ドキュメント乳癌・・・ 2003、7,8開始-
 右乳温存手術転移その42005、10、30より
     何とか生きていますよ。ホームページ1ヶ月ぶりです!

今までの経過は、以下をクリック。 
1、乳癌その1 2、乳癌その2 3、乳癌その3 4、放射線科 5、抗がん剤その1 
6、抗がん剤その2
 7、抗がん剤その3
 8、リハビリ 9、転移その1
10.転移その2  11.転移その3

このホームページは、インターネットであらゆる情報を得たおかげで救われましたので、
わたしもどなたかへ、一つの情報として提供できればと思い、記録していく事にしました。
 
 
 転移その4!!
つづき乳癌その12 あなたは 番目の訪問者です!

2005、
10、30
(日)
骨転移から13ヶ月
光陰矢のごとしで、何もせず、ここ8ヶ月ほど姉もボランティアもほとんど来なくなった。4月から6月まで発熱やら嘔吐ガあり、体調をくずしてしまった。その上にこんな時に気をつかってしまって、助けて!とはいいにくかった。とうとう20世紀最大の発見である抗がん剤のタキソールの抗体ができ効果がなくなった。
それで今年の5月31日に
乳ガンにも「承認追加」された肺がんに使っていたというナベルビンに変えた。また骨の薬もビスフォナールから痛みが解消する昨年11月に承認されたアレデアに変えた。

7月よりたまに家族らに助けてもらっていた病院通いが、だいたい独りで行けるようになった。

最近は、独りでぼんやりすることが多く、中年者認知症かと思われる行動も増えた。何とかしたかった。

4時間の抗がん剤投与内容

2005、
10月末〜11.09(水)
10月末・夫の知り合いである人と投与後に病院で合った。投与の後はステロイドが少しだけ入っているので、しんどいがハイテンションとなり。しっかりしゃべった。

11月初旬そのまたもう一人の知り合いの方と3人で投与後に病院でお会いした。しんどくてたまらなかったが、ついリップサービスし過ぎ。久しぶりの家族以外の訪問なのではりきり疲れ果てた。

それから数日間に渡り疲れが取れず、睡眠不足で嘔吐があり11月9日の前日から何も食べられなかった。その翌日も同様で高熱も出てきたため明日まで持ちそうもないので、夜に病院へ緊急番号に電話して「救急扱いで見て下さい」と頼み込み夫に付き添われてタクシーに乗って病院に転がり込んだ。入院やVポートの手術担当医だった医師が、たまたま診察の事後処理でPM9時半まで残り仕事をしておられたので、1時間後に到着するPM10時半まで特別に残って待ってくれていた。そしてステロイドや栄養剤などの点滴をAM0時前まで付き添いで処置してくださった。今までの経過をご存知の先生だったので本当に有り難かった。一時はどうなることかと心配した。

救急治療の点滴で脱水症状も解消し栄養剤も入れていただき少し元気になった頃に、同僚の救急医が数日後のブッシュ来日の話をされていて万一の時は、この病院が対応することになっているという話がおもしろかった。

その後は、当直の外科救急医にバトンタッチ。あとから解かったのであるが、この外科救急医は、以前私にVポートを入れる手術時に一緒に手術してくださった医師の一人だったので、患者がどのような状況なのかご存知でほんとうに安心できました。PM1時頃に緊急治療を終えタクシーで夫と共にタクシーで帰宅。

すると突然、数ヶ月ぶりに子供が家に帰って来たようで家に電話しても誰も出ないので携帯に電話が入り「玄関を開けてくれ!」と言っている。子供は何か家族に異常があったことを察知して帰ってくれた?ようで急に元気が出てきた・・・。

翌日もお願いして午後に科学療法部外来に行き、嘔吐用の点滴をしてもらった。また脱水と栄養不足それに胃痛対応もしてもらった。夕方までなら外来で対応してもらえるから安心だ。

