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さかのぼること約1年半前の夏休みの出来事。中国に来て3ヶ月、1ヶ月半の夏休みがやってきた。来てまだ3ヶ月だし、帰国することもないかと思い、おばかな私は中国残留することにしたのである。くわえて、この間に中国語を勉強してやろうと思い、大学の短期集中ゼミに申し込みをした。そのときの私は、まだ「外国人教師」という立場をかる〜くしか考えていなかった。
他の日本人教師はすべて帰国。バケイションを日本で満喫することになっていた。加えて、外国人教師寮のある学校内もこの間(門番を除いて)無人になる。そう、わたしは夏休みほぼ完全な一人ぼっちだった。
最初はとりあえず順調だった。朝7時に大学へ行って、昼すぎにかえって、午後は読書をしたり、遊びに行ったり、勉強したり。夜はテレビを見て就寝。絵に描いたような規則正しい日々だった。おまけに授業のない土日は関係のない学校ないもモップをかけるボランティアな行動にまででていた。
が、順調な日々ばかりは続かない。まず立ちはだかったのは買い物のカベ。
中国語ほぼゼロでこっちにきたわたしは、満足に買い物もできない。スーパーマーケットは言葉ができなくてもなんとかなるが、当時スーパーには野菜、肉、などの食料品は置いていなかった。それらを手に入れるためには、5日に一度の朝市を待ち、売っている人と交渉をして手にいれなければならない。これがめちゃくちゃ大変だった。数字も満足に聞き取れず、しかも朝市をはずすと歩いて行ける距離に食料品を手に入れられる場所がなかったので、その日はラーメンに決定。買い物するのが嫌さに、一日一食で過ごした日もある。
余談だが、その後スーパーにも生鮮食品を置くようになり、近くに大規模な市場ができたときには、悔し涙で唇を噛み締めたものである。しかも襲いかかる停電、断水の恐怖。ここはすべてを電気に頼っているので、停電するともう水も飲めねぇ。もちろん料理もできず、真っ暗な部屋でひたすらひざを抱えるのみ。当時の停電、最長記録は丸二日。このときは真剣に泣いたものだ。さらに断水は、ほぼ日常的に起こり、水が出ているときにバケツにため水をしておき、いざというときに備える。
その上、中国の電気製品は実にもろくおできになっていて、いともあっさりと壊れる。夏休みにいかれちまった電気製品は、冷蔵庫、電熱調理機、電話、エアコン。電子レンジが壊れなくて本当によかった。あれがなければ、生きていけないところでした。
しかし、こんなことは子供だまし。本当の恐怖はこれから始まる。
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ある日の深夜、窓のすぐ近くで「ドーン・・・ドーン・・・・」という無気味な音が鳴り響くではないか。そぉっと窓からのぞいてみると、工事作業員とおぼしき荒くれ男が、窓のすぐそばの塀を木槌で破壊していた。
なにごと??!
この学校の周囲は高い塀で囲まれ、出入りは門番が常駐している正門しかないので、安全面は完璧♪・・・と思っていたらこのありさま。周りの塀が壊されると、わたしの部屋は丸裸である。道ゆく人がフリーパスでやって来れる。その不気味な破壊工作はすべての壁を破壊し尽くした2日後の朝まで続き、「荒くれ男に担がれ拉致される私」という夢にうなさる夜が続いた。
学校壊してなにやるっちゅーねん!
と、聞きたかったが言葉の壁により聞けなかった。正確に言えば、門番をふんづかまえて聞いてみたけど、通じなかった。努力してわかってもらったが、なんと答えたか聞き取れなかった。が、察するに、学校内の改装工事が行われているらしい。壊した壁の向こうでは、グラウンド拡張工事が行われていた。
日が経つに連れ、周りの風景はがらりと変わっていた。壁は壊され、門の前には大穴がほられ、学校には50人を超える荒くれ男が、まかないのおばちゃんを連れ常駐する。昼には、パンツ一丁でごろごろと雑魚寝をするおっちゃんたちがそこここで見られるように。とてもじゃないが、うらわかい女性が住める環境ではなくなってきた。こわいよぉ・・・咲ちゃんピーンチ!
門番氏もそのことを危惧したのか、それからは、私の部屋がある校舎の外に南京錠を付ける作戦に出た。
中じゃないよ、外だよ。
つまり、私の力では開けることも閉めることも、
外から中へ入ることも、中から外へ出ることもできない。荒くれ男がうら若い女性を襲いに入らないように、私を閉じ込めにかかったのである。(決して、私が荒くれ男を襲うのを危惧したわけではない・・・と思う。)ちなみに、1階にある私の部屋の窓は、頑丈な鉄格子がはめられている。つまり、自力では外に出かけることができなくなった。
ちょっとした軟禁生活である。
さて、とらわれの身となったわたしのその後の日々。まず朝起きると、門番にオーバーアクションで鍵を開けてくれとたのみ、帰るとまた鍵を開けてもらう。そして建物に入るとまた施錠される。
おかげで私の貞操と安全は保障されたが、火事、地震などの天災があった場合、私は建物と運命を共にしなければならないという新たな恐怖が。そんな軟禁生活の私を慰めてくれたのは、3日にあけず遊びに来てくれた生徒たちである。
・・・が、なんだかおかしい。
注意して観察してみると、どうも出席番号順にやってきているような気がする。どうやら担任の先生が、休み中私が日干しにならないように、定期的に生徒を差し向けるようにローテーションを組んだらしい。私にとってはありがたかったが、生徒にとっては迷惑この上ないことだったでしょう。
そうこうしているうちに1ヶ月がたち、軟禁生活にもすっかりなじみ、エンジョイ(?)できるようになった頃、主任の先生が日本語の先生を従えてやってきた。
「ここは危険だから、大学の留学生寮に移れ」とのこと。
どうやら、工事の進み具合を見にきた校長先生が、か弱い日本女性である私がここに取り残されていることを知り、「こんなところに外国人教師を置いておくなんて」と激怒したらしい。
が、時すでに遅し。3日後には、もう一人の先生が中国に戻ってくることになっていた。「今から荷物をまとめて、すぐに留学生寮に移り、3日間だけそこにいろ」なんて話、納得できるわけがない。なんとか説得して、ここにいさせてもらうことにする。だってさぁもう荒くれ男に対する恐怖感なんて麻痺しちゃって、な〜んともおもわねぇもん。
それから三日間は、学校のおえらい先生たちが入れ替わりたちかわり、私の部屋までやってきて、わたしの無事を確認して帰っていた。「生徒ご機嫌伺いローテーション」は、「先生ご機嫌伺いローテーション」にすりかえられたらしい。おそらく校長命令であろうと睨んでいる。
こうしてわたしは、外国人教師の残留が、いかに学校側の心労になるかを身をもって学んだ。
素直に帰国しときゃよかったかな?三日後、当時の同僚K嬢が帰ってきて、咲の辛く寂しい一人ぼっちなわりにはやけに騒々しく波乱万丈のの夏は幕を閉じた。
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