甲子園フェリーの歴史
(1990年〜明石海峡大橋開通まで)
1990年、甲子園高速フェリーは建造から16年の歳月が経過して老朽化していた、残る唯一の旧型船「第五はやぶさ」を代替する必要がありました。
時代はちょうどバブル景気の絶頂期。在阪企業が淡路島をレジャー開発しようと、豪華なホテルやペンションなどを多数建設していた時代。本四連絡としての機能も担ってますます航路需要が伸びていた頃。そのため、輸送力を「なるお」型並みに、内装を豪華にした新造船「むこがわ」が登場しました。
総トン数は3756トン。なるお型のカーデッキ上のオープンデッキ部分に2層のキャビンを設置、デッキはチーク張り、客室の2階部分を高さと後部キャビンの天井高さを合わせたために高い天井、極めつけはスナック設置など、短距離航路では考えられないぐらいの豪華船となりました。
それまでの「緑」の甲子園フェリーから、ベージュに緑ラインに塗装変更され、イメージも一新、まさに新時代の甲子園フェリーをゆくフラッグシップとなりました。
画像:台風一過の津名港で着岸体勢に入る、「むこがわ」 KAZ-Aさん撮影
■なるお型の改造
なるお型も「むこがわ」登場に併せて、イメージを統一するために内装の改装、フェリーターミナル移転によるランプウェイの改造(ポート側からスターボード側に)、エンジン排気の客室流入を防ぐために煙突改造をする必要がありました。
イラストでは煙突改造の様子を示しています。
整流版をつけて後部に排気を流しています。
■西宮フェリーターミナルの移転
1992年、西宮フェリーターミナルが移転しました。
旧ターミナルの目前に阪神高速湾岸線が開通。同時に南芦屋浜までの一般道も併設した複合道で、国道43号線と3号神戸線の混雑と大気汚染を緩和することが期待されました。しかし、困ったのは甲子園フェリー。写真をご覧になればわかりますが、これでは船が目の前の橋をくぐれません。橋を高くしようにも、前後に「鳴尾浜」「甲子園浜」出入り口があるため、むやみに高くは出来ません。
そこで、思い切ってフェリーターミナルを武庫川下流に移転しました。
新フェリーターミナル 1992年完成
本岸壁と予備岸壁の2つを備え、積み込み用クレーンも設置。
フェリーターミナルとしての基本的な機能を持ち、燃料貯蔵用の大型タンクを3つ備え災害への備えを行うなど、阪神震災を考えたら「先見の明があった」フェリーターミナルとなりました。
3階建ての新社屋併設のフェリーターミナル。
1階はドライバールームとうどん屋、2階は一般徒歩客用でゲームコーナーを併設。3階は事務所と乗組員の仮眠室など、機能的にまとまっております。
また、近くに「一文字」など著名釣りポイントが多数存在するためにタクシー乗り場前の別館に「甲子園釣り餌センター」が開店。
食料調達も釣具調達も簡単に出来るので、釣り場としてもフェリーターミナル周辺は栄えました。
別館:「甲子園釣り餌センター」通称「甲餌」
このときにフェリーターミナル移転を行ったのは、3年後に阪神大震災により旧ターミナル付近がボロボロになってしまったことを考慮すれば、本当に「運がよかった」というほかにありません。
なお、「甲餌」については、フェリー廃止後も店舗契約を続け、2000年ごろまで営業を続けておりました。
本当に釣り人に愛されていたのでしょう。
1999年にフェリーターミナルを再訪したときは、まだ営業を続けている甲餌を見て、感動しました。ひと気がないのを予想していたのですから。
甲餌は閉店後、「また鳴尾浜付近で店舗を借りて営業したい」旨の張り紙がしてありましたが、その後どうなったのでしょうか。
6年経っても未だわかりません。
本当に豪華な新造船。そして新フェリーターミナル。
このときはまだ「明石海峡大橋ができてもフェリーは存続させる」という意思になんの揺るぎも疑いもなかったのでしょうか。
1992年4月1日から24便に増便されました。
下り 上り 便 西宮発 津名着 便 津名発 西宮着 1 0:10 2:05 1 0:20 2:15 2 1:10 3:05 2 1:20 3:15 3 2:00 3:55 3 2:30 4:25 4 2:40 4:35 4 3:30 5:25 5 3:40 5:35 5 4:20 6:15 6 4:50 6:45 6 5:00 6:55 7 6:00 7:55 7 6:10 8:05 8 7:30 9:25 8 7:20 9:15 9 8:40 10:35 9 8:20 10:15 10 9:50 11:45 10 9:50 11:45 11 10:50 12:45 11 11:00 13:05 12 11:30 13:25 12 12:10 14:05 13 12:20 14;15 13 13:10 15:05 14 13:30 15:25 14 13:50 15:45 15 14:40 16:35 15 14:40 16:35 16 15:30 17:25 16 15:50 17:45 17 16:20 18:15 17 17:00 18:55 18 17:00 18:55 18 18:00 19:55 19 18:20 20:15 19 18:40 20:35 20 19:20 21:15 20 19:30 21:25 21 20:20 22:15 21 20:40 22:35 22 21:10 23:05 22 21:40 23:35 23 21:50 23:45 23 22:50 0:45 24 23:00 0:55 24 23:30 1:25
ポケット時刻表 提供:自前
1995年1月17日AM5時46分、マグニチュード7越の直下型地震が早朝の京阪神を突然襲いかかりました。
甲子園フェリーは、全便一時運航ストップを余儀なくされました。
その時、全ての船5隻のうち3隻は航行中で、西宮、津名の両岸壁では、残る2隻の船が着岸してました。
西宮FTは、地盤沈下など若干の被害を受けましたが、まだ築3年と新しかったので、青木の東神戸フェリーターミナルとは対照的に、ターミナルとしての機能を失うことはありませんでした。
そして、1月25日からは一日25便の臨時運航体勢となり、四国から救援物資などを満載したトラックを運び、復興に貢献しました。
フェリーターミナルやその周辺が乗船待ちのコンテナヘッドの渋滞。そんな中でも人々の希望を載せ、運行を続けました。
また、陸上の交通網が寸断されてしまったので、西宮FTのさらに下流に三宮と天保山に向かう、「ゆうかり」「すずかけ」など港内遊覧船を臨時に転用した海上交通網が作られたのを受け、連絡を図りました。
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