(2002年1月分)
1月30日 またまた中国的地名的喫茶店 前回
授業前日なのに、のうのうと喫茶店なんかでバイトなんぞしている金の亡者、咲ねぇさんです。
中国的地名的喫茶店、ちゃくちゃくと中国化が進んでおります。ついに2月1日から日替わり中華定食が始まります。
中華まんはさすがに却下になりました。<道具全部買い揃えてあったけど
中華定食といえば聞こえはいいが、作るの中国人オーナーです。
調理に関しては、ド素人です。
「準備ができていない」といって、試食もさせてもらえません。ぶっつけ本番でやるそうです。
「でも大丈夫、心配しないで」とオーナーは言うのですが、何がどう大丈夫なのでしょうか。
どうなるんだろ、この店…
さて、帰り際、すっかり意気消沈した店長に呼ばれました。
「いいとこがあったら、早いとこ移りなさい」って。これで心置きなく就職活動ができます。
そらもう、店長のお墨付きで。
1月29日 またしても再会
嵐のような再会、再会、また再会であったこの1ヶ月。そんな激動の一月も終わろうとしています。
昨日予告したとおり、今日はそんな「再会月間」の締めとして、大事な再会を果たしてまいりました。再会の相手は、いとこです。実に数年ぶり。
さて、そのいとこですが、あたしと同い年で、女で、
そして同業者です。
そうなんです。実は咲ねぇさんのいとこも日本語教師なんです。びっくりした?
いやぁ、3親等内に同業者がいる人はなかなかいないでしょう。(ちょっと自慢してみました)
現在、彼女はヨーロッパ某国の大学で教鞭をとっています。もうすぐ3年になりましょうか。一時帰国で日本に帰ってきたというわけ。私が中国に行ったほぼ同時期にヨーロッパ某国に赴任し、お互いの一時帰国の時期や活動範囲がずれにずれていたため、教師になってから会うのは初めてです。
漂白の人生を送る二人、やはり話の中心は日本帰国後のこと。「教師としてやっていけるかどうか」ということは、どうしても不安です。場所と条件さえこだわらなければ何とかなるのでしょうが、そうもいかないしねぇ。
「一生海外にいるって決めちゃえばある意味楽だよね」というのは統一の見解。(もちろん、それはそれで苦労はあるのでしょうが)「でも、やっぱし最終的には日本にいたいよね」というのも同じでした。年末の日記を見てもわかるように、ここ最近、あたしは自分の将来についてかなり明確な不安(変な日本語)を抱いていたため、この1ヶ月、同じ立場の近しい友人にたくさん会えたことは本当にありがたかった。
それ以上にありがたかったのは、彼女に「咲ちゃん、全然変わってないね」といわれたことです。
ええ、先日、あんなこと↓があっただけに。<根に持ってます
1月28日 関西奇襲結果報告
どもども。突発的衝動的無計画的関西ザ☆再会を求めての旅<長いな から帰ってまいりました。
名前は長いが、土曜日の夜に到着して、月曜日の午後には帰る、まさにつむじ風のように通りぬけたゲリラ的旅行でした。今回の旅行の目的は、運命の友、鶴ちゃんに会うこと、そして三月より台湾に赴任するくまくまちゃんに、ぜひ鶴ちゃんをお引き合わせすることでした。くまくまちゃんは、鶴ちゃんが以前働いていた土地に、後任の後任として赴任するのです。
土曜日は、鶴ちゃんと再会。奴隷よーへー、元後輩で元同僚のU嬢を交えて飲み。
日曜日は、鶴ちゃんとくまくまちゃんのご対面。そしてトコさんも交えて飲み。
今日は一時帰国中の元同僚H嬢と再会。
人と会う以外はすべて移動していたような気がするこの三日間。
一応、宿を貸してもらったU嬢の家で授業準備をした私はえらいと思う。<そこまでして来たいか鶴ちゃん>いろいろ話せてよかったよ。なんか悩みが軽減した感じ。お互い頑張ろう。
元同僚U嬢>毎度のことながら突発的にやってきたあたしをいやな顔1つせず泊めてくれてありがとう。
奴隷よーへー>君のおごりで飲んだ酒は涙の味がしました。ごっそさん。
くまくまちゃん>楽しい夜をありがとう。台湾生活の無事を祈る。
トコさん>再会できてうれしかったです。トコさんが変わってなくて更にうれしかったです。
元同僚H嬢>済南の最新情報、ありがとう。髪はバッチリ切ったのか?いろいろともやもやしていた時期だったので、これだけのメンバーにあってかなりすっきりしました。
しかし、くまくまちゃんと、元同僚H嬢の再会の第一声が
「咲さん、なんか日本人っぽくなった」
だったことが非常に、ひじょーにすっきりしないんですけど。前会ったとき、あたしそんなに中国引きずってました?