安心と言えば睡眠不足が身体に一番こたえ、つらい。でも健常者にも体調があるように、ましてや末期ガンで健康を害している者の体調不良は命取りとなる。外来の科学療法部は、通常しんどくて考え方の切り替えを看護師に助言してもらったり、他の患者の話を適材適所にタイムリーに聞かせてもらったり、ここの看護師に寄り添っていただけるので楽しみである。お若いヘルパーさんからも大事にされて嬉しい。ドクターもみんなお若くしっかりしていて、楽しい。また、オープンスペースなので職場が明るいし笑い声も絶えないし、しんどくてうんうん言ってても普通に寄り添ってくれるので、なーんや、と元気になって帰るんだわ。ええで。行くのが楽しみや。ひひひ。
病院に着くと急に元気になるので家族はいつも不思議がる。さっきまでしんどーいしんどーいと言うことが多いので。しゃあないやんね、元気つくからさ。ははは。








嘔吐・
高熱・睡眠とれず、2日間何も食べられず・・

夜に救急で病院に転がり込む














翌日も嘔吐用などの点滴
2005,12,14
(水)

乳がん温存手術
から2年半

骨転移告知後
1年4ヶ月


12月12日(月)に胃カメラを飲んだ。もう痛くて激痛がした。2週間食べられなくなった。この11月には免疫力が落ちることが多くありストレスもかなりあった。その上に児童に対し成人の身勝手でむごいことがあった。これを書くだけで泣いてしまう。やっと書く気分になった。

下記のことは一部分である。しんどいことが多く重なった。

私は事故3年生の児童が亡くなった後のクラスを4年生で担任した。大事に大事に育てた子を失った家庭のつらさや悲しみは時間が経てば経つほど深くなるのだ。また、仲良く過ごした級友やその保護者、全校児童やその保護者達、そして、地域の方々の動揺やショックは子を失った保護者とはまた違ったかたちのつらさを負うのだ。人間関係の薄かった学年だったので、担任としての
児童の心理の把握は気をつかった。30年日記指導をしてきたのでかなりは把握できたのではないかと自負する。ただカウンセリングについても、ある保護者が児童の日記の次のページに書いてきていたので、かなり動揺している児童の家庭での様子も把握できたように思う。また、1,2年の担任からの提案でお墓参りもし、それを車から見た児童達からの提案でみんなでお墓参りをしようということになった。その後命日には集まってお墓参りを続けている。私は今年は行けなかった。どんなことをしても悲しみは消えないし、消してはいけないと思う。つらいけど。この級友やその保護者達の行為が気持ちを軽くもし、悲しみとの闘いだ。闘って初めて一歩進むのだ。彼の死を無駄にしてはいけない。安全な暮らしの大切さを忘れてはいけない。

胃はがんではなかった。電子カルテなので正確な情報が得られ、胃カメラの医師からのコメントもすぐ印刷してもらえるのでメモをする手間はいらない。ありがたや!

しかし、しかし、嘔吐が2日間とまらず、11月11日(金)の夜救急で、しかしタクシーで、駆け込んだ。入院担当でVポートを(投与用のカテーテルを)左手に入れる手術をしてくれた乳腺の医師が、診察後の整理に9時30分過ぎまでいたので、待っててくれた。10時30分に着いて投与を1時過ぎまでしてくれた。点滴を落としながら管の途中から注射器で別の薬を少しずつ入れていた。医師が遅くなったのはこのためだ。医師の健康が危ぶまれた。いい医師が病気になるのはこういうことだな。

11月14日(月)予約無しの割り込みでブドウ糖などの投与に行った。ブッシュ来日でなかなかでした。ヘリの騒音やら全国から集められた警官のバスやら路地に立つ警官・・・興味深くみてしまった。大統領夫人の書道指導した人は姉の書道の先生みたい。弟子達が大騒ぎだったようだ。

