のかなたに吹っ飛んだ。

ああ、最後までスーパーミステリー。

 

結論

上海は、観光するところではない、遊ぶところである。

注:当時、デジカメを持っていなかったので、写真は、2001年正月に上海に行ったときのものを転用しました。

 

 

 

 

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