ドキュメント乳癌・・・・・
(術後14週)
 乳房温存
による補助療法放射線照射終了後より2003,10,29まで

現在女性の乳癌は、20人に1人患者が発生していると言われています。
 現在の人間ドックや通常の乳癌検診では発見されないので大問題となっています。
 マンモグラフなどによる検診方法の早急な対策が必要でしょう。
 この
私の乳癌記録(特別手記)は、乳癌を体験された方が毎日記録された手記です。
  乳癌にも色々な段階や種類によって治療方法も様々ですが日本の最新設備が整った 超一流の総合病院の名医と言われる
医者の診断を受けた患者の手記です。
 
1、乳癌その1 2、乳癌その2 3、乳癌その3 4、放射線科 5、抗がん剤その1 
6、抗がん剤その2
 7、抗がん剤その3 8、リハビリ
9、転移その1  
10、転移その2  11.転移その3 
 
つづき乳癌その3 あなたは 番目の訪問者です!


10,2
  (木)

術後
 14週
あのさわやかな青年からメールが届いた。ええ子や。

ほんまやなあ。病気したらそのヒトの人生がでるわなあ。何をしてもそのヒトの人生観や世界観が出るんだろうけど、癌なんていう世にも恐ろしい病気では底なし沼に連れて行かれるので、出まくりや。まあ、何はともあれ家族がいてくれたのが幸いや。プラス、主治医との出逢いやね。一人では癌は闘えないし、ヒトは一人では生きられへんもんや。(死ぬときは一人やけどなあ。生まれてくるときは、母親との共同作業やで。それでも裸んぼうで一人やなあ)

罹患によって人生観や世界観の深まりと広がりはそりゃあ相当なものやで、おかげで。でも、ぼーっと生きられるのも幸せかもねえ。しんどいやんかあ。ふっと見ると底なし沼が横にあってみ、怖いでェ。ぞーーっとするでえ。まあ、転移のリスクを背負うことってそう言うことやし。なかなかの人生やネエ。生活の一こま一こまに意味を感じてしまうし、感性が研ぎ澄まされてただでさえ心の忙しい人間なのに、いらんで。

でも、命をいただいたということで何を見ても失敗しても、何や嬉しいのですわ。生きる喜びやね。世の中や命を感じられる喜びや。・・・・・才能でもあれば小説でも生まれそうやねえ。(おしゃべりの才能ではあきまへん)

乳癌は人生観を多面的にする









10,3
 (金)

術後
 14週
化学療法がまだあったなんて・・・放射線照射でもうええやん・・・もういやや。転移もいややけどなあ。QOLかあ。

経口の抗がん剤にする。静脈注射はいや。先生がきらいになりそうや。先生そんな怖い事言わんといて!でも、時間をかけて考えさせてくれるから、いたずらに怖がらんでもええかも。何せ乳腺科から違う科に行くのが怖くて、不安。先生に側に居ってほしいぐらいや。先生は私の精神安定剤やからねえ。

静脈注射なんて何時間もするとショック死するかもしれない、次の副作用を考えると。たぶん泣き叫びそう。放射線照射は温存にセットされていたので、逃げようがなかったけど(しまったとは思ったんだよお!でも、し始めて放射線がちっとも怖くない、痛くないことにびっくりしたけどね。おんおん泣いたのがウソみたい!)、抗がん剤の選択はがんばってしっかりしよう。もう少しは長生きしたいけどさあ。


外科手術と放射線でええ。
リンパ節1個の転移は人生の分かれ道やなあ。でも明日交通事故で死ぬかもしれへんやんかあ。もう、ええわ。転移したら切って貰う。切り刻まれるのはいややけど。ほんまに癌っていじわるやわあ。西洋医学でももてあましてんねんからねえ。わてらにはどうにもならん。負けや。完敗や。癌のばか!

長男が「風邪薬にも菌を殺すのが入ってるし、傷が浅いうちに色々やって癌をたたいておくというのもいいんじゃないの。抗がん剤もきついものばかりではないだろうし、経口で様子を見て、効果が良くなかったら、注射もしてみて自分に合うほうを選択したら・・・」と言う。「100人の内5人助かるなら大きいなあその5人は」とも言う。そうなんかなあ!?アメリカでは注射がスタンダードで、臨床結果も出ているけど(15パーセントの危険率が13パーセントに減る)、経口の抗がん剤はまだ臨床結果がでておらず、解らないところがあるが、どちらにしても癌が完治するのではない。・・・・・お兄ちゃんの意見にまた揺らぐやん!!

ネットで調べると、抗がん剤の種類で「アルキル化剤」なんてすごいよ。もともと毒ガスの研究から開発された薬だって。DNAに働く薬だって。抗がん性抗生物質は土壌に含まれる微生物から作られたんだって。

化学療法の抗がん剤で完治できる癌も確かにあるようですが、
乳癌は延命が目的のようです。国立がんセンターの資料の一部には、乳癌は化学療法が比較的よく効くがんで、有効な抗がん剤も多く、多剤併用化学療法が行われており、注射薬には、塩酸ドキソルビシン、エピアドリアマイシン、メソトレキセート、シクロホスファミド、フルオロウラシル、テガフールなどの抗がん剤がある。
このうち、シクロホスファミド、フルオロウラシル、テガフールは内服薬として使用されることもある。
近年、自家骨髄移植を併用した大量化学療法で長期の生存が可能になってきたので治癒可能ながんになりつつある。とある。

リンパ節へのたった1個の転移が、今回の震源や。誰やこれを脂肪の塊と診断したのは!

16回目の診察







QOL




























10,4
  (日)


術後
 14週
胃の検査に行くことにした。やっぱり痛い。怖いわア。

手相じゃないけど、ほんとに近年偶然でしょうが予知すること多くぞっとする。

EX、@放射線照射のおりの事
照射そのものは痛くも痒くもないんだけどどうも私には合わないものでどうも量が多すぎるんじゃないのかなあとずーっと思ってきた。(多くはないんだけど)
照射医の計算等にはシステム的に皆で議論する場もあると聞いたので、また、何故ころころと照射技師が変わるのかを聞いたらミスを無くす為にみんなの目で見ているんだということだったし、ペアでローテーションをくんでされていたので、信頼はしていたが・・・。
昨日の国立弘前病院での放射線過剰照射の新聞報道では、あり得る!と思った。ましてや一人なんて考えられない。信頼されているというより、見つめられてないんやで、病院から。

EX、AX線照射の後電子線照射のおりの事
機械の故障か患者が出てきて待合の椅子に座る。まもなく照射技師が機械を15分ほどいじり続け、待っていた患者が再び入り照射され、次が私だった。気分は良くなかったが、信用するしかなかった。操作ミスとか計算ミスのときはどうなるんかなあとコンピューターを操作している様子を見る度にも思っていたが・・・。
昨日のいわき市の事故、病院でのMRIのヘリウム爆発は他人事ではなかった。

要するに何でもヒトの手でする事にはミスが付きもんやということやね。いかにミスを防ぐかというシステム的なことにポイントを当てて実践している病院とそうじゃない病院との違いが出るような気がするが、ちょっとしたことで大きなミスは防げるんじゃないかなあ。

誰でも入れる病院の安全はどう管理されているんかなあと、池田小事件から、通院する度に思う。ドアが開けっ放しを見るとついついカギをしたくなった。

甥っこが長らく医者様になるべくして頑張っているらしく姉がやきもきしてるんだけど、先日の慈恵医大の将来有望な熱意ある医者達の手に手錠がかかったよね。姉達と私の観点がえらい違った。わたしは、上司の判断ミスによって将来有望な医者達をあそこまで追いやったと思ってる。夫は言語道断ってな感じ。姉達はまた違う。そんな事ってあるなあと言う感じ。