11月15日はいつもの投与で連日通院した。また路地に立つ警官の多さには
思わず、学生の頃のバイトを思い出した。1970年代なのでデモが多く、バイト先の娘の夫が警官で機動隊で出ていた。特別手当がでたそうだ。バイト先は山中湖にある別荘で管理人のもちろん夏だけの仕事だった。この時代では日本で一番よく知られていた会社の社員用の別荘だった。・・・このブッシュの
警護の方達へも特別手当は出るようですなあ。余り京都に詳しくない警官には警護にも限界があるのではないかと思って、お役目とはご苦労なことだと思った。大切な日本の宝である児童の警護もしてほしいなと思ったりしていた。

12月5日(月)には肝臓のエコーも撮った。さてこの12月15日(木)またまた脳のMIRを緊急で撮る事になった。頭痛が4日一日中続いているのだ。1月には肝臓のCTも撮る。去年のイヴの日は入院中だった。12月はイヤ。嫌いになりそうだ。でも入院中は夕食にケーキが出た。ツリーのカードもついていた。心臓の手術をする方の病室だったので、おばちゃん達みんなで喜んだけど。

身勝手なことばかりですが、12月はヒトのことなんて考えられないほど忙しい
のは重々承知なのですが、みなさんの祈りを信じています。



検査
ラッシュ













悲しいこと








検査結果







夜中の
緊急投与



















緊急の検査








2005、12、16
(金)
脳下垂体の腫れを指摘され、ここ2ヶ月ずっと検査入院をうながされてきていたが、ずっと断ってきていた。でも嘔吐やら頭痛やらがこの間続いていることや、思い当たる症状がかなりあるので、致し方なく検査入院を受けることにしました。入院はイヤだ!な。

せっかくHPを再開したばかりなのに・・・。検査入院がいつになるか解かりませんが。

お見舞いはお断りいたしますが、祈ってくださいね。


去年もタキソールという抗がん剤投与でイヴの頃に入院していたのですが、アメリカから手作りのオーナメントをその頃送ってくださった方から、また本日メイン州から手作りのオーナメント2つがXマスカードを添えて届きました。とても嬉しいことです。なぐさめられます。いつも不思議なのですが、しんどい時に色々な方から思いが届きます。

先日も苦しい時、スペインにグループの方々とスケッチ旅行にきているからと絵葉書を4枚ほど送ってくださった方がいました。とても励みになり、お土産のCDも送ってくださいました。物じゃなく何処にいても私のことを祈っててくださるそのお心が嬉しいのです。

葉書は心が届きますね。いい味です。

色々な方々に支えられて本当に身に余ることで、涙がこぼれます。
メリーXマス!!



祈ってください









心ってとどきます
2005、12,21
(水)
15日(木)朝5時30分に起きて放射線と内分泌の診察に行って夕方の4時から頭のMRIを別の病院で緊急に撮って実にしんどかった。帰宅したのは7時30分だった。

17日に姑の17回忌をして、18日の夕方にすごいめまいが起き、頭を動かせなかった。買ってあった大人のオムツをして用をたした。すぐ差し込み式の便器を買ってきてもらって夫の世話を受けた。夜中過ぎにやっとトイレにいくことができた。月曜日の一日は夫が仕事でどうしても休めず、困り果てていたが、何とか身通しがもてほっとした。

20日は夫が一日休んで付き添ってくれた。消化器内科と内分泌科と化学療法部での投与があった。寒いので雪を心配したが晴れていてほっとした。4時間の投与中に夫だけで内分泌の診察に行ってくれた。

今日はめまいがしそうだが、これだけは記録しておこうと書いている。


今年は入院をまぬがれたようだ。Xmasuの切手を買っておいたのに使えず、
残念だ。

やっぱりしんどいな
2005,12,23
(金)
昨夜久しぶりに朝までぐっすり眠れた。でも、何かふらふらする。健康な人でもこの寒さはきつい。しかたないかもしれない。それにしても寒い!

