剣と左
参考ネタ:封印の書チーム AGSチーム
原案:ハルベルトさん

「雨、か……」

 駿はそう呟いて雨戸を打つ水の音に耳を傾けた。
 湿った空気が床まで染み渡った広い道場。
 その中にただ一人で木刀を握っている自分の姿が
 やけに虚ろに鏡に映っていた。
 軽く空に打ち込む、心地よい素振りの音。
 バチン、バチンという水の不協和音がそれに混ざる。

「……乱れるな」 

 また呟く。軽い苛立ちと共にもう一度彼は木刀を振った。
 ぴたっと止めたはずの切っ先が細かく震える。
 舌打ちして駿は木刀を脇においた。
 技と心が上手く調和しない、その責任を、
 耳を打つ雨の音になすりつけるわけにはいかなかった。

「くっ……!」

 空拳で居合の型を取る。
 慣れたその構えで軽く目を閉じる。自然と心が落ち着く。平常心。
 彼は目を開き、構えを解いた。
 この数日、ずっと繰り返してきた動作だった。
 この不安とも期待ともつかない心の乱れ。
 道場から同居人の二人を追い出してまで
 精神修行をしなければならないほどの苛立ちがどこから来たものなのか、
 駿には見当すらつかなかった。

「……虫の知らせだとでも言うのか?」

 予感というものは確かに在る、と、彼は思っている。
 だが、その程度のことで心が乱れるほどやわな自分ではないつもりだった。

「自惚れとは思いたくない。その程度の自負はな……」

 駿のプライドである。
 と、雨の音に別の音が混ざった。
 カン、カンと戸を叩く音だ。

「誰だ?」

 反射的に彼は二人の同居人や幼馴染の顔を思い浮かべた。
 この道場をこんな夜更けに尋ねる人間は他に心当たりがなかった。
 玄関まで行って鍵を開ける。

「入れ…」

 戸は外側から開かれた。

「……?」

 そこから現れた顔が
 予測していたどの顔とも違っていたことに駿は一瞬、戸惑った。
 少年、いや、青年というべきだろうか。
 年のころは自分と変わらないように見えた。
 濡れて重くなった髪の色は、闇の中でよく見えないが、おそらくは銀。
 青年は薄く笑みを浮かべて口を開いた。