わたしはあの3人だっけかあの医者が将来どれだけ患者を救ったかを考えると、そこに追いやった上司の判断と病院のシステムに腹がたった。彼らを病院で育てんかア!!医者達がその病院で育つ土壌がないと患者になーーんも返ってこんやんかあ。
常に医者達が学習できる環境がないと患者は苦しむばかりやで。若く経験も少ない医者達に、また、経験がものをいう職場では、体制を整えることが一番。少子化で孫の数がほんど少なくなっている中、この若い人達は、日本の宝だよ!!育ててほしい!!彼らは育ちたいと言ってんねんから、何とかしてやることが大事や。すぐ実践させるんじゃなく、彼らの身分保障を考えた末に決断するべき。部下の身分保障できず何が上司かあ!!(・・・なんて、放射線科に行った時はあまりの先生の若さにひるんでしまった私でしたがね。でも、彼等と同じような年齢でした。勉強したいやろねえ。50歳過ぎても新しい事を学びたいのにねえ。夫に学んだおかげでこのHPもでき、楽しいわア。)

そうそうわが地域も各病院が何やら特徴を出し新聞を賑わしている。女医中心の婦人科等。乳腺科に行くのも恥ずかしかった!?おばちゃんやけど、女医さんに診てもらうのも
やっぱりイヤ。男女平等なんて言っておきながら、女医だけが診るなんていうキャッチフレーズは逆におかしいよ。時代錯誤もはなはだしい。何か病院が、ホテルか美容院のコマーシャルリズムと差が無くなってきてるようじゃないかなあ。・・・こういう手術でこんな結果が出たとか、研究結果こういう機器を作ったとか、こういう手術技術を取得したとかさあ、内容で勝負してほしいなあ。女医だけが診るというだけでなく、手術方法もこんなに患者に優しいやり方でこれだけの延命治療ができていますと数字も出していれば、耳も傾けるけどさあ。福岡かどっかで女医だけの診療所をつくっているのを読んだんだけど、癒し系の建物の紹介だったりして、一番大切な技術とその成果の数字が無い。命を預けるんだよ。何か間違っている気がする。癒される環境に配慮されることは患者にとって大事なことで、けっこう大きな病院も最近ほとんど意識的に実践されているのでねえ。

患者は、女性や男性に診て貰うんじゃなく、最高の技術を持った先生に診てもらいたいの!ただ、ヒトに見せるもんじゃないものをヒトに見せるのが恥ずかしいだけ。勘違いを医者も患者もしているよね。

あのさわやかな青年から重松清さんの本を紹介されたので、今読んでる。山本周五郎賞受賞作品を次に読もうと思う。感想をメールで送る事にしたのでね。病気をしたおかげで
めずらしい体験をさせてもらっている。医療大學に学ぶ看護師の授業にも参加させてもらえたし(あのおしゃべり上手な!?わてが、あがってしまったという・・・!!)・・。命あればこその失敗なんだから何でも嬉しい喜びになる。さあ、本を読もうっと。

それにしても抗がん剤については悩む。患者はわからんよ。先生判断して!!でも、まずは胃の検査やね。すぐ胃カメラを飲ましてくれれば嬉しいんだけどな。2年近く痛いもん。
この際







病院が医師や技師も育つ所じゃないと患者も助からんよ





病院の安全管理







勘違い





























10,6
  (月)


術後
 14週
気が進まずぐずぐずしていると10時近くになってきたので、意を決して病院に行く。消化器科に申し込むのが12時前。待つ間化学療法科に情報収集でのぞきに行く。何やら今日から!?がスタートらしい抗がん剤を静脈注射する新しいルームを見学させてもらい、病院のHPにものってないことを告げるとこれかららしいが、はよして!病院の化学療法科の情報が欲しい!!

乳腺科の先生と患者との話し合いで決定してから、乳腺科の担当医と化学療法科の先生とで、病状などを考慮して薬を決定するのがいややなあ。そんな怖い決断はようせん!

消化器科に行って、
先生 「何処が痛いんですか?肋骨の中ですか?外ですか?」
わて 「ええっ!!あー肋骨ってどこだっけか・・・あっ、下です。」
先生 「(にたにた)」
先生 「食欲は?」
わて 「恥ずかしいんですが、いやしいほどあります。だって、放射線にも負けたくないし」
先生 「(何かこらえてる。)痩せましたか?最近」
わて 「太りました!」
先生 「(言う事なしってなぐあい)」
先生 「じゃあ寝てください。ここは?いたいですか?ここはどうですか?」
わて 「痛いような、ううーーん、ちがうなあ・・・」
先生 「大丈夫だとは思いますが、エコーしたことありますか?」
わて 「したことありません」
先生 「でも心配なんやねえ。胃カメラしますか?」
わて 「そ、それ、それにしてください!」
・・・・・・・・・・・・・・・・
会計の用紙に予約のことが書いてあったのを見て、目玉が飛び出した!!だって、この先生って肝臓が専門だって!!ショック!

おかしかったんだよねえ。待合で横に座っていた人は2年前に肝臓移植した人だったし、診察室から出てきた人はお酒を飲んでもいいのか出てきた後また聞きに入っていたし、先生も肝臓のことをわてに聞いていたし、わてはなーーんも知らんと「肝臓は
どっこも悪くありません!!」なんて言ってたし・・・・・ほんまにマンガやわ。その先生を指定したのはわてでした。何を間違ったのか・・・・・・検索してから行ったんだけど、メモをしなかって、間違って名前を覚えたンかなア・・・・・ショック。あーーー、恥ずかしい!!ばたばたと行ったからなあ。ほんまに、カルテに書かれるやんかア。「あほか!でもなんでや!?」と乳腺科や放射線科の先生に思われるやろなあ。

わての「ばかの壁」は厚おます!

 
 26   「見張り塔からずっと」重松清    新潮文庫

放射線科の待合で出会ったさわやかな青年に東京からメールを丁寧にいただき、紹介してくれた重松作品を厚さではかり薄めのものから読んでいる。今日は3冊購入。作家で読んでいくのが好きなほうなのでちょっとおもしろくなってきた。一番読みたい本が無かったので、見つかるまで楽しみにしておくことにする。丸善で絵本も買った。絵本はええなあ、やっぱり。

化学療法科





消化器科
























厚いばかの壁







10,7
 (火)


術後
15週目
またまた「行きたくないなあ」とぐずぐずしてから、10時2分の電車に乗り、10時47分に病院到着。11時までなのでセーフ!HPでは苗字しか書いてないので性別は解らなかった。
名前を指定して3階に行くと、女医だった。あまり好みではなかったが、待ちに待ってやっと診察室へ。あっさりさっぱり美容にほど遠い(失礼!)様子が気にいった。
子宮体ガンの検査と子宮の入り口の組織検査をしてもらい、尿もとって採血もした。終わったら4時30分だった。

診察ベッドで
先生と看護師  「子宮体ガンの検査は痛いですよお」
わたし       「痛がりで怖がりなんですう。」
先生と看護師  「痛いですよお」
わたし       「未だ続きますか?・・・・・あっ、
いたい!
看護師と先生  「い、痛いよねえ!!うんうん、もう終わったからね。・・・まだ、痛い?」
わたし       「いえ、今はなーーんも・・・。あれ、治ってる!?」

痛さをちゃんと共感してくれるヒト大好きや。うんうん痛いよねえって言ってくれるとすぐ
治っちゃうよ。あほみたいだけど、痛がりは赤ちゃんと一緒。子どもよりあきまへん。情けないけど、痛いやんかあ。今日のは、まっこと・・・痛かったんやでえ。

採血でも一波乱ありました。初めの検査技師がうまくできず・・・!?痛がりはぎゃーーってな感じで、逃げて帰りたいほど。でもすぐ隣の技師が上手に優しく手を温めてくれてな、なんと針を細くしてくれたんだよねえ。なんせ、左手はいつも採血しにくいんですわ。右手は右乳癌で採血できませんので、この先困ったわア。でも、これからは細い針で採血してもらうことにします。(帰るとき失敗したおばちゃんが手でごめんってしてたので、どうもないよって言っておいた。だって、うまく連携プレーしてくれたしね。あれで何度もやってたら
叫んでるでしょう、痛がりだから・・・ね。あかんと思ったら引き際も大事や。わたしは細い針でできるという事を知ったので、感激だす。)

やっぱり、抗がん剤は経口にかぎる。静脈注射なんてとんでもにゃあ!!