今年の入院はまぬがれたが、カレンダーをみると、もう年の瀬なんだわ。新年に向けて何を準備したらいいのか考えなくては。

オカン達からのメッセージが届いた。暖かい心が届いた。有り難いことです。検査や痛み等のたびにつらい時間を過ごしますので、力をいただいてます。
エカテリーナ、グレース、りんりん、はいはい・・・勝手に命名しましたが、ありがとう。下垂体の腫れがどこからきてるのかを調べる検査入院だそうです。私の抗がん剤投与は高度な技術を要するらしく、入院が長くできないそうです。良かったような・・・。1月にはまた肝臓のMRIを撮るし、もう検査は嫌ですわ。
くたびれます。でも、変化をみないといけないしね。絵門ゆう子さんじゃないけど、生きてるのが不思議なわけだから感謝して受けてたちます。



来福
2006、1,18
(水)
もう身体がどうなっているんだろうと思うほど、つらい日々だった。夫にしがみついて泣いたこともある。夫は一生懸命支えてくれた。ベッドの横に布団を運び同じ部屋で寝てくれた。励ます夫の声も泣いているように聞こえた。有り難かった。

でもまた来週もっときつい抗がん剤に変わるという。その副作用のプリントを見ただけで、昨夜は嘔吐してしまった。応援に来て横で寝ていた姉が飛び起きて支えてくれた。命あるまで生きるのが生きるものの宿命だ。まさに延命そのものだが、受けてたつしかない。

周りの家族が何より大変だ。夫は仕事、農業なども合わせて家長としてここまで突っ走ってきた。しかし、困った。気合も出そうにないが、また、みなさん祈ってください。


アイさんいつもありがとう。

つらい日々
2006,4、10
11(火)
 2005、12からから2006、3まで、生きた心地しなかった。詳しくは書けません。もうパソコンも書けないんです。体力消耗はなはだしく、これも書けません。書きたいけどそんな按配で。しゃべるのも疲れるなんて、自分が信じられません。
 おかげで4月に元気になり3年ぶりの桜の開花に間に合い、MKの運転手の配慮で車内から、東福寺への道沿いの早咲きの桜、三十三間堂のきっと彼岸桜、川端通りの花の競演(柳の新芽、しだれ柳、雪柳、連翹、要もちの垣根、梅などなど)、高瀬川の桜のトンネル・・・堪能した。病院への行き帰りの車の中からしかでないが、見事だった。美しかった。3日には、鴨川の空はいつものからすととんびだけじゃなく、燕が飛来を喜んでいるようで飛んでいた。野鳥の会の「ツバメかんさつ全国ネットワーク」に享年入会したばかりに隣のツバメが飛んでいってしまったので、今年こそはと願っている。だって隣のツベメが、ながめていると、息子の部屋に間違って私の頭の上をしゅっと飛んだので、可愛かったから感動して、入会した。待っている。首を長くして。
 でも、今日から新しく3個目の抗がん剤が効かないので、2回目の経口の抗がん剤を朝夕飲み始めた(1週間だけ)。
生きてます!
2006,5,11
(木)
6ヶ月ぶりの日常にやっとやっと生きてる間隔がもどる。ただし、消化吸収は、
なかなかです。その上、両手の爪に赤い・・・。出血!!別名拷問と言われていることにチャレンジ!興味関心の大きな私目の宿命。ははは。ある抗がん剤を投与中に両手を凍らせ、抗がん剤が毛細血管に行かないようにするんです。ほんまに「拷問」ですわ。なかなか、がんも奥深いこと!!でも、何か、希望も感じるのよねえ、不思議と。

少しの日常
平和な感覚
幸せって!?

 トップ アイコンHPトップ 乳癌topへ   転移その1 転移その2  転移その3  放射線科へ   抗がん剤その1へ 


  ここに掲載の写真および記事の無断転載を禁じます。rk
  
copyright(C) 2000 R KAll rights reserved.

Ads by TOK2