ドキュメント乳癌・・ 2003、7,8
 右乳温存手術転移その1 2004,8,20より 
 kより
ついに来るべき時が来た。Rが「乳がん」を宣告され手術したのが1年前。告知時は、このホームページの
お陰で苦しまれている方の手記を読み元気付けられた。そして少しでも皆さんのお役に立つのではと思い、
ホームページを立ち上げました。Rも自分の人生の最後ではと考えたのか、毎日パソコンの前に座り
必死に打ち込んでいた。しかし、1ヶ月前からホームページの転送ができなくなり数日前にやっと復帰した。
この間に、友人からホームページが見られないがどうしたのかとの問い合わせが多数あった。
 数日前の精密検査の結果で、Rから「転移かも」という一言にくるべものが来たので、ホームページの更
新を見合わせた方が良いのではと思った。しかし、Rは、プロバイダーへの転送復帰後、必死に今までの
経過をたどりながら打ち込みはじめた。そして「これが私の生きがいやわ・・」と一言。私は、このホームペー
ジが少しでも苦しんでおられる癌患者のため、また、いままでRがお世話になった皆さんへのメッセージとし
て書き続けることを応援しようと決心した。
 私は、これを読んでいただいた方の努力により少しでも癌という病気が解明され癌がこの世の中からなく
なるように願っています。

転移!
 現在女性の乳癌は、20人に1人患者が発生していると言われています。
 現在の人間ドックや通常の乳癌検診では発見されないので大問題となっています。 マンモグラフなどに
よる検診方法の早急な対策が必要でしょう。この
乳癌記録(特別手記)は、乳癌を体験された方が
毎日記録された手記です。
乳癌にも色々な段階や種類によって治療方法も様々ですが日本の最新設備が整った超一流の総合病院の
名医と言われる医者の診断を受けた患者の手記です。
  くる時が来た・・。
今までの経過は、以下をクリック。
1、乳癌その1 2、乳癌その2 3、乳癌その3 4、放射線科 5、抗がん剤その1 
6、抗がん剤その2
 7、抗がん剤その3
 8、リハビリ 9、転移その1 
10、転移その2  11.転移その3 

  転移!!
つづき乳癌その9 あなたは 番目の訪問者です!


2004
8,20
 (金)

術後
 1年1ヶ月
7月29日の一年目検診(胸CT,腹部エコー、骨CT)の結果を聞きに行った。脊柱2箇所と骨盤2箇所の4箇所に骨転移していることが解った。

最近腰が痛かったり、右足がずっとしびれていて、歩きにくかったことがよくあった。腰痛は術後の直後からあり、整形にも行った。

右足のしびれは
FOOTの痛みが術後からあり、右足太ももの骨のしびれになり、座りにくかったり歩きにくかったりしていた。整形では腰痛は訴えたが、右足を言うのを忘れたりするほどのことであった。時たまあることだったので、気にはなっていたが。

本によると骨の転移は下半身のしびれから起きるとあったが、本当であった。

寝たきりにだけはなりたくないなあ。
25回目の診察


来るものが来た転移
2004、
8,21
(土)
術後
1年1ヶ月
オリンピックの金メダルの試合を見ている。楽しい。夫とはなるべく転移の話はしないようにしている。だってもうどうしようもないもん。きっと二人共話すと、二人でどん底に落ちてしまいそうやから避けているんだわ。

昨夜、2ヶ月間、PCが動かなかったのを夫が直してくれた。夫の愛情表現はこれと思う。これで精一杯なんや。

今日は夫は休耕田を耕しに行った。私はおさんどんを作っただけで、ずっと寝ていた。

先生もショックやろな。
一緒に寄り添ってくれるだろうか・・・。

でも、昨日の診察で「えっ!先生、意味解らへんから、カルテ見せて・・・」と言うと、見せてくださった。
確かに人骨のカルテに黒丸が4個記されていた
日常に感じている変な痛みの場所とかさなったし、妙に納得してしまった。

先生・「4箇所というのが気になるねえ。
PETを撮ろう。
私・「えっ、そんなん、別にがんが見つかったら。先生、
怖いですやん!!
先生・「何を言ってるの、その為に診てるんだから・・・」
私・「胃か、大腸かやろな・・・」
先生・「
骨のMRも撮りますか?いつが都合いいですか?」
私・「木曜日が休み易いです。」