  
27  「ビタミンF」重松清  新潮文庫  直木賞受賞作

締め切りの11時直前に受付しているので待ち時間は半端じゃない。この本も一冊しっかり読破できました。なかなかおもしろかった。共感できるところも多々あったしね。でも何か
作者の社会的背景が私とやっぱり違うなあと感じる箇所も多く、団塊の世代の勝ち負けじゃないけど、何かしら情報が多すぎる分30代40代の世代は私達より心が乾いてるなあと思う。あれだけどうしてさめていられるんだろなあ。もっと情があってもいいんじゃないかなあ。でも、この本はけっこう読み込めたし、感じたし、考えさせられたし、ふと我が家族と重ねて想うこともあった。

腋と胸がすごいことになっている。一体どうなるんかなあ。
せんせーーい、たすけてえ!ここ3日ほど、きつい。痛い時もある。変幻自在なものが、わがもの顔に振舞っている。でも
どうにもならない事が最近解ってきた。待つしかないと・・・。

今日は婦人科

検査料
6790円












「痛いの痛いのとんでけー」って言える
いい看護師















10,8
  (水)



術後
 15週
腋がわがもの顔に振舞われる場合、右腕の動きや姿勢に関係しており、リハビリ不足かなと思うばかり。こんなんで職場復帰はできるのか。

夫の帰宅に合わせて夕食を準備。職場復帰後は出来ないだろう。
家事と仕事と病気と共生共存はできるのだろうか。自信がない。早く辞めて旅行と大学に行きたい。もう10年ぐらいしか生きられないのなら、自分の好きなように生きさせてもらっていいやんなあ。

夫は言う。「今病院に行ってるけど、行かなくなったら情緒不安定になる事間違いない」と。夫や家族にもう充分な経済的な潤いは与えたつもり。もういいやんねえ。わたしの人生を歩ませてよ。したいこといっぱいあるねんからさあ。息子達は「もういいからスローライフに変えや。」と言ってくれているけど。辞めて好きな事して生きるしかないやん。したい。出来るはず。

出産でも産前産後で2ヶ月ぐらいしか休んでないし、これだけ休んだら周りへの迷惑に何ともいえない思いを持ってしまい、意欲が萎える。
復帰することが迷惑なんじゃないかと考えてしまう。本当に仕事に情熱を持てるのか。自問自答するばかり。

職場は、今、年間で一番大変な時。職場のリズムに乗れるのか。身体がついていけるのか。身体と心をコントロールできるのか。復帰に関しては仕事への覚悟がかなり必要。情熱がどこまであるのかが一番大切。

でも、何処に居ても、子どもが目についてしまう自分がいる。気になる。まだ愛情はあるようだ。完全に離れると淋しいことは確かなようだが。

病院がこういう心のケアもしてくれるといいな。先生が全部引き受けるのには時間も無いしね。何かが違うとも思うけど、今は先生しか居ない。第三者として親友達の意見はもう聞いてるし予想もできる。何にも先入観のない、より客観的にみられるヒトで病気を理解できているヒトは病院関係者しかおらん。でも、ほにゃらら相談室なんてえ場所は敷居が高いしサア。病人、患者・・・それも仕事を持っている者はすごいストレスを病気と共に背負うものなんだなあと思う。年齢や性別などでまた違ってくるげど。

出産をしているものはけっこう腹が据わってて、悩みも軽いけど、お若い方は大変でしょうに。病気の程度にもよるし、社会的な環境にもよるし、病気だけで終わらないよね。病気だけが治っても問題は大きく開いたまんまで、逆にそっちの問題の大きさで病気が悪化することも考えられるし、けっこう
病気だけで終わらない気がする。

焦り





















患者のこころのケア







10,9
  (木)

術後
 15週
午後3時に待ち合わせした。もちろん乳腺科。(さっびしいーー!?)
乳腺科で出会ったお若い大学の先生。患者にしか解らない事ってあるよね。不安なときは先輩患者が寄り添うのが一番。一期一会。症状が軽くてよかった。お若いのだからこのままでいてほしい。もう癌はわたしで終わりにしてほしい。ほんまによかったわあ。

待合でしゃべっていたら、先生達が会議ということでばたばたとしていた。お忙しいのでしょうねえ。今日も真っ暗の7時ぐらいまで診てられました。命は一つ!!お医者様にこそ解ってほしいわあ。これで10時間の手術なんてほんま救う方が倒れるやんかねえ。なかなか深い悩ましい問題が潜んでいるもんや。先生方もジレンマやろなあ。時間不足やね。

明日は診察日・・・聞くことを整理しておかなくては。今後の日程が気になる。
一期一会






ジレンマ
10,10
 (金)



術後
 15週
今日は待っている間に採血に行ってきた。やっぱり左手は採りにくく細い針でしてもらったんだけど、苦労していた。びくびくしている分血管が動くんかなあ。

その後、診察室で「経口の抗がん剤を飲みたい」と伝えた。でも、先生が言ってる薬の説明が専門的で難しく、ボヘミアンの頭ではメモさえできず、困った。その上怖い副作用の事にも触れていたので、もういつものようにぼーーっとしてしまった。「何で、手術と放射線で終わりじゃないの!?」もっと早く病院に行っておけば良かったよお!!これじゃあ、もうほんまに
正真正銘の病人やんか!!!ずっと病人なんていやや!!癌なんて治癒は無いとどこにも書いてあるのは知ってるけど、薬を飲むのもいやや!!!

先生に今日こそ優しい
いつもの顔で伝えてほしかった。(・・・と言ってもほとんど顔は見てませんが。)病院の帰りつらくてつらくてずーーっとてくてく歩いて、1960年代のアメリカのブローチを買った。抗がん剤の副作用を頭の中で反芻し、ずっと歩いてお茶屋さんでお抹茶の「青雲」も買った。これからの生活がどうなるのか考えながらずーーっと歩いて、デパートの喫茶へ。キイウイのケーキとアールグレイの紅茶を注文した。何だか涙が出てきそうになって困った。なんでや!抗がん剤なんていやや。爪が黒くなり、頭髪も抜け、口内炎、血栓、嘔吐はもちろん・・・怖いヤん!!薬で太るから食事制限しんとあかんねんて。そんなんできん!東大の国文科卒のさわやかな青年に紹介してもらった重松さんの一番読みたい山本周五郎賞の作品がどの書店にも見当たらず、足が痛くなった。手芸売り場に行ってテディベアをいろいろといじくりまわした。表情がどれも気にいらなかった。ほんまに癌なんや。告知に次ぐショッキングな日となった。胃がとても弱いし、病院の薬を3日以上まともに飲んだことがないので、もうどうなるのか予想できるだけに、うろたえるばかり。主治医「命」でここまできているので、こんなに怖い事を言われるとお役目とは言え、死にたくなってしまった。今も泣きながらこれを書いている。せっかく復帰しようと希望がやっと持て、頑張ろうと自分を奮い立たせていたのに、もうぺっちゃんこや!!先生なんてきらいや!!もっと優しく言って!!!!!(先生が悪いんじゃないねんけど。転移した一個のリンパ節が元や。全部わてが悪いんや。・・・先生の名誉の為にも、これだけは・・・。先生は穏やかな方です。わての精神状態がパニックになってただけや。)

無くてはならない先生から怖い話を聞く時ってただでさえ突き放された感じがするんだから・・・。でもこれって
言う方も大変なんかもしれんね。患者って先生の言葉で一喜一憂するもんねえ。お互いに必死かも。悪い事を言うのって気分いいもんじゃないし、先生も慣れているとはいえ大変かも。

・・・・・・
泣くだけ泣いたら涙が枯れた。夫が今日は遅くてよかった。先生の事をちょっとでも言ったらバチ当たるってきっと言うヒトやから。夫は何故だか先生にぞっこんやからね。(夫は今夢中になっている事があって、気付かれなかった。これも淋しいな。末っ子同士の夫婦ってこんなもんや。孤独な闘いも仕方ない。)

その夜
長男から「連休は帰れない」とTELあり。そこで「あんたはあほやなあ。扱いにくい患者やで」と注意をうけた。昨夜眠れてない分長男のお小言を聞きながらスッと眠ってしまった。お兄ちゃんは理屈っぽく、長いもんねえ。(きっと彼も心配し私の力になってくれようとしたから長く聞いてくれたんやね。いつもなんやけど私のカウンセリングをしてくれるんだ。逆なんやけどサア。いつも当たってるのでシュンとなるんだけど。)

先生ごめんなさい。懲りずにこのおばかさんと付き合ってください。
17回目の診察

抗がん剤の決定
CEFになるのか?


