甲子園フェリーの歴史
(明石海峡大橋開通〜航路廃止決定)
■明石海峡大橋と真っ向勝負
1998年4月5日、明石海峡大橋が共用を開始。大鳴門橋開通以降、待ちに待たれていた明石〜徳島までの高速道路ルートが完成しました。
淡路フェリーや徳島阪神フェリーはこの日を最後にフェリーを廃止。阪急汽船の水中翼船や共同汽船の高速船、淡路フェリーボートのハーバーランド発の深夜便など、大阪湾を多彩な船ぶねたちが行き交った阪神〜淡路航路に、ついに終わりのときがやってきたのです。
物流の中心はトラック、旅客は高速バスに移動し、全日本海員組合は失業者対策のために本四海峡バスを設立しました。職を失った船員たちは船会社の狭き門を争い、大型2種を取り淡路交通などバス会社に再就職する者もいました。
そんな中でも甲子園フェリーは「明石海峡大橋開通後も運行を続けます」と新聞広告を掲載、新たな運賃体制で明石海峡大橋と真っ向勝負することを決めます。
ひとまず合理化のため、「なるお」を係船、1日20便に減便を行いました。
また、単価の高い乗用車の輸送需要を喚起するため、自動車同乗者の旅客運賃を無料化し、「人は、0円?」という宣伝文句でアピールします。また、「ひとや環境に優しいフェリーの旅」をというキャッチフレーズを制定し、津名港や西宮港の周辺にこの2つのキャッチフレーズを盛り込んだ立て看板を立てて、運行継続を知らせました。
| 「人は、0円?」の新運賃 旧運賃
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