今思えば、木曜日と言わず、こんなに大そうな事態なので早速の月曜日でも良かったのになあ・・・。やっぱり、思考力を失っていたみたいや。

足なので寝たきりになりそうやから、自分の身辺の整理もしておかねばならないとは思うが、身体がしんどくて動けない。息子でもいればなあと思う。息子の部屋で寝ているが、ここから離れたくないと思う。病院はいやや。

これから何が始まるのか・・・。


がん細胞が骨に転移すること。乳がん、肺がん、前立腺がん、甲状腺がん、腎がん、胃がん、肝がん、子宮がん、大腸がん、甲状腺がんなど多くのがんが骨に転移する。転移すると強い痛みを伴うようになる。骨転移の診断としてはレントゲン写真による骨変化が重要だが、特に骨変化には大きく分けて骨溶解型骨吸収型に分けられる。骨吸収型では骨の強度が著しく損なわれるため、骨折をきたす可能性が非常に高く、早期の治療が必要となる。全身の骨転移の状態を見るには骨シンチグラフィーが最も良いとされている。治療としては主に放射線療法が行われる。排尿反射(第2、3、4仙髄)が遮断されると、尿閉が起こる。 (もう、これが起きている。8月から尿が出にくく、最後が痛みを伴っている。
普段どおりの生活



昨日の診察で

















骨転移とは
2004,
8,22
(日)
今日は朝から休日ではあるが、上司二人に連絡する。一応病気休養ということで、辞職か否かはゆっくり考えることにすると伝える。がん告知で死の沼の淵まで行ったので、拾ってもうけた命を自分でこんな結果にしたんだから、腹は据わっている。しかし、実のところは余りにも大きな事態なので、考えることができず、目の前のことを考えているだけ。

しかし、身体がしんどい。目眩と食欲不振とだるさで、持続力がなくすぐ横になるばかり。身体がしんどいのがつらい。気も滅入る。いろいろ準備しなくちゃいけないのに、動けない。知り合いに連絡しても事が重大なだけに、反応が無い。びっくりしてんねんやろ。出来る事を手伝ってほしい。ぱっぱと動けないもん。すぐ目眩とだるさで立ってられないから。困ったもんや。私と言う人間がよく見える。

一人からやっとメールが届いた!!嬉しい。神さんみたいや。ちょっと楽になった。ありがとう!!

もう一人の同じ患者からもメールが届いた。ありがたい。だって怖いやんねえ。

また一人からTELをもらった。一緒に動いてもらえそうや。気持ちだけでもほっとした。でも、そうそうは甘えられないけどね。運転してもらえるのが嬉しい。

疲れた・・・。
準備
2004、
8,23
(月)
薬のせいかずっと眠ってばかりだった。

約一ヶ月間、あの大好きだったご飯が喉を通らなかったんだけど、夜、
やっとやっとご飯が喉を通った夫が金曜日の診察に来てくれるから、元気が出たんかなあ。

でも、今日の夕方、また下痢だった。ずっと三日に一回は下痢をしていたんだけど、昨日もあった。抗がん剤の影響だと思うけど・・・。

やっとまた一人とTELがつながった。やっぱりどこかで頼りにしてきた子や。子いうても、もうじき50やけど・・・。ははは。でも、再婚で近くに来てくれていて、ラッキー!!これは大きな救いや。

聖路加国際病院に行きたいけど、家の近くがいい。東京に息子もいるけど、彼には負担が大き過ぎる。家の近くで、夫の仕事場に近いのがいい。
やっぱり夫に思われるのが一番幸せやから。そして、周りの人からはまた別の質の違ったはかり知れない幸せを受けられるから、みんなの近くにいたい独りはもういやだ。それに、独りでは闘えないと思うから。
ずっと眠る











でも、独りでは闘えない
2004、
8,24
(火)
昨夜は眠られず、また、朝になっても神経がびんびんしていたので、今朝6時頃睡眠薬を久し振りに飲んだ。午後1時ごろ目覚めたが、左手の人差し指が曲がらず、びっくりした。しびれていたようだ。睡眠薬を使うといつもしびれる。