患者から正真正銘の病人へ





もうぺっちゃんこや!





先生は穏やかな方








長男に叱られる




10,11
  (土)


術後
 15週
今日は起きるとふらふらしていた。最近よくふらふらする。寝不足だと思う。約束していたお食事会をキャンセル。すごく楽しみにしていたので、ショック。夜、お世話係の方よりTELをいただく。HPをのぞいてくれていたと言う。優しいお声かけをいただき何より嬉しいことでした。病気って一人では闘えませんもんね。芦屋の隠れ家風のイタリア料理店。久々のおしゃべり。思っただけでわくわくしちゃいます。息子のバスケットの「OKAN」達。息子からのプレゼントや。ありがとう。

午前中、今度の地域から出る神主役の家に御祝やら御膳料、御燈明料、御祈祷料を御献酒と共に夫に持って行ってもらった。家々に立てる古ーーい提灯も玄関に出した。何せここは平城京と平安京の間にある地域なので、古ーーいんです。これからは一年一年を味わっていくことだろう。今年は鯖を買いに行く元気がないので鯖寿司は作らない。淋しいけど仕方ない。また誰かが作って持って来てくれるだろう。なーーんも食べられなかったら、デパ地下に買いに行こうと思ってる。食べたことがなかった鯖寿司。食べられなかった鯖寿司。でも、背の青い魚にドコサヘキサエンサン(DHA)とエイコサペンタエンサン(EPA)が含まれているのを知ってからやっとこさ食べられるようになった。でも自分で作るようになって初めて食べられるようになったというのがほんとかな。姑が残していった郷土料理の一つだ。

家々の提灯が幻想的で夜は美しいんです。路地は特に。街並みの古い家が建て替えられる前に去年路地の写真を撮っておいたんだけど。今も見てきたけど美しい!

今日は宵宮祭

10、12
  (日)
知り合いから乳癌の告知を受けたというTELあり。全摘しかないという。4個の癌があるらしい。でもよく病院に行ってくれたこと。セコンドオピニオンをするという。どこも今乳腺科があふれるほどいっぱいなので、可哀想だなあと思う。だって針生検をしているので早めに手術をしたほうがいいと思うんだけどなあ。リンパ節がどうなっているかがポイントやなあ。ほんまに心が痛むわ。病院に行く勇気を出すのもしんどいのに、行けば行ったで癌告知や。ほんまにええヒトやから気の毒で仕方が無い。どうもしてあげようが無く、困った。私の主治医も患者が多くて、きっと手術の日程が取れないと思うし。説明したんだけど私の病院に行くらしい。どうしよう!!祈るしかない。、

昨夜も
12チャンネルで乳癌の番組を放送してたけどもっともっと情報がほしいよね。VDに撮っておいたけど視覚的にも解り簡単でだいたいのことが解る情報がほしい。全容も概要も解らないもんねえ。TVでは30人に一人が乳癌で女性の癌罹患率ではトップとあったが、20人に一人とほとんどの本には書かれていた。

腋が全く治らず本当に外見では解らないのでこれからはストレスがたまりそう。皆元気そうやとは言ってくれるんやけど、どこが悪いんや?ってな具合やね。放射線照射後のすごい症状なんて解りっこないもん。腋にのこぎりをはさんでいるイメージってできる?乳房がざくざくに切り刻まれるイメージってできる?先っぽがまあるくなって裏に吸盤がついたヒトデのようなものがびたっと腋や胸にくっついたイメージってできる?それが痛いんやで。解らんやろなあ。腕がある角度までくると痛くて痛くてしばらくじっとし、すりすりしないとおさまらないんや。急激な動きができないんや。ほんまに困ったわあ。
先生は「治ります」と言ってくれていますが、気が滅入る。姉は「あれだけの手術をして間がないんやからまだまだやで」と言う。何か私一人が苦しんでいるような気がする。他の手術した人達は何の苦しみもないように見える。

二男がお米を運んでぎっくり腰になり痛みが治らず苦しんでいる。怖い!どうしてやればいいのだろうか。

多い乳癌












外見は元気さ






10、14
  (火)


術後
 16週
知り合いに教えてもらった。向井あきさんが腹部への転移をみつけたという検査はPETという陽電子放射断層撮影装置であったそうな。転移の癌などが患者に楽に検査でき見つけられるというすぐれもの。検査料は高価だが。けっこうあるんやねえ。知らなかった!

今日はいつも行っている皮膚科に行く。行くところは病院ばかり。神経質になるんやねえ。ずっと行きたかったんだけど手術やら放射線で行けず、痒くて困っていたのよね。でも行ったら若先生優しかった。いつもの薬をもらうだけなんだけど、ちゃんと診てくれて頭皮も診てくれた。この頃医者様は優しい。同じ顔をした老先生も元気のようで何よりでした。

さあ、何かと元気が出てきたぞ。抗がん剤は怖いけど職場復帰のほうが気になって忘れる事ができる。腋もあきらめている。待つしかないと。

昨日、
4個の癌が見つかった知り合いは抗がん剤を先に飲んで癌を小さくしてから手術をする方法も選択肢の中にあるようだ。放射線照射で出会ったヒトの中で、手術の前に飲んで頭髪が抜けたヒトやら癌が見えなくなったヒトやらがいたから、そういう治療方法もあるんや。本にもよく書かれている。その方が患者も楽やろね。何はともあれいい先生に診てもらえたようでホッとした。私の手術にも立ち合った方なので安心した。

夫が今夢中になっていることで、京大の確か名誉教授の方とラジオにちょっと出るらしい。奥さんのこと忘れてるわ、こりゃあ・・・。生きてりゃええねんわ、なあ。だって病院に入れて納得のいく主治医の確認をしてより、ほとんど愚痴っても何しても「はあ、は、は」と笑うだけで先生の言葉を信じて疑わず。後は、自分の趣味に夢中やでえ!これが逆だってみ。こうはできへんよお。女は強くなるはずや。病気でも一人で何役もせんならんしね。こういう場合女は損やと思う。今週病院に行かなくていいので、二男に付き添ってもらって長野のお兄ちゃんのところに行こうと計画していたら、夫が「行かんといてくれ」やて。不便やからやでえ。今年やっと就職してロボットを作っているらしい。どんなとこで居るのか見たいやん。ほんまに末っ子の夫は困るよお。何処にも行けへん。病院だけは「行ってこい、行ってこい。」としっかり言ってくれるけど、嬉しいないわっ!!