「お邪魔するよ」
「……誰だ、あんた?」

 青年はそれには答えずに一歩玄関に足を踏み入れた。

「あんた……ここに何の用だ?」

 もう一度問う。今度は青年は答えた。

「急に雨に降られてね」
「……」

駿は手で入れ、と合図を出しながら青年に背を向けた。

「あんた…どこかで見た顔だな……」

 青年の顔を見ずにそう言う。背中で青年が笑みを浮かべたのがわかった。

「思い出した……KOFだ」

 ようやく心当たりに辿り着く。

「去年のKOFに参加していた……二階堂紅丸の親戚だろう?」

 二階堂、という名前にピクッと青年の方が揺れる。
 お構いなしで駿は先を続けた。

「名前は…確か……」

 道場の中央まで来たところで振り返る。

「エミール…左寺」
「ご名答」

 左寺は軽く肩をすくめると、道場の壁に背をもたせた。

「君は三剣君だね。『三剣駿』……」

 彼は懐から紙切れのようなものを取り出し、読み上げはじめた。

「格闘スタイルは三剣流剣術・居合の型。7月20日生まれ。
 家族は祖父が一人だけ」
「…何が言いたい」

 クスッと笑い、左寺は紙切れを裏返した。

「…去年の大会の選手プロフィールだよ」

 駿はまだ警戒心を解かない。
 そんな彼の態度を全く気にしていないかのように左寺は先を続けた。

「三剣流という流派は、君が思っている以上に有名でね。
 特に普通じゃない人間には…」

 パチン! と掌で稲妻がはじける。
 湿った空気をきらめかせる細い稲光を握り拳で覆い、左寺は駿を見つめた。

「あんた…まさか……」

 三剣流、そして特異な能力者。こうして二つ並べれば、
 駿にも既に答えは見えていた。

「僕は左寺。エミール左寺。君と同じ、現代の悪魔さ」

 悪魔。
 そう呼ばれる人間たちの存在を知ったのは去年のKOFでのことだった。
 そして三剣流の祖が悪魔であったこと、自分がその血を引いていることも。

「やはりな……」

 その力ゆえに自分が両親を殺した。
 その罪の意識が悪魔という呼び名をいっそう皮肉に思わせる。
 駿にとっては忌まわしい連鎖だった。

「で、その俺と同じ悪魔が何の用だ?」

 穏やかな用件ではなかろうがな、と、付け加える。

「雨宿り、と言って信じてはもらえないのかな」

 冗談のつもりなのか、左寺の返答はそんなものだった。
 表情ひとつ変えずに駿は鼻を鳴らす。

「あんたが俺なら、それを信じのるか?」
「ああ、もちろん」

 軽く受け答えて、左寺は壁から背中を離した。

「出場するんだろう? 今回のKOF」
「………」

 一歩ずつ、ゆっくりと駿に近づく。
 駿は返答しなかった。その必要がないとわかっていた。

「君は感じないかい?」

 雨の音が語尾を濁らせる。

「それとも、僕の中にヒトでないものがいるから、
 敏感になれるだけのことかな」

 カツン、と、足音が一つだけ高く響いた。鼓膜に直接触れたような振動。
 左寺の掌に再び稲妻が輝く。上半身だけが照明と逆の方向から照らされて、
 幽霊のように不気味なヴィジョンがそこに浮かび上がった。 

「何の話だと言っている」

 音が消える。自分の隣に回り込んでくる銀色の影をさえぎらず、
 駿は横目でちらりと左寺を見た。左寺の唇がかすかにしなる。
 薄く妖しい笑み。

「君が気付いていないはずはないだろう?」

 ピク、と指先が震える。
 そして駿はこの男が何を言わんとしているのかを直感した。
 左寺の声は、いつの間にか首筋を撫でるように真後ろから聞こえていた。

「今、ヒトという種が未来を見ている」

 それは断定。

「ヒトという種が予感している。ヒトの黄昏を……」

 ククク、と押し殺した笑い。

「あるいは、輝かしい未来をね」

 それがこの数日感じていた予感。
 左寺はもう一度駿の正面に戻り、覗き込むように彼の瞳を見つめた。
 人差し指を駿の目の前まで持ち上げ、軽く雷を弾く。
 そして左寺の瞳は何も映さない。純粋な観察者の瞳。

「俺の知ったことじゃないな……」

 と、駿は左寺の指をその稲光ごと押しやった。

「俺はあいつらを守りたいだけだ。
 人類なんて、そんな大きなものをどうこう出来ると思うほど
 自惚れてはいない……」

 ニヤ、と左寺の目が笑った。

「そう、それは正しい人の生き方だ」

 皮肉でも嫌味でもない。彼は頷き、駿に背を向けて数歩後に下がった。

「……だが、力は別だ。そうだろう? 三剣君」

 背中が揺らめく。照明の加減のせいだろうか? 駿にはそう見えた。
 左寺の存在が薄く、鈍く変わる。気配が消える。
 次に左寺が駿を振り向いた時、彼は思わず呟いていた。

「消え…た?」

 左寺という物体。彼の目に映ったのはそれだけだった。
 そこに左寺はいない。

『抜・け・出・し・た というのか!?』

 駿がその光景から受けたインパクトを端的に表すとそんな台詞になる。
 抜け殻の左寺が一歩近づく。
 全身を突き抜ける冷たい風に彼は奥歯を噛み締めた。

『……ッ! 抜け殻から、プレッシャーだと!?』

 そして駿はこの抜け殻を操る何かに気付く。
 左寺は「そこ」にいると理解する。
 左寺の気配。左寺ではない気配。両方が混ざり合い、
 一つの存在として跳躍する。その精神の場。
 ドクン、と、胸が鳴った。明らかに駿は動揺していた。

『体がうずくというのか!?』

 戦士の本能。
 だがそれとは別の何かが自分の内側から湧き上がるのに駿は気付いていた。

『いや……違う……これは……』
『そう、うずいているのは君じゃない。君の力がうずいているのさ』

 力。三剣の三本目の剣。『禁呪』。
 駿が受け継いだ最強にして最後の悪魔の力である。
 そのうずく訳は、ただ一つ。

「貴様がAGSだと!?」

 駿は一瞬で間合いを取り、居合の構えに入った。
 が、次の瞬間、駿は左寺が肉体に戻るのを知った。
 存在感が肉体に戻る。
 途端に気の抜けたような脱力感に襲われる。
 禁呪の力が、その意味を見失ったのだ。
 左寺は両手を上げ、害意のないことをアピールして首を振った。