今日はもう一人と連絡をとった。
彼女も血尿が出ているらしい。息子さんが、この厳しい夏の影響か、寝込んでいるようだ。心配していたんだなあ、猛暑だし、若いから動きたいやろし・・・子どもについては心配は限りなく、特に自分の身から産みだした子については、母親はつらいもんや。わたしもこの2日間ずっと息子達の夢ばかりみてるから・・・。そんな彼女が動けない私に買い物を引き受けてくれた。申し訳ないことです!!彼女もしんどいのに、申し訳ないことやけど、甘えておいた。有難い。お刺身と果物を頼んだ。すぐ相手のことが解り、すぐ行動できる賢明な女性や。つくづく思う。

夕方、早速、食事まで作って持ってきていただいた。彼女の身心や息子さんの症状を考えると甘えてはいられないんだけど、お心に甘えておいしくいただいた。涙が出る。私が支えなくちゃいけないのに・・・。でも、彼女には悪いけど、いい話じゃないけど、顔を見て転移の話をしておきたかったので、家にまで来ていただいてお話できてよかった。それに、近くなのにDOKOMOに車で連れて行もらって彼女のメールを携帯に入れてもらったし、ほっとした。彼女の身体も心配になってきた。


新任の時の教え子から我が子の相談を受けていたんだけど、調子悪くやっと先日返事を送った。今日その教え子から手紙をもらった。何とかカウンセリングを受けて、親が頑張っている様子でホッとした。その手紙の中に、私が新任2、3年目で4,5年と彼女を担任したのだけど、彼女の思い出として私のことが書いてあった。

@先生が胃が痛いと保健室で横になっているのを何度も見に行った事
A6年生の男の子を必死に泣きながら叱っていた事
B最後、学校を変わることを言わず、体育館の舞台でお別れの挨拶の時、言葉をつまらせ、そして、みんなで泣きじゃくり職員室に行った事

全て忘れていることばかりだけど、そんな事もあったんだなあ。もっともっと強烈なことがいっぱいあったから。新任からやっぱ熱血やったんやなあ・・・。


今日は
右ひざの上の方と左手がしびれたり、痛い。横座りは痛くてできない・・・。気のせいかなあ・・・。首のリンパは腫れている。肩がすごくこっている。

きつかった夏








彼女










30年前











やっぱり調子悪い
2004、
8、25
(水)
転移なんてウソの様な日常。・・・今日は午前7時30分に起床してご飯のスイッチを入れ、夫の出勤後、午後1時まで寝た。シーツやらを洗濯している最中。ご飯はやっぱり食べられないので、午後3時頃にお茶漬けで何とかお腹に入れる。これから漢方薬を注文する。

明日は骨のMR検査である。先日の骨シンチが決定的なんだけど、また、何か主治医として診るものがあるんだろう。調子よかったらまだ動けるので電車で行くけど・・・。別の病院でMRを撮るので、今連絡してS女史に迎えにきてもらうことにした。31日までは自由がきくというので・・・。まあ、皆さんに協力してもらって何とかしのごうと思う。世の中捨てたもんじゃないやろ。でも、甘えは禁物やけどな。

外国では動けない患者の通院やお茶の相手や、散歩やらのボランティアグループがけっこういる。わたしも、近所の老人夫婦の勝手なボランティアをしていた。車を運転できないので、鯉のえさを買いに行く時に一緒に遠くまで行ったり、お茶にオシャレなレストランに行ったり、けっこうしていたんだけど、途中でがんになり中座した。こういうグループを作りたかったし、近所が老人の多い地域なのでやりたかったんだ。

家族の妻や母の喪失感による不安などのストレスも緩和するというもの。

私を教材にして、患者及び患者の家族をケアするボランティア活動をしてみませんか?

家族や親戚だけでは限界がある。行政や知り合い全ての協力が必要で、その為にみんなは存在するものだ。日本は何でも隠し、病気を罰かたたりのように見がちであるが、そんなことをしている間は、思いやりなんて育つわけない。子ども達にやって見せない限り、命を大切にすることを地域がやって見せない限り、命を尊ぶ子どもは育たないと思う。病気は誰にでもやってくる怖いもの。非科学的な見方は払拭して、前向きに進んで欲しいし、私がその教材になり、そのノウハウを少しでも残したい。