復帰しようとちょっとTELをしてみたけど、今頃のこのこと出て行ってもええのやろかとやっぱり思う。でも、もう限界や。このままでは気が変になりそう。癌という病気の沼に埋没しそうや。こわい怖い。底なし沼の淵はずっと歩かなくちゃならないけど、沼からは出たい。
すっぱり辞められたらええねんけど、辞めても病気が良くなるわけでもなく、むしろ前向きに歩んでいく事のほうが病気にはプラスになるっちゅうもんや。まあ出てから様子をみることにする。病気になるまでは辞めたいなあ、しんどいなあと思っていたんだけど、不思議。
PET















女は損
















10、15
  (水)

術後
 16週
今日は仕事を私より早く辞めた元同僚(私より若い)と食事をした。楽しかった。少し元気が出てきた。目に力が出てきたと言われた。以前病院の待合でずっと寄り添ってくれ、家まで車で送ってくれたヒト。感謝のお食事会。

帰ると職場の同僚が二人来てくれた。みんなの寄せ書き等心のこもった物をいただいた。物じゃなくその気持ちが嬉しい。HPや新聞も読んでくれているみたい。嬉しいわァ。でも
二人が帰ったら、その間おでんの大根を煮ていたんだけどその柔らかく煮えた大根に竹輪やらを足していると、何だか涙が出てきた。嬉しいのか悲しいのか解らないけど・・・。

もう病院や病気はイヤと思って速く仕事に戻りたいと怖い抗がん剤の話が出てより強く願うようになっていたけど、
診察室と先生の顔が浮かんできた。先生からの自立は果たしてできるのか。まだ自分が癌だという事を認めたくない、皆に知ってほしくないという自分がいるような気がする。手術した先生が一番私の癌を知っているし、私の身体の変化を一番見ているし、癌という死の病から向き合ってより徐々に自分を取り戻している変容もずっと見てきているのも先生。そして、今後の闇のような世界も知っているヒト。そういう意味で自分を知ってくれているヒトは先生。心ある主治医なら普通の人間としての心あるヒトなら、癌と対峙しきつい「生」というものに自分なりにけなげに闘っている患者を解ってくれているはず。いちいち言葉には出さなくても、ひとり一人に情を移さずとも、見えてるはずや。そういう意味でほっとできる存在なんや、患者にとっては。・・・・・まだまだ世のヒトに向かうのは心の奥の方でしんどがっているんやろうと思う。その涙やったのやろ。でもこれを乗り越えないと復帰は出来ないし、病気との共生共存はできないと思うな。・・・せんせーい!!

OKANの仲間からメールが届いた。その方も一ヶ月入院の経験者。解り合えるものがあるようで嬉しかった。名前は自称エカテリーナ。楽しいよね。母が昨年93歳で亡くなったとき心を優しく寄せてくださいました。人間優しささえあれば生きていけるってほんとやと思う。これも息子からのプレゼントや。子どもをもって大きな悲しみももってしまうこともいろいろあるだろうけど(出産の時の喜びだけで悲しみもクリアできると信じたいけどね)、大きな喜びももらうもんやなあ。

夫は自分の夢中になっている世界で楽しそう。これって幸せ?夫が病気だったらと思うと今のところ元気で丈夫で有難い事や・・・。このHPも読んでないしさあ。HPにわたしのモリ!?をさせているで。HPに書き込んでいるとにこにこしているし、書き込んでいる間は「平和」やと思っているみたい。

楽しい嬉しい一日


皆に支えられて






やっぱり先生を・・・・・








優しさと幸せ





10、16
  (木)

術後
 16週
午前、病院からTELあり。職場復帰の許可を先生が書いてくださるということでした。有難い事です。でも再度確認のTELを職場に入れると訂正もあり、また病院にTEL.。胃カメラを飲む日でもよいとのことだった。11月1日から復帰決定!!嬉しい!やっとや。やっとたどり着けた感じ。何とか心身共に・・・。(文書料 2100円)

午後、次男が病院に行ってることが解ったので、居ても立ってもいられなくなり、一時間ほどかけて初めて車で、淀・長岡・洛西ニュータウン・9号線・京都縦貫道と走った。途中同じ姿勢で居ると腕がだるくなるのでせっせと腕を動かしながら運転をした。何よりもシートベルトが何とかつけられたのが収穫だった。私の名前をつけてくださった方の石碑まで走った。途中高さ2メートルほどのススキの群れが美しかった4、5メートルもある石碑の前で書かれていることばを声を出して読んだ。涙が出た。心が揺れた。この方のお嬢さんの名をいただいたそうだ。手術後目覚めたらこの方の笑った顔が浮かび、大文字の「大」という文字が目に飛び込んできたんだな。・・・気がつくと辺りは真っ暗。あわてて車に飛び乗り八幡辺りで夫にメールを送る。

帰宅すると夫と職場の上司がしゃべっていた。職場が二つあるので、もう一方の上司だ。職場復帰に向けて受け入れ態勢を考えて下さっているようで、ご迷惑をおかけしているのに申し訳ないことです。何だかみなさん暖かいので帰られてから涙がやっぱり出てしまった。私達の仕事は聖職でもないけど儲けと関係ない特殊な仕事なので、ヒトに関しては敏感な職場だ。別の仕事ならこうはいかなかっただろう。周りで私を支えてくださっている方々の気持ちにも答えられるよういい仕事がしたい。皆さん有難う!!

しかし、今は頭がふらふらだ。ドライブはきつかったようだ。・・・・・エカテリーナOKANからのメールに返事したらもう寝ようっと。

車の中でいろいろ考えたんだけど、学校も病院も今マスコミにいじくりまわされているよね。患者や子ども達に良いように返ってくるものがあればいいんだけど、若い医者や教師はどんどん生まれるでしょうが、
ええ医者ええ教師は出てくるかなあ。これだけ周りから多種多様な価値観でたたかれいじくられ、その上、組織や制度が機能してないとくると、余程の技術と人間性が育たないと潰れちゃうわなあ。まあ、ふるいにかけられているようなもので、ええ医者ええ教師が残ればいいけどいつもポーカーフェ−スの鈍感な者しか残らんかったら困るでえ。今は意欲的で感性豊かな者はレールからはみ出るし、ええ人材を生かせられない環境しかないしねえ。一部分、今まではみ出していた者が個性という市民権をもらい、生きられる場所も出てきてはいるが、まだまだそれぞれの土壌は熟成していないよねえ。過渡期だとは思うけど、ええ若いしを育てんとあかんで、日本は。わても蒔かれた種を育てんとなあ。何でも教育(家庭・地域・学校の3本立て)が元やで。それに何でも人間性に行き着くわなあ。医者、教師以前の人間やで。20歳過ぎた者を今更育て直しはできへんしねえ。さあ、どうする?

キーワードは、人間相手の仕事はやっぱり、愛、LOVEやね。技術は経験と学習とやる気でどうにでもなるやん。相手の人間の命を救うこと生かすことの根拠は人間への愛じゃないかな。自分の為に相手を救い生かすわけじゃないやろ。人間の尊厳というか命の尊さにたいする畏敬から職業の選択も深層心理的にはしているはずや。そうじゃないと仕事に情熱は出んでえ。難しく漠としていてけだるい言葉だけど、愛を伝えるしかないわ。患者や子ども達に愛情のひとかけらも持てない者は、すぐ辞めるべきやで。(好き嫌いは別問題。感性が合う合わないは別問題やで。ちっちぇえ問題よお!)

初めてのドライブ














関心ごと












10、17
 (金)

術後
 16週
ヒヨドリの騒がしい鳴き声で目が覚める。やっかましかあ!!・・・うちの庭の2羽はおとなしいんだけど電線の1羽がやかましい!!あともう1羽もいた。ちょっと眼鏡をかけていないのでツグミとの分別はさだかではないが、鳴き声はツグミっぽく、色や姿、特に頭がひばりのようにばらばらっと突っ立てたしヒヨドリっぽくやかましいねん。たぶんヒヨドリやで。斜め向かいの植木屋さんのこんもりした木々に巣を作っているような気がする。うちにもよく来る。2、3メートルほどの垣根にもよくすずめもわんさか来る。つばめが観音開きの門を取り去ってから来ないんだわァ。幸せを逃がしちゃったかもね。でも幸せって自分から求めて初めて得られるような気もするけどさあ。

手術と言われてすぐプランターにベゴニアをたくさん沢山植えておいたのが、冷夏で枯れもせず今も頑張って咲いてくれている。生協で秋植えの球根やらを買ったのでチューリップ50球ほどとりリーを少しなどを植えた。数えたらプランターが32ほどあった。今日は空いている7個ほどに植えた。仕事をしながらちゃっちゃと季節ごとに鉢植えも合わせて花を咲かせていたんだわ。畑にも向日葵や秋桜も咲かせていたし、ようやってたわ!健康って沢山の仕事ができるもんやなあ。