つーか、中国人ぽかった時期は一瞬たりともなかったと信じているんですけど。日本でも、中国でも。
信じてるのは私だけですか、そうですか。明日も
もう一つの再会が待っています。詳細は明日。
1月22日 中国的地名的喫茶店その後
人妻の熱気に当てられようが、家庭の温か〜いかほりをかがされようが、強くたくましく生きていこうと決心したわりには意外とまだ立ち直っていない管理人、咲ねぇさんですこんばんは。
本日は、みなさんすっかり忘れていたかもしれませんが、わたくしのバイト先、中国的地名的喫茶店のお話です。詳細は、この辺とか、この辺とかにあります。
コワオモテの店長と、怪しい中国人オーナーが常駐し、
最初の2週間くらいは明らかにわたしの日給程度の売り上げしかなく、つぶれるのも秒読みと思われていた喫茶店。
1ヶ月もしないうちに、突然思い立ったように横文字の店名に変更した喫茶店。
全くと言っていいほど広報活動をしておらず、明らかに普通の人なら通り道としてしか利用しないような場所にあるにもかかわらず、おかげさまで年明け当たりから徐々に売り上げが上向き始め、固定客もつき始めました。
これも、料理人である店長の腕、いつ行っても座れるという安心感、注文したら、5分も待たずに料理が出てくるという迅速サービス、ファーストフードとタイマンはろうかという良心的料金設定のおかげかと思います。しかしこの喫茶店では最近困った内部問題が起こっています。
うちは、喫茶店と言ってもランチが主体で、客層もランチ目当てのサラリーマンがほとんどなんですが、中国人オーナーがランチを中華まんにさしかえると言って聞かないのです。曰く、「喫茶店は特色がないと生き残れない」
・・・・特色が中華まんて。
曰く、「広島には、座って中華まんを食べられるような店がないから」
・・・ないのは売れないからだろ。
曰く、「中華まん3個にウーロン茶。これで1000円で売れますか?」
・・・売れねぇよ。
曰く、「咲さんの意見を聞かせてください。」
・・・やめちまえ、そんなこと。店長、バイト、全員が結託して猛反対したのですが聞きやしない。中国風喫茶として売り出したいという気持ちはわかるのですが、それならまず店内すべて改装すれ。ミスマッチもいいとこです。
大体、日々昼食を取りに来るサラリーマンが、毎日毎日中華まんを食べてくれるわけないやんけ。せっかくつかんだ常連客が猛ダッシュで去っていくこと間違いなしです。
先日、中国人オーナーQさんが作った中華まんを試食させていただいたんですが、
ええ、おいしかったんですよ、それなりに。なんつーか、中国の道端で1個5角で売られているあの味で。・・・・・絶対無理だよ。喫茶店の商品として。
2月からは、3時以降の軽食メニューとして出し、3月からはランチが差し替えになるそうです。
すでに、どでかい蒸し器とせいろが入っております。
店名も、中国的地名的店名にもう一度戻すそうです。
看板とか、名前全部変えたばっかりなのに。先の展望はないのか?アンタには。おかげで店長はすっかり殻に閉じこもってしまい、「俺は田舎に帰って農業をやる」とつぶやいているし、バイトのOさん(朝はホテルのモーニング、昼はこの喫茶店、夜はスペイン料理店で働くプロ中のプロのウエイトレス)は、もう怖くて話しかけられません。
いうべき言葉もありませんが、
ま、やめやすくなったことは確かです。<をいはやく本業の口を探そう。
1月20日 戦い終わって
今の気分:
もう、今プロポーズされたら誰彼かまわず結婚しちゃいそうな感じぃ。
いや、すごいです、すごすぎます。人妻と母の空気に圧倒されっぱなしでした。