生協で注文していた食料が届いた。重いものは持てないわ、歩けないわという者にとっては、有難いシステムや。どんどんこういうシステムを作ってほしい。

おしゃべりのすきなわてのような患者にはお喋り相手、お茶相手が一番だすなあ。でも、昨日は2時間ほどしゃべっただけなんだけど、すごく疲れたので、体力は減退してるなあ。ボランティアはお互いに遠慮をせず、お互いにダメなものはダメとはっきり言い合うのが長続きのコツらしい。何でも行動を起す理由や目的をはっきりしていると、何があっても長続きできるもの。日本人はここで、考え過ぎて、一歩が踏み出せないないのよねえ。患者が独りで嬉しいわけがないよ。助けてもらって家族が喜ばないわけがないよなあ。

やっぱり最後は人一人一人の心やね。みんな助けてね!!死を見つめて、関わって初めて、生きた言葉で次世代に伝えられることができるんじゃないかなあ。家族などを世話するのは当然で当たり前だけど、他人のことに関わって初めて、本質や真実に触れられることもあると思う。不自由な人におせっかいが必要なんや。私は中学高校時代から生徒会で、赤十字で施設などを巡ってボランティア活動をしていたので、ホント、そう思うよ。
今の静寂
この平穏な日常






迎えの助っ人OK




外国のボランティア







みんな、動いて!出来る事を少しでも動いて!!


子供たちもできることを私にして!!!















2004
8,26
(木)
睡眠不足の上に、飲まず食わずで行ったら、間が悪く、特休で座れず、もう倒れるかと思った。地下鉄を降りて何とかすぐタクシーに乗れたので涙が出た。帰りは、S女史が迎えに来てくれたのは本当に地獄で仏のごとくであった。

帰宅後ソファで2時間ほどうたた寝をしたあと布団で寝たが、1時間ほど苦しくて、苦しくてつらかった。夫の帰宅の声やら音を耳にして知らず知らず2時間ほど眠った。

このしんどさは疲れなのか、夏バテなのか、がんのせいなのか・・・・・。本当につらかった。

明日は夫が付いていってくれることになったが、行く自信がない。
腰のMRIを撮る
2004
8,27
(金)
夫より 
 前回のCTによる検査で骨の転移が4箇所見られたため、MRIを8月26日に急遽うけることになった。そしてで検査した
背骨のMRIフィルムを携えて主治医に検査結果を聞きに2人で病院に行った。患者が多くて約6時間待ちであり、私はぐったり疲れてしまった。妻は、粒の「直井レイシ」がなくなっていてしばらく飲んでなかったようだが、今朝久しぶりに新しく開発された粉の「直井レイシ」が残っていたので飲んだからなのかどうか分からないが少し元気となり、また知り合いが病院に来ていたので気分が吹っ飛んだかのようであった・・。
 検査結果は、最悪で4箇所の背骨に転移している映像が写っていた。腰椎の3番目と4番目、それに胸椎10番目と12番目が溶けていた。腰椎の3番目が一番激しかった。
 これに関連した骨シンチ(TCIP)による2004年5月28日の検査では4.6であったが、今回の2004年8月20日の数値はまだ結果が出ておらず詳しく検査中であった。
今後の治療方法は、
ハーセプチンによる点滴を1週間ごとにすることとなった。この薬は、乳がんの転移を食い止める薬で1回目からは、アレルギー反応を起こすので入院して経過を観察しながら投与するという。副作用として1回目は、熱や振るえを伴い、痺れ・痛みもともなうらしい。うまくいけば骨の再生も可能であり、もし他に転移している場合があっても効果あると説明してくださった。
 しかし、これによる良い効果が出ない時どうすれば良いのかまで聞くゆとりはなかった。(妻が聞き、先生が答えていたと後で聞いたが・・・。)
 癌の転移は、速いので何処まで進んでいるのか? 10月にPETを予約したのでその時に、リンパ転移・他の臓器への転移などがあったらなど考えると・・・。