植えているとき、しゃがんだり斜め後ろの物が取れなかったり、もちろん物をつかむことができなかったり大変でしたが、庭石に腰をおろして何とか普通のことがぼちぼち出来るようになってきたと思う。斜め後ろとか斜め上には力がまだ入らないけどね。ぼちぼちやな。重たいものは絶対持ってはいけませんと言われていたけど、何回言っても何かに夢中になっている夫は玄関の本の入ったダンボール箱をどけてくれないので、昨夜遅く来客ありとのことで工夫して動かすと、今まで経験した事の無いけいれんのようなものが手術した胸に起きて怖かった。やっぱりあかんわ!・・・でも今日は土の入ったプランターを工夫しながら7個持った。腋はすごい事になっているけど、どうなんかなあ。ちょっと経過観察としよう。昨日の運転と今日のプランターでちょっとやばいかも。胸にはりついているモノがいつになくごっついんですわ。今からはおとなしくしておこうっと。

昔のハルステッド法などで胸筋までとる乳癌手術を受けた方が、3年経過後にはピタッと言わなくなったらしい。じゃあ、最新の手術を受けたわては2年かかるかなと自分でふんでる。待つしかないと。これからの季節は冷やすとダメだと先生に言われたので気をつけなきゃね。冬なんてTシャツで外ででも過ごしていたのに・・・めちゃくちゃ困るわ。ストーブもエアコンもきらいでここ2年ほどコタツやね。ライフスタイルを変えんとあかんみたい。火鉢でおもしろく過ごした年もあったしさあ。逆にみると身体を冷やし過ぎたんかなあ。

XさんよりTELあり。しゃべらんわけにはいかんしなあ。これがストレスなんやなあ。これから大変やな。病気のことは自分の口では言わないようにする。HPだけにする。もういやや。・・・・・病院は患者にとってある意味楽園かも。社会と遮断した空間は、心身に痛みを持った患者にとっては大切。痛みに関しては、説明しなくとも基本的に解ってくれているから楽。ましてや、思いやりや優しさの暖かい空気の中では、心地よく生きる元気も出てくるというものや。病院が社会から患者を守ってくれているんや。
身体も心も元気にしてくれるところが病院なんや。・・・社会は土足でづかづかと入ってくるもんねえ、きついで。

次男が腰痛なのに学生最後?のキャンプに行き、長男が友達の結婚式の受付するからと帰ってきた。会社のお給料体系がアメリカ並でけっこうおもしろかった。大変やろけどさあ。二人とも居なくなったら淋しいなあ。やっぱり以前の元気かあちゃん(長男はかあちゃんと呼ぶ)じゃないらしい。「大丈夫なん?」と心配そう。元気にしてるつもりなんだけどなあ。

・・・・・一昨日のお食事会と昨日のドライブと今日の秋植えがちょっときつかったかな。腋もすごい状況だしフラッともするしやばいかな。遊びも体力いるんやなあ。病気なんてやってらんねえ!!それに、夫が夢中になっていることにもこき使われているし、明日は寝ることにする。((でもまた、手伝わされてこき使われることでしょう。ほにゃららシンポジウム・・・なんてェのに夢中やしね。
「奥さんそばで自分に便利なように生きてりゃイイ」ってなもんやね。わての人生なんか関係ないねんやろ。これって「ばかの壁」))病気の治療はこれからだってえのに・・・。あーーあ、孤独な闘いや、やっぱり。これで先生に見放されたら、死んじまおっと!!一人なんていやや。さびしいやん。

仕事できっかなあ・・・。無理な気がしてきた。考えてみると一日中出かけたためしがないから、この4ヶ月間。やっぱ、ダメかなあ。しくしく。

ヒヨドリ






ぼちぼち




















病院は楽園?





息子





死んじまお!







10,18
  (土)


術後
 4ヶ月
   28 「ナイフ」 重松 清  坪田譲治文学賞受賞  新潮文庫
抗がん剤の決断より職場への復帰などがだだだーーっと展開し、その上27日から復帰と本人も思い、周りもそうとらえていたらしくお花が届いたりしてたんだけど、11月から復帰となり、やっと気分的に暇ができた。続きをやっと読むことができた。まあ、目をそむけたくなるような「いじめ」がよく出てくる。わての心もただでさえ痛いのにめちゃずきずきした。そこまで書かんとあかんのかなあ。時代がよく解り後世の読者にはメリットもあるけど、文学って何かなあ。ちょっと文学感が違った。最後のビタースィート・ホームは自分と重ねて笑ってしまったところもあったが、家族ってけっこう知らない部分があると思うな。何が家族という一くくりにしているのか。見つめなおすとおもしろいかも。

私達はばらばら。精神的要が私。私が潰れるとこの家族も壊れる事間違い無しや。28年も夫婦及び家族を続けていても、それだけもろいもんや。家族ってなんやろなあ。弱いものたちが心身を寄せ合ってけなげに生きているのが家族なんとちがうかな。だからもろいんや。私はいつも思っていた。仮に子ども達の誰かが障害を持って生まれていたら、その上私達の若い頃だし、どうなっていたかなあと。力を合わせてその子どもを愛して育てていただろうかと。今生まれていたなら慈しみ心を合わせ、何かを学び考え育てることと信じられるが、若い時ならきっと壊れていたかもしれないなと思う。それだけお互いの愛情は薄っぺらいものだったと思う。夫婦って年を経る毎に情は深くなるもの。ましてや子どもが「いじめ」や「病気」などに遭遇するとお互いの人生観や世界観が出てしまい、今まで知らなかった部分が見え隠れするもんや。家族ってお互いあまり深く見つめ合わないようにしているところがあるもんねえ。何かが起きないと見つめ合わないヤん。だからズレが家族の弱いとこに出るんやわな。家族ってほっと一息つくとこなのに、深く突き詰めていたら疲れて家族を止めたくなるしサア。難しいね、そのバランスが。私の持論は女が賢くないとあかんと思う。テストの点数は悪くても利口な女が家族をハッピーにすると思う。・・・ええっ、わてだすか?わては厚ーー くて高ーーい「ばかの壁」を持っていますけんねえ、ははは

家族

10、19
  (日)


術後
 4ヶ月


放射線照射
終了後
 3週
昨夕目眩で寝込んでしまい、夜中眠れず。朝方4時ごろやっと眠れたと思ったらやっぱりたたき起こされた。泣きたくなったがそんな事で収まるようなイノシシ生まれではない。ほにゃららシンポジウムの荷物を軽トラックで運ばされた。夫は充実してるわなあ。これって
妻の幸せにつながんのお?

博学そうで精神的に豊かそうなおじいさん、おじさんおばさんだらけのシンポジウム。まあ、やるからには盛況だといいのにね。さあ、どんな顔で帰ってくんのか・・・。その前に荷物を運び、宴会場まで夫を運ぶ仕事がある。幸せは感じないなあ。わたしも輝かして!!たった一度の人生なんやで。縁あって夫婦になったんやで。病気をわたしが引き受けたんやで。こき使わんといてよ。しんどいねんから、今日は。重いものは持てないのに運べという。「自分に便利な女で自分をアップしてくれる女がええ」ねんなあ。しんどい人やなあ。もうこんなん「いやや」って手術後メールで言ったのに、忘れてるわ。ご都合主義の健忘症やなあ。世間がこんな近くにあったなんて。夫婦なんてこんなもんや。
はあっても愛なんてかけらもありません。

長男が長野に帰った。今回はとってもいい顔になって帰ってきた。いい職場なんやなあと思う。息子をちゃんと育ててくれていると感じる。夫も言っていた。わたしも感じた。彼の上司やら同僚やらが大事に大事にしてくれているのがよく解る。彼の自分のパソコンがずっと動かなく困っていたのを聞いて、上司がノートパソコンをくれたらしい。物で喜んでいるんじゃないけど、その息子を思いやってくれる心が有難い。持って帰って彼の研究やらのグラフらしきものなどを見せてもらったけど、これは幸せを感じた。友達の結婚式の引き出物のカタログの中からわたしにテディベアを注文してくれるというし、
愛情も感じられ幸せ。夫と全然ちゃう!!

