日程 1日目:午後、岡山から上海へ |
発端 「あたしがいるうちに中国に遊びにおいでよ」 |
到着まで さてさて、調子よく約束を取りつけたはいいが、日程を決めるまでがまず難関。なぜなら、中国行きのために動き始めた11月、わたしは中国、彼女は広島、当時わたしの部屋はネットができる環境になく、電話は内線、運が悪ければ日本語も英語もできない門番のおっちゃんにつながってしまう。満足な相談なんか、できるわけがない。しかも、出発予定日2月11日は連休の頭にあたり、日程を決めた頃は、広島発はすでにキャンセル待ち。福岡発はあるが、日があわない。とまあ、行けるかどうかの瀬戸際にあった。 「もう満席です。」 どうやら、広島のキャンセル待ちが岡山に流れてきたらしい。途方にくれて、またけなげにも電話連絡をしてくるなんちゃん。 「そんなバカな話があるか、旅行社の手落ちなんだから、何とかしろといえ!ダメなら、福岡までの交通費を出せといえ!」 という、顔を見ていないから強気発言のわたしの無茶な発破を受け、涙をこらえて三たび旅行社へとなんちゃんは走る。結果、上海行き、2枚を勝ち取った。しかし、押しが弱いともっぱらのうわさの彼女が、こんなに強気な発言ができたとは思えない。済南からの念が届いたのであろうか。 さて、日本へ一時帰国後、なんちゃんと共に岡山から上海へ。余談だが、岡山空港からは東方航空が乗り入れており、わたしは、中国の航空会社の中で、トップ1は東方航空だと思っている。日本の航空会社とも提携し、サービスでは中国国際航空を越えたとのもっぱらの評判である。(わたしの周りでは。)広島からは、西北航空なので、東方航空に乗りなれた後で西北航空に乗るとなんだか悲しい気持ちになる。 そして到着。到着したのは、おなじみ上海虹橋空港ではなく、できたてほやほやの上海浦東空港。この空港がすごい!何がすごいって、美しい!そしてできたばかりだから人がいない! |
上海の行き当たりばったりな日々 さて、無事空港に降り立つと、お出迎えさんが二人いた。一人は、以前の職場の先輩で、私を関西のA学校へ引きずり込んだ張本人で、現在上海で留学生をしているNさんと、そのお友達、精神科医のK先生だった。 さて、これからどうしよう。スーパーミステリーツアーな二人組はあいかわらずボーっとしている。とりあえず、一番の繁華街、南京路に案内してもらう。「香港ですか?」と言いたくなるネオンを見ながら、ぶらぶらとウィンドーショッピング。着いたのが遅かったので、これで一日が終わった。 毎日通った南京路 <それでいいのか、2日目市内観光> 翌日。今日は二人で市内観光である。こうやって見ると、北京と比べて、上海には観光スポットなるものは少ない。とりあえず豫園にでも行ってみるか、とあいかわらず行き当たりばったりに決定し、額を寄せて地図を検討。 とにかく、人の多さにはびっくり。土産物屋が建ち並び、ものすごい人々が群がっている。またまた土産物屋を冷やかしながら、人を押しのけて歩く。上海は、物価が高い。どうしても、北京と比べちゃうんだけど、値切れない。北京では、1つ10元が3つで10元になったものも、1つ15元が3つで38元までしかさがらなかった。 が、私は思っていた。「何かがおかしい…」
あわててガイドブックを確認すると、以下のことがわかった。
そらそーだ。中国初体験の彼女にとって、腐っても私はガイドであり、ツアコンであり、通訳である。そんなあたしに意見なぞできるはずがない。二人の行き当たりばったりミステリーツアーは、ここらあたりから、何やら暗雲が立ち込めるのである。 しかしこれで私は、「万里の長城行ったけど登らなかった事件」(中国旅行記−北京編1)に加え、「豫園行ったけど入らなかった事件」まで犯してしまったのである。しかも、日本からはるばるやってきた大切な友人を巻き添えにして。 これでわかった。日本にいる私の友人のみなさん。
さて、とりあえず気を取りなおして、川沿いをさらにてくてくてくてく北上する。ふと目の前に、「船乗り場」の看板が。 しかーし!ほんとにハードな出来事はここから始まる。ホテルに帰りついてから、夕食でも、と電話をかけて呼び出したNさんと、徹夜で語り合ってしまうのである。しかも、かなりおも〜い話題で。 <何とかしろよ、出だしが遅れた3日目> 午後からぐったりと活動をはじめたわたし達二人、すでにしゃべる気力もねぇ。とにかく、「何か観光しなければ」と根性で持ちこたえ、またしても行き当たりばったりに「雑技でも見に行くか」ということになった。もちろん、行き当たりばったりなわたしたち(というより私)は、「何とかなるか」と思って切符の手配すらしていない。 中国勧誘当事者として、さすがにあせった私はタクシーで別の雑技団のところへ急ぐ。が、ここは3月まで休館らしい。 ここは上海だっつ〜〜〜の!!! が、彼女に逆らえない弱みがある私は、北京ダックの店を調べまくり、女王様をお連れした。女王様は、北京ダックはたいそうお気に召したようで、まあ、よかった、よかった。 |
気を取りなおして蘇州観光 これではいけない・・・。 (獅子林) (留園) (寒山寺) とまあ、やっと観光らしい観光ができたのである。えがった〜。しかし、結論として言えば、私には中国の庭園はあまりあわない。どれをみても同じに見えて、あまり印象に残らない。ワビサビがわかんねぇ女だからなぁ。 帰りの汽車も、問題なく乗れた。しばらくは席がなかったが、それはしかたがない。途中駅は、指定席が買えないのだ。そういえば、ダフ屋らしき人に、「上海行きの切符、買わないか」と見せられたのは、ちゃんと座席指定があった。「あやしい」と思って手を出さなかったけど、あれは本物なのだろうか。蘇州からの指定席なんか、絶対無理だと思うんだけど。 |
そして別れの日 次の日の朝、日本へ帰るなんちゃんをNさんとともに浦東空港まで送っていった。わたしは、午後の便で済南に帰り、翌日から授業である。「好朋友」ともいえる彼女とは、また半年間お別れである。別離の寂しさと共に、「はたして、彼女はまた私と旅行に行ってくれるのであろうか」という不安も。だって、あんまりといえばあんまりな旅。 決意:次はしっかり予定を立てます!! ほろ苦い気持ちで別れたあと、わたしとHさんは空港内の喫茶店で時間つぶし。ここのコーヒーは、めちゃくちゃうまい!てゆーか、日本基準でいえば普通。しかも15元とはかなりお安い。ほろ苦い気分がちょっぴり飛んだ。 さて、午後の便で済南にたどり着いた私、ものすごい事態が部屋で待ちうけていた。暖気(パイプにお湯を通して暖める暖房システム)が決壊。部屋の中は水浸し。当時の同僚K嬢の証言によると、水深3センチだったそうだ。床から3センチ以内においてあったすべてのものが被害を受け、想像を絶する事態だった。これで、ほろ苦い気分も、「これから新学期、がんばるわ!」という意気込みも、すべて空のかなたに吹っ飛んだ。 ああ、最後までスーパーミステリー。 |
結論 上海は、観光するところではない、遊ぶところである。 |
注:当時、デジカメを持っていなかったので、写真は、2001年正月に上海に行ったときのものを転用しました。