 実は、今日の検査結果による今後の治療方法を事前に知りたくなり、25日の午前5時に何故か急に目が覚めてしまったのでホームページを調べていた。そして「ソレイユ」という乳がん手術体験者によるグループに入会して、入会費1000円と年会費5000円を払うと、会報と機関紙を送って下さるという情報を入手した。そこで早速入会手続きのFAXを送ったが届かなかったので数回送信していたところ、たまたま同じ
乳がんで骨転移20箇所あり働いている方が突然電話に出てこられお話していたところ「ハーセプチンをなさるのではないか・・・」と話して下さった。この情報は、わたしにとって大変ありがたく朗報であった。
 そこで、このハーセプチンを調べたところ、新しい分子標的療法のハーセプチンであるということがわかった。さらに、乳がんのうち20%〜30%は、乳がん細胞の表面にHER2タンパクと呼ばれるタンパク質をたくさん持っており、このHER2タンパクは乳がんの増殖に関与している。最近このHER2をねらい撃ちした治療法(分子標的療法)が開発され、乳がん治療を大きくかえた。ハーセプチン治療はHER2タンパク、あるいはHER2遺伝子を過剰に持っている乳がんにのみ効果が期待されるということも判明した。
 私は、妻の
主治医がこのハーセプチンによる治療方法を今日提案して頂いたとき、今までの疲れが吹っ飛んだ・・・。しかし、この方法での場合は、何年生き延びることが出来るのか何処にも書いてなかった。このため私は、今後の見込みと覚悟を決める必要もあり先生に「妻の様な症状の場合は、今までの例で何年生き延びることが出来たのか・・」と聞いた。5年生存が50パーセントで、先生は、「10年以上の人もいるし短い人もいる・・」と話され。「それは今後の治療と転移の結果で変わる・・」というような事を話された。
 先生は、その後すぐに入院の手続きの用紙を作成して下さり早速入院のため入院病棟の受付に持って行った。しかし部屋が空くのを待ってからでないと点滴の投与が始まらないらしい。また妻は、働いているため来年3月までの診断書を書いて頂き、タクシーで帰宅した。
  
 予断であるが、今日待合で座っている時に、前にいた患者が
『読売新聞』の記事「田原総一郎さんの妻が乳がんで亡くなられ、その妻の遺志を継ぎNPO法人の乳がんネットワークを来春設立・・」を呼んでおられた。私は、田原さんとはテレビ東京に勤めておられドキュメンタリー番組のディレクターをされていた時に一度お会いしているし、奥さんが癌で亡くなられた事も知っているので早速売店に行き新聞を買って来て呼んだ。記事には、「・・専門医ら協力、来春設立、最新情報を発信・・・」という内容であった。
 私もこのホームへージで、数日前に乳がん患者が少しでも少なくなるようにと願い参考となるような事を書き込もうと決意した所であった。
 癌の中でも乳がんは、手術例が一番多くて、家庭の主婦が倒れると家の中の動きが取れなくなるため社会問題となりつつある。しかし、その診断方法は整っておらず乳がんの健康診断や人間ドックに行っていても発見されないのである。私の妻がその例であった。乳がんは、少しでも早く発見されていればいるほど症状が軽くて治療も簡単である。しかし専門医でないと判断が出来ないので、少しでも疑いのある方は、すぐに乳がんの名医と言われる専門医の診断をうけられることをおすすめしたい。04/08/27

背骨のMRIフィルム

骨がもう溶けていた





骨シンチ
 (TCIP)

ハーセプチンによる点滴





「ソレイユ」

乳がん手術体験者によるグループ










主治医

ハーセプチン
による治療方法を提案



『読売新聞』記事

「田原総一郎さん、妻の遺志を継ぎ 乳がんネットワーク設立」

2004、
8,30
(月)
28日・長男が帰り、洗濯物を干してくれたり、地域のことをしてくれたり、ずっと寄り添ってくれて話を聞いてくれた。ほんとに嬉しかった。父親の悲しさやくやしさなども一身に受けて二日目に黙って弟と帰った。彼のつらさも手にとるようにわかった。(静)

29日・次男が昼頃帰り、買い物を兄としてきてくれた。あさりの味噌汁を作ってがつがつ自分も食べてすぐ兄と帰ったが、意識的に笑顔や笑いで不安を飛ばそうとしていたように思う。彼も心配でつらいはずなのに。(動)

家族に病人が出ると、患者本人よりも家族が大変だ。私の為に申し訳ないが付き合ってもらうしかない。

今日は元の別の保護者から親切な申し出があり、有難かった。また携帯がおかしくなっていたので、歩いていけるDOKOMOに車で連れて行ってもらった。また、お互いのメールも入れてもらった。明日の心臓の診察に迎えにきてもらえそうだ。