うちの家では長男が一番のオトナ。残り3人は自分勝手な末っ子ばかり。次男が兄を家族の潤滑油やと言っていた。長男も次男も私達わがまま夫婦にはもったいないほどのええ子達。恵まれたといつも思う。子ども達に感謝。いつも中学や高校の担任が、落ち着いているのが不思議だと懇談で「親を見て」言っていた。両親がパンパらパンやから落ち着かんとしゃあなかったんやなあ。ある意味苦労かけたやろな。

先生に冷やさないようにと言われてから、
とーーってもよく眠れるようになった。上を向いて寝られるようにもなったし・・・。就寝前の入浴、入浴後のリハビリ、そしてあったかーい寝具の中で・・・夢は見ないなあ。熟睡できてんのかなあ。腋もリハビリ後は動かないし、座布団二枚の手作りクッションで腕も楽だし、腋が何とも無く、上を向ける。時々左を向いてもぐっすり眠ってる。
やっぱり








夫と
 
息子














先生、眠れたよ!

10、20
  (月)
10時前に着き「光学医療診療部」へ。すぐ呼ばれてカーテンつきの椅子に座らされた。胃の泡?をとる薬を紙コップで飲み、喉に注射器でシュッと麻酔をかける。しかし、この喉をしびれさすやり方が病院によって違うので心配してたんだけど、一番わたしのやり易いやり方だったのでほっとした。でも、喉の奥にはうまく行かなかった気がしていた。3分後、看護師が注射器を持ってきた。
わたし  「注射、痛いですよねえ。」
看護師  「まあね、針をさすんやから痛いわねえ」
わたし  「注射、嫌いなんです。痛がりなんです。」
看護師  「心臓に何か言われたことありましたか」
わたし  「言われた事ありません」
看護師  「緑内障・・・とか言われてませんか。」
わたし  「眼科に行ってないので解りません」
看護師  「それならいいですね」
  注射器をさす。針が細くて痛くなかったが、
わたし  「
いたっ!いったあー!!いたい!!!いててー!!!!
  注射後しっかりもんでくれるが、その痛いこと!!

胃カメラの注射って何度もしてるんだけど、こんなに痛かったっけか。

さあ、ほどなくして胃カメラのベッドへ。左に向いて寝るのでほっとする。がしかし、このおばちゃんのうるさいこと!ぎゃーぎゃーと横になるだけでうるさい。だって検査の間じっと横向きに寝るなんて出来るか不安だしさあ。怖かったわァ。もう、まるで看護師さんも先生も赤ちゃん相手やね。でも、それがええんです。ずっと背中をさすってくれたり、しんどがると呼吸法を具体的に導いてくれたり、楽でした。まあ、予想どおり喉は前半しびれておらず大変でしたが。何かこんもりとしたものといつもしくしくと痛いのはポリープがあるらしい。ちょっと炎症もあるらしい。
目でみるにはどうも無いらしい。抗がん剤もOKだってさ。一応細胞をとったらしい。

検査後の診察では、さっき受けた検査の映像が先生のノートパソコンにワンクリックで出てくるのには驚いた。・・・どうもないだってさ。一週間だけ投薬してもらった。薬はきらい。(細胞の検査結果は2週間後ということだった。11月10日に聞きに行く。)

帰りやっと見つけた。重松清の「エイジ」の文庫本はやっぱりなくて単行本を、やっとやっと旭屋で手に入れた。一番読みたい本が単行本だったのもけっこういいかも。これでこの作家の作品は終了とする。もう読んでられない場面が多く、読後がしんどいねん。

夕方、先生に書いていただいた職場復帰許可の書類を自分で持っていけた。
どうしても職場には行けなかった。でも、やっとやっと自分らしく行けた。自分らしく以前のように元気にしゃべることもできた。夫も言っていたが、4ヶ月間のうちへの訪問などの禁止は有難かったと。パニックのなかでは社会との対応は無理。みなさんありがとう。ご迷惑をおかけしました。やっと元気になれました。自分でも今日の職場への訪問としゃべりはおおきなかけでしたが、頑張れたのでほんまに嬉しいわァ。・・・まあ、昔から知っている人ばかりが残っておられたことが、安心してしゃべることができた要因かも。

まだまだ10年は治療中になるんだもんね。転移の恐れをずっと持っていくんやからね。底なし沼の淵をずっと歩いていく人生になったんや。以前と全く違うんやなあ。・・・忘れよおっと!!

胃カメラ
検査と診察



検査料
7400円

























賭け








10、21
  (火)
放射線医核の診察後、婦人科へ。結果は何もなかったということだった。今後は乳癌のヒトは定期的に検査をしたほうがいいということだった。あの痛い検査をその都度するのはイヤなので3月にしてもらった。なるべくあの痛い検査はやりたくないと言っておいた。外科の腫瘍マーカーであやしかったら検査をする。もうイヤ。検査で病気が悪化するわ!!

残るは脳や。もう診て貰う元気がなかったんだけど・・・どうしよう!!目眩が止まらないしやめとく。・・・仕事はできるんかなあ。

出かけた時は美容室に行く事にしている。(ほとんどは家で自分がカットしている。おばちゃんはそれで十分や。)時間は過ぎてしまっていたけど、いつも行ってるしカットをしてもらった。でも、自分でする方がいいみたい。夫も「自分でしたほうがええと思うよ。」と言ってた。じっと見てたんだけど、ちょっと真似できないカット方法だったなあ。いつもしっかり観察して真似するとうまくいくのよねえ。でも今回は真似したくない感じ。

婦人科






真似したくないカット




10、22
  (水)
ずっと(乳癌発覚以前から)何かあると目眩があるんだけど、最近多い。ちょっと横になっても止まらない場合がよくあったんだけど、それとよく似ている。今日は時代祭りで一度行ってみたいとは思っていたんだけど、無理。今日は一日パジャマ姿でごろごろしておく。こんなんで仕事になるんかなあ。

次男が「棟方志功展に行ってきたら」と言ってた。仕事には入れ込むタイプなので家族は解っているんやろね。今の内にしっかり充電させておかないと家族にまで余波が押し寄せてくるのも解ってるんやで。そもそも今回も一日中寝ていたことは無かった気がする。なんやかやと起きてはいた。ごろごろはしていたけど。身体は疲れていないはず。気分がまだまだ疲れているだけだ。

今日は家でじっとしてる。ふらふらするもん。・・・じっともできないのでサンドラさんにレターを書いた。イングリシュやけんねえ。さっとは書けません。中学英語です。仕方ない。
彼女のお孫さんの写真をいっぱいコメントつきでもらったのでね。かっわいいんだわあ!

わたしに言われた抗がん剤を調べてみました。いっぱいありましたので、お気に入りに入れておきましたが、怖いわァ。経口にしましたが。

 3つの抗がん剤を組み合わせて行う化学療法の名前
その3つの薬、Cyclophosphamide(シクロフォスファミド/商品名エンドキサン)、Epirubicin(エピルビシン/商品名ファルモルビシン)、5-FU(ファイブエフユー)の頭文字を取ってこの名前がついています。(CEF)

例えば、4週間に2回の点滴を6コース行う場合と3週間に1回の点滴を6コース(クール、サイクルということもあります)行うなどがあります。シクロフォスファミドは飲み薬の場合もあります。点滴前の採血で白血球の減少などがあった場合にはその日は点滴はせずに、白血球数の回復を待って点滴を行うこともあります。

副作用には吐き気、脱毛、口内炎、白血球減少、貧血、血小板減少、爪の変形・着色、生理不順、肝臓・腎臓・心臓の機能障害などがありますが、副作用の出方には個人差があります

目眩













抗がん剤


CEF







10、24
  (金)
真っ赤なボルボに乗せてもらって奈良の棟方志功展に連れて行ってもらった。何度か椅子に座って観ていたんだけど、頭がぼーーっとしてしんどかった。帰ってから2時間ほど寝ていた。これで仕事はできるのか。誰も仕事を辞めたらとは言わない。(辞めた彼女はゆっくりしたら・・・とは言ってくれてるが)誰か言って!!「やめたらうるさいに決まってるからなあ」と、夫は言う。・・・・・早く診察日来い!!抗がん剤早く来い!!