話題の中心も、「よい産婦人科はどこか」とか、
「保育園にはいくらかかる?」とか、
「いかに苦しい出産をしたか自慢」とか。
子供用の菓子包みは用意してあるし、
子供用のおもちゃは用意してあるし、
授乳を始めるお母さんもいるし、
なんか、「あなたの知らない世界へようこそ」ってな感じでして。
今だかつてないほどに疲れました。(精神的に)
いや、たのしかったんですよ、すごく。
やっぱり、昔の友達というのはいいもんです。
1月19日 再会の嵐
ひさびさの日記更新です。どーも、おまたせしてすびばせん。とにかく、この1週間はものすご〜く忙しく、HPどころかネットにもほとんど触れない状態でして。許していただきたいと思います。
思ったとおり、同じ10コマでも今回の授業は準備にものすごく手間がかかり、その上新しいクラスなのでその辺のストレスもあり、うっかりはじめた喫茶店のバイトなんかも足を引っ張っちゃったりして。ま、授業のことは教師日記に書きます。さて、日々自堕落に生きている咲ねぇさん、当然のことながら<をい 忙しかったのは仕事のせいだけではありません。前回の日記にも書いた通り、北の大地から大学時代の友人が遊びに来ていまして、それが引き金になったのか、この1週間は予定、偶然が渾然とした再会に次ぐ再会の1週間でした。
〜再会の軌跡〜
1月12日 北の大地からやってきた友人と数年ぶりに再会。
1月13日 そのからみで広島在住の大学時代の同級生達と再会。
1月14日 またまたそのからみで別の同級生と再会。
バイト帰りに高校時代の友人とばったり再会。
1月15日 仕事帰りに中学時代の友人と再会。
1月19日 電車の中で大学時代の友人にばったり再会。一体私の周りで何があったの?
と思わず叫びたくなったこの1週間。ほんとにどうしたというのでしょう。
明日は極めつけの再会、高校時代の部活のOG会というのが控えています。
このOG会、
午後1時から
町の集会所で
子連れ参加だそうです。
この年になると、同窓会もこうなってしまうらしい。
しかも先日数えてみたら、わたしの知る限り、
参加者11人中既婚者9名
うち子持ち7名
不明1名。
つまり、この不明1名の状況如何によっては、ヘタすりゃひとりぼっちはわたしだけ。
連れてくる子供は、総勢10人を超えるそうです。・・・・・・・・・・・。
すごく楽しみだが、なんかすげー行きたくねぇ。
勝てないって。いくら独身貴族のすばらしさを力説しても人数的に勝てないって。
やるまえから、負け戦決定。<いや、戦ではないが。昨日中学時代の友人をふんづかまえて、大酒飲んでテンションを高めておいたわたしを誰も責められないでしょう。
明日の夜は魂抜かれて帰ってくること間違いなしです。
できればそっとしてあげてください。
1月11日 初授業ウィーク終了
初授業終わりました。今日は6時間授業してきました。
本来ならば教師日記にあれやこれや書きたいんですけど。
あ、matsumotoさんからサンタくんとサンタちゃん画像をいただきました。
それもUPしたいんですけど・・・・・・寝させてくださいお願いします。
もう限界。後日書きます。
明日は
愛する人と数年ぶりに再会します。
一度はわたしと同じ夢を追ったステキな人です。
この連休は二晩をともにする予定なのでそっとしておくとよいです。
ちなみにこの人は、同級生で中学校教師でその上女です。
オヤスミナサイ
1月8日 この1週間
お久しぶりです。年が明けたとたんにまるまる1週間、パッタリ日記をサボってしまったヘタレ管理人、咲ねぇさんです。三日坊主がはだしで逃げていく勢いの日記に乾杯!
