昭和二十一年、5月。五月晴れのこの日、ここ香取研究所では朝から緊迫した空気が漂っていた。それもそのはず、香取研究所が長年の研究の末、ついに完成した六式時空偵察機「妙見」の初出撃が行われようとしているのだ。
「燃料車はまだか!」
「滑走路の端にあるあの車両を早くどけろ!」
整備兵たちの怒号が飛び交う中、香取研究所所長、飯田薫少佐は神妙な面持ちで離陸準備の進む妙見を見つめていた。誰が掲げたのかピストの脇には「南無妙見大菩薩」と墨で大書きされた幟が五月のさわやかな風に翻っている。

一年前の今頃は米軍機がこのあたりにも盛んに飛来し、爆弾を落としたり機銃掃射を加えたりと生きた心地がしなかったものだが、米軍の日本本土上陸作戦失敗により、昨年8月、奇跡的に米国との停戦協定が結ばれたため、今では敵機襲来に怯えることもなくなった。近いうちには講和条約も結ばれるであろう。また新たな戦争が始まるという者もいるが、今のところは日本にとって久しぶりの平和を謳歌していた。

陸軍登戸研究所香取分遣所は昭和十五年に登戸研究所の分遣所として北総の農村部の一角に設立された。登戸研究所は陸軍の主に秘密兵器と呼ばれる怪しげな代物の開発を行っていた。その一部を列挙すれば、諜報用機材(小型偽装写真機等)、偽札印刷機、暗殺用毒薬、万年筆型拳銃等々。このくらいは序の口で、風船爆弾、人工雷雲生成器、幻惑光線兵器、強力な電波を敵飛行機に照射してその搭乗員を焼き殺す「怪力線」など、奇天烈としか思えないような兵器の研究に日夜没頭していた。

その登戸研究所の研究員の一人、飯田少佐はその中でも特に奇抜な発想をもとに研究を進めていた。高名な陰陽師の呪詛をラジオ電波に乗せて敵国指導者を調伏しようとしたり、イルカに爆弾を背負わせ敵艦の直下で爆発させる「い号機雷」、人工地震発生装置、水を燃料に変える装置、瞬間移動装置、飛行戦車等々。そんな飯田少佐の研究が認められてか、怪しげな兵器を研究する登戸研究所でも特に奇天烈な代物を研究する機関として香取分遣所は設立された。飯田少佐はその香取分遣所の初代所長に就任したのであった。噂では登戸研究所でも飯田少佐は煙たがれていて、体よく追い出されたのだと囁かれていた。

その彼が香取研究所に左遷されて所長に就任して完成させたのがこの六式時空偵察機なのである。時空偵察機とは一体何なのか。平たく言えば、時間と空間を自由に移動できる夢のような飛行機である。これを実現させたのが「試製時空転移装置」である。飯田少佐独自の理論から導き出された、宇宙に充満する波動エネルギーをピラミッドパワーを応用しスカラー波に変換した後、πウォーターと結合させ・・・・まあ、とにかく彼にしか理解できない理屈でもって成り立っているらしい。「もっと高性能の真空管が手に入れば未来にも行ける」と豪語しているが、今のところは過去にしか行けないそうである。

その「試製時空転移装置」を彼は飛行機に装備した。時空転移装置単体だけでもいろいろなことが出来そうなものだが、なぜわざわざ飛行機などに乗せたのかというと、
「過去に戻って敵地を上空から偵察すれば、戦略上有利なことこの上ない!」
などとホラを並べて上層部から予算獲得に成功したからに他ならない。

機体の選定にあたり、当初、彼は陸軍が誇る高速偵察機「百式司令部偵察機」を望み、開発元である三菱重工の技術者との会合を持ったが、時空偵察機などと怪しげな兵器の共同開発であることを知ると後日、やんわりと断りの連絡を受け取った。「我が社では手に負えない」というのが名目上の理由であった。あと、陸軍の偵察機というと「九七式司令部偵察機」と「九八式直協偵察機」しかないが、「九七式司令部偵察機」は「百式司令部偵察機」と同じ三菱重工製であるので問題外。「九八式直協偵察機」に至ってはその名の通り直協用の機体なので航続距離に難がありこれもまた却下。さすがの飯田少佐も困り果て、これでは飛行機まで自分で作らなければならないのかと嘆いていたところ、どこから聞きつけたのか中島飛行機が名乗りを挙げた。「時空偵察機に興味がある。是非うちの機体を使ってくれ」と。中島飛行機が提案したのがなんと、海軍の艦上偵察機『彩雲』の改造だという。彩雲は航空母艦から運用する日本海軍初の偵察専用機で、敵戦闘機よりも優速を第一条件に設計され、最高速度は610km/hを誇る高速偵察機である。偵察任務中、敵戦闘機に追尾された際、自慢の高速で難なく振り切って打電された電文「我に追いつくグラマンなし」は有名である。飯田少佐も大いに気に入ってトントン拍子に話は進んだ。あとは陸軍上層部に彩雲を採用させる交渉が待ち構えていたが、飯田少佐は「これは彩雲ではない!」と言い張り強引に採用の約束を取り付けてしまった。上層部も彼とまともに議論をするのは避けたというのが真相らしいが・・・。そんな紆余曲折を経て、彩雲に「試製時空転移装置」を組み込み、諸々の改造を加えて完成したのが六式時空偵察機「妙見」であった。「妙見」の名の由来であるが、香取研究所の近くに妙見神社があったからというのが表向きの理由である。陸軍は過去にその生産地近所の「呑龍さま」から「百式重爆撃機『呑龍』」と名付けた実績がある。本当の理由は飯田少佐が研究所近くの妙見神社に散歩がてら参拝して願をかけたところ、突如ウンモ星人からの電波を受け取り、それにより時空転送装置の主たる仕組みを閃いたからだという。ヘタをすれば六式時空偵察機「ウンモ」などという名称にならなかったのは不幸中の幸いと言えよう。

陸軍六式時空偵察機「妙見」の詳細


この日、初出撃兼試験飛行の重責を担ったのは堀子大尉である。六式時空偵察機「妙見」の機長を務める彼は日華事変より偵察機を飛ばす歴戦の操縦員である。彼の部下、新垣軍曹は偵察員兼航法員、道重伍長は通信員兼銃手兼時空転移装置操作を勤める。



機長、堀子大尉。

「決して無理はするな。無事に戻ってくることが最大の任務だ」
と、飯田少佐は堀子大尉の肩を叩いた。
「飛ばねえ豚はただの豚だ。見事な偵察写真を撮って来てやるぜ。楽しみにしてな」
堀子少佐は葉巻をくわえながら、ふてぶてしく答えた。飯田少佐は堀子大尉の腕を信じていた。これ以上言う必要はあるまい。
陸軍式の敬礼をすると、堀子大尉は米兵がするような敬礼