しんどい


10、25
 (土)
霊芝とヨーグルトはほぼ毎日飲んでいる。(夫の勧め)・・・・・夫がHPを読んでいる事が解った。「ぐちは乳癌に関係ない」と・・・。読み直して考えることにする。

医療大學の学生にしゃべった部分が解りにくいので、書き直すように言われた。失敗は思い出したくないんだけど、患者として未来の看護師に伝えたことを少し書いた。(9月29日のことですよ。乳癌その2)彼らの方が立派なのにね。彼らは偉いよ!彼らは日本の宝だ。「えらいなあ。ありがとう」と言えなかった・・・・・。

病後初めて
夫と二人でお茶をしに行った。わたしの好きな「たんぽぽコーヒー」をメニューに出しているちょっとこだわりのカフェで、ロシアンティーとりんごのタルトを注文した。おいしかった。ロシアンティーのジャムがまたこだわりで、ブルガリアの薔薇の花びらのジャムでした。うっまかあーー!!夫はケーキセットでコーヒー。ええとこ、みっけ!!!

夫は「おまえから子ども達をとったらあかんやろ、生きていかれへんやろ」と言う。そうかなあ。「後、2,3年仕事をしてから辞めたらええやん」・・・これは、ええ話や。後2年はする。
それもぼちぼち。もう突っ走るのは止めや。できひんし。

効果はあるのか

夫のチェック


ロシアン
ティー




10、26
  (日)
今日は大安なので親戚の結婚祝いを午前中に持って行った。38歳のとおい遠い親戚の人が乳癌で亡くなったという話を聞いた。亡くなる人もいるんやなあ。私が乳癌って知らずにしゃべってくれたので、後で解った時悪いなあと思ったが、めでたい席なので自分からは言えなかった。

帰宅後ずっと奥の客間で大事に寝かしてもらっていたので、片付けることにした。4ヶ月間の荷物があって大変や。明日もかかりそう。重たいものも持った。胸がピクンぴくんとしたがもうほっといた。ちょっとぐらいは鍛えんとなあ。

病休の次の日ぐらいに、インド人の自家製の紅茶をインドから来たその人にもらったということでわざわざ仕事場まで持って行ってくれ、その上、お休みということで我が家まで持ってきていただいた方にやっとお礼を言いに行けた。その方の中学生の息子さんが「
無理せんときやあ。大丈夫なん?」と言ってくれた。なんでこんなに優しい子が育つんや!?うまいこと育ってるわ。もうTVや新聞を賑わせているような事件が信じられない。顔はお互い知ってたけど、しゃべったこともないのにこんなに心を痛めている者にこんなに優しくどうして言えるんや!?彼はシャイでいつも目線が下で恥ずかしそうに歩いていた子。重松清さんの作品の中の登場人物と余りにもかけ離れた現実がすごく嬉しい!!!いっぱいの実をつけた柿の木の下で自転車にまたがってちょっとイカすヘアスタイルで言ってくれたんやで!心に沁みたわァ。この子の家族と地域の教育力がまだまだしっかりと根っこをはっているのがよく解った。こんなにしみじみとした心地よさといおうか嬉しさは初めてや!!!ええ子も日本にはいっぱいおるんや!!!ばんざーい、にっぽん!
床上げ








重松さん、この子も見て!





10、27
  (月)
   29  「養老孟司の<逆さメガネ>」 養老孟司  PHP新書
重松清さんの「エイジ」はあと少しなんだけどホッタラカシ。読む気がしない。すぐ読めるんだけどね。ついついぼーっと過ごす毎日であった。昨夜零時ごろに部屋を片付けていた時養老さんの本が2冊出てきた。思わず開けると、おかしくて笑っちゃいました。今日は電車の中で読んでしまいました。人間は日々変容することは同感。子どもが日々変容することを信じなくてなんで教育ができるんや!わたしだってすごく変わってきてる。自分でもよく解る。成人だって死ぬまで変容するものと信じている。知行合一・・・養老さんの表現だけど、論理的にしゃべったり書類はしっかり書くヒトはわたしはずっと信じてません。まぐれでなくいつもやってみせてくれるヒトを信じてきました。うんうんと思う部分も多かった。でも、個性は身体にあって心にあるのではないとの見方はあるだろうけど、これこそ養老さんの見方であって、ちょっとわたしとは違うなと思った。

美しいエカテリーナOKAN達と罹患後初めて会った。みなさんに暖かく迎えて頂き、そして、元気になったことを共に喜んで頂き有難い事だと思った。HPものぞいていただいてるようでこの間の経過をしゃべる必要がなく元気な部分だけをお見せできたのが、ストレスもなくほっとした。この間のことは、このわてでもしゃべられません。きつかったしねえ。胃がよじれるほど笑ったのが嬉しかった。帰りの電車のなかで、ニタニタしてしまい困ったほど。帰宅後ダイアナOKANからもメールが入り、笑ってしまった。わても、まりりんOKANと申すことにしました。
養老さんおもしろいわあ






エカテリーナ
10、28
  (火)
今日はまたまた近くで美人二人とデート。イタリアのオレンジジュースで祝杯!(オレンジジュースはトマト色をしてました。)お若いのに大変な闘病生活をされていたという話も聞き、今のステキな表情からは想像もできず、エネルギーをいただきました。もう一方のお父上も大病で、みなさんにとっても身近なことでしたので、私も身構えることもなくストレスも感じず再会できたのが何より嬉しいことでした。今日のこの日の為に出逢ったんじゃないかと思えるほど。人生は味わい深いものです。住宅の中にひっそりと建つ隠れ家風のお店にもいい風を感じました。今日の一歩に未来を刻めたような気がします。

やっぱり、まりりんとして生まれ変わろうット!まりりん誕生!!
My name is まりりん.
赤いイタリアのオレンジジュース



10、29
  (水)
私の担当の初任者がそろって忙しい中お見舞いに来てくれた。4ヶ月振り。種は蒔けていたのだろうか。これから確かめなくては・・・。でも、たった2ヶ月の種蒔きではあかんやろなあ。秋蒔きは来春咲くし、また種蒔きをさせてもらいますわ。小さな事からコツコツとぼちぼちさせてもらいます。さて間に合うか!?

  
30 「小澤征爾 音楽ひとりひとりの夕陽」 小池真一  講談社+α新書
小澤征爾の何が好きって、一人ということと情熱ということと、最近はまってしまっている教育活動。彼は教育を麻薬と言っているが、すごくよく解る。子どもに情熱をかければかけるほど、子どもって変容していく。それを目の当たりにすると、はまっちゃうんだよね。江戸京子さんと別れてからベラさんと結婚した頃からのファン。ベラさんのファンでしたし。
ファッション雑誌にトップモデルとしてよく登場していて、可愛くかっこよかったよね。2002、1のウィーン・フィル・ニュ−イヤーコンサートのTVを見てCDも買ったけど、評判は○と×に分かれたみたい。私にはさっぱり解りませんでしたが・・・。ウィーン国立歌劇場にも行きたい。松本でのサイトウキネンフェスティバルにも行きたい。生指揮を感じたい。TVに出る度にVD撮りはしっかりしてるけどね。朝比奈さんの指揮を感じようとコンサートのチェックをした頃に、亡くなってしまった。すごくすごーく後悔している。

明日は3週間ぶりの診察。病院が遠くになった。でも、病気についての見通しは・・・。
  
初任者




小澤征爾








明日は診察日

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