突然パッタリ日記が止まってしまったので、「何かあったのでは?」と心配をかけてしまったかもしれません。すまんすまん。どっちかっつーと、何もなかったから日記が書けなかったのですが。まったくもって、のんびりゆったりまったりネットリ正月休みを満喫するだけだったんですよ。
あ、疑ってます?そこの人。
「日記のネタぐらい転がってたはずだ」って思ってます?
じゃ、検証してみましょうか。(1月2日)
早朝より、友人とデパートの初売りを奇襲。
(1月3日)
それでもあきたらず、別のデパートの初売りを奇襲。
(1月4日)
飼い犬(これ)のシッポから大出血。動物病院へつれていく。
結果、尻尾を切断される。
かわいそうに見えるが、痛みも無くなったのか本人(本犬?)はご機嫌。
(1月5日)
初スポーツジムへ。心身ともにリフレッシュを…
と思ったら、母I子さん(仮名)がどうしても一緒につれていけとせがむので仕方なくお連れする。
(詳細はあまりいいたくありません)
(1月6日)
喫茶店でバイト。中国人オーナーQさんの奥さん(中国人)が、カレーを頼んだお客さんにに箸をつけて出すのを見てたまげる。
その後、ピラフにも箸をつけていたのを見て更にたまげる。
しかし、なぜか定食にはスプーンをつけるのだ、奥さんは。
(1月7日)
この日も喫茶店でバイト。アンミツにつけて出した黒蜜のビンの中になんとソースが入っていた。
わたしもびっくり。店長もびっくり。もちろん客が一番びっくり。
誰だよ、ソースなんて入れたのは。・・・・・・・・・・ね、何にもなかったでしょ。
HPの大掃除はほったらかしなのに、HPの正月休みだけはきっちりとった咲ねぇさんにもう一度乾杯!
ちなみに今日は、日本語学校で授業の打ち合わせをしてきました。
詳細は後日。
2002年1月1日 お年玉
目覚めたら鼻の中におできができていました。
新年早々いや〜なネタであけましておめでとう。管理人咲ねぇさんですこんばんは。今年もよろしくお願いいたします(三つ指つきながら)
2002年最初の日記のお題は正月らしく「お年玉」でまいりましょう。
念のため言っておきますが、あげるほうですよ。
もっとも、去年はもらってしまいましたけど。
この年になると、正月にお年玉をあげるなんつーことは、しごく普通のことなんでしょうが、どうやら我が家は晩婚の家系のようで、今年「みそぢ」を迎える兄を始めとして、近しい親戚は独身者が多く「お年玉適齢期」の子供はほとんどおらず、
類は友を呼ぶというのか、ハエはゴミに集まるというのか、わたしに近しいマブダチ達も子供どころか結婚すらしておらず、
わたしが「お年玉デビゥ」してから数年、お年玉渡し義務が発生するのは年の離れた中学生のいとこ二人のみです。
毎年思うのですが、普段、わたしが「ああ、大人になったな」なんて思うことはほとんどないのですが、子供にお年玉を渡すときだけは、「あたしもついにそんな年齢になったのね」という感慨に浸ってしまうんですよ。少ない給料から身銭を切って渡しているにもかかわらず、じ〜〜〜〜んと喜びに打ち震えながら渡してしまいます。
変ですか、わたし。
でも、お年玉って、もらう方にも夢があれば、渡す方にも夢があると思うんですよね。
ってな世迷いごとも、数と金額が少ないからこそほざけるのでしょうが。
そのうちわたしにも、泣きながらお年玉を渡す日が来るのでしょう。ついでに、もらう方の話も少ししましょうか。
先日、弟や妹にお年玉をあげるという話を聞いて、心底うらやましいと思いました。
わたしは兄からお年玉をもらったことがありません。
きっとそれは、兄なのに大学入学も卒業も就職もわたしと同じだったからでしょう。
どこで狂ったんでしょうね。
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