「今の所、僕は君の敵ではないよ。これはマルスの心。
 僕がそれと一つになっただけのことさ。君の敵は他にいる」
「………」

 駿は構えを解き、無言で先を促した。 
「エリス。星を奪おうとするAGS、火星の亡霊……彼女を追っている」

 それが君の敵だ、と左寺は付け加えた。

「あんたに協力しろというのか?」

 中性的な笑みを浮かべ、左寺はのどの奥で小さく笑った。

「僕には君が必要なんだ」

 ゾッとするほど妖しい声色。これが男の出す声だろうか?

「やめろ……吐き気がする」

 そんな駿の反応を見て笑わずに入られないのが左寺という男だった。

「チッ…」

 駿としては呆れるしかなかった。
 が、すぐに表情を引き締める。
 左寺はその彼の実直な部分を得がたいものと思う。

「三剣君、君の力は危険だ」

 断言する。

「だがそれは彼女と戦うためのもの、だろう?」

 手を組め。そう言ったつもりだ。
 駿にも、もちろんそれはわかった。
 そして答えも。
 この禁呪の力を受け入れた時から、闘う理由も、
 守るべきものも決まっていた。

「いいだろう…」

 軽く頷く。
 また左寺がククク…と笑った。

「君のそういう律儀さは、好意に値するよ」
「俺はあんたの評価には興味はない……
 それに、俺はあいつらを守るためだけに戦うだけだ」

 今後の予定の説明を促す。左寺は頷いて口を開いた。

「エリスが次に動くのはKOFだ。ネスツ……
 そしてありとあらゆる勢力が一点に集中するKOF。
 そこで彼女を捕まえる」
「KOFか……他のメンバーはいるのか?」
「メンバーの写真と経歴。ここに置いておくよ」

 懐から取り出した書類を床に置く。
 よく見えないが、一枚目の写真は女性のようだった。

「こいつもどこかで見たな……」

 小さく呟きながらちらりと目を通す。詳細は後で確認すればいいことだ。

「……ヒトの予感と言っていたな」

 顔を上げて左寺を見る。

「俺にはAGSがその予感の源とは思えない。理由はないが…」
「ああ……僕もそう感じる」

 沈黙。雨の音が久しぶりに耳に入った。

「……出来ることをやるだけ…か」

 駿はそう結論を下した。

「君らしいよ」
「初対面の相手に言う台詞じゃないな……」
「フ……確かに」

 左寺はまたにやりと笑った。

「じゃあ、僕はこれで」

 立ち上がり、玄関へ向かう。
 時計に目をやると、ここに来てからまだ30分とたってはいなかった。

「雨宿りはいいのか?」

 からかうように駿が後ろから声をかける。

「雨は好きなんだよ」

 頭を掻きつつ、左寺はそう返した。

「妙な奴だな…」

 駿はそう呟いた。
 聞こえないふりをして左寺は戸を開ける。
 雨に濡れた空気が道場に迷い込んだ。
 風に舞う銀髪が雨と闇の中に溶け込む。
 その直前に駿はもう一度彼を呼び止めた。

「左寺と言ったな」

 駿は手にとっていた資料を床に置いた。

「あんたは俺の力を危険といったが……
 俺にはあんたの性格の方が危険に見える」

 左寺の動きが止まる。駿はその背中をじっと見据えて先を続けた。

「あんたは自分でそうとわかっていながら、
 破滅をすぐ側においておきたがる男だ」

 駿の見た左寺とは、そういう男だった。

「危ういんだよ……人として……」

 ゆっくりと、顔だけ左寺は振り向いた。
 駿の思ったとおり、そこにはあの薄く妖しい笑みが浮かんでいた。

「忠告、受け取っておくよ」

 小さく音を立てて戸が閉まる。
 突然の来訪が嘘だったかのように、道場には沈黙と、
 雨と風の音だけが残された。
 手元の資料から目を離し、駿は瞳を閉じた。

「……予感、か……」

 その答えは、決して遠くない。
 そして彼はその閉じた瞳の奥に、輝ける闇を見た。

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