上司も引継ぎの書類を取りに来てくれた。こっちから持って寄せてもらわないといけないのに・・・。

みんなありがとう。また、支えてくださいね。
皆に支えてもらって
2004
8,31
(火)
乳癌転移に効くハーセプチンの抗がん剤投与の事前検査を受ける為の診察に行った。ハーセプチンは副作用は他の抗がん剤より弱いが、心臓に負担が大きいのが特徴で、1日に入院、2日に心臓エコーと胸のレントゲンを撮ることになった。

今後は、抗がん剤投与の期間も長い(一回の投与時間は90分)し、その間心臓の定期的な検査を受けるので担当医のことも気がかりであったが、50代のしっかりした方でホッとした。命を預けるには頼れる年上がいい。ただし、40代のびんびんの腕利きの医者もOKだが、きっとわたしの我儘には年上しか対応できないだろう。

朝6時40分に起きて夫と電車で行ったが、しんどくて痛くて座ってられなく、一つ手前の駅で降りてトイレに直行。それからタクシーで病院へ。すぐ循環器科に行き、ベッドに寝かしてもらって診察を待ったが、それでも早く診てもらった。入院について乳腺の
主治医に確かめることがあり、主治医が診察日じゃないけど12時に診察に出られるということで、ベッドに寝かしてもらって待った。ほどなく眠ったのからしばらくするとすごい地震で目覚め側の夫に助けを求めると、夫がベッドに横たわった揺れだったことが判明。まあ、カーテンをひいてくれているのでいいかと、すぐ眠ってしまった。夫もこの間生きた心地がせず、自分にしてやれることに必死だったので、ここまで来てダウンしてしまったのだろう。
主治医が走って真っ青な顔でのぞきに来てくれたようだが、のぞいてびっくりしたやろなあ!!こんな患者めずらしいで。

私「二人共ダウンです。」先生「いやあ・・・にこにこ」夫はあわててベッドから降りて、大事なことを確認してくれていた。私「いろいろ我儘言って申し訳ありません。これからも我儘を言いますし。」先生「ふふ・・・」ホッとした。帰りは元の保護者が真っ赤なボルボで迎えに来てくれた。女神に見えた。夫の会社まで行ってくれたのには、申し訳ないことであった。

ずっと調子悪かったんだけど座ると腰が痛いので、HPも私の命なんやけど、どこまでやれるかなあ。HP開いてもしんどくなる。もう限界や。寝ます。しばらく入院しますが、ほんのしばらくのはずなので復帰したらまたHPでお目にかかりましょう。
循環器科
の診察
1回目
2004
 9 ,3
 (金)
夫より 
乳癌転移に効くハーセプチン等の投与が無事終了しました。現在のところ予想されていた副作用も特に見られずホッとしています。
今後、本人は、本格的な回復を目指すため治療に専念したいと話しています。
このため誠に申し訳御座いませんが
メール・電話、及びお見舞いは、お控え願いますよう宜しくお願い申し上げます。
また、このホームページに関しましても、本格的に回復するまでしばらく休憩させて頂きますのでご了承下さい。
2004.
 9.24(金)
夫より
皆さんに色々とお世話になっています。
ここまでお読み頂いた皆様に感謝いたします。
2004
10,28
大安
何とか生きていますよ。みなさんお見舞いありがとう。数名がボランティアをしてくれており、買い物やら、おしゃべり相手やら、旬の物を持ってきてくれるやら、今日はカルシュウムにテールがいいと、牛のしっぽを煮たものを運んで来てくれました。有難いことです。みんなに支えられて生きております。神戸からはCDも送っていただき、おかんの会のみなさんありがとう!!毎日バッハを聴いております。眠れるしね、不思議。

10月14日にPETを受けた。結果が死ぬほど怖かった。でも、やっぱりCTやMRIも受けていかないと、だめと思う。

夫はPET-CTなるすぐれものを受けるらしい。10万以上するという。まあ、がんになると抗がん剤も高いし、今お金をかけておくことは経済的だと思う。

みなさんも受けましょう!!

じゃ、しんどくなったので、また、後日に経過報告いたします。

本日は偶然気になっていた新任からメールが届き、本当に不思議です。嬉しいスタートとなりました。 

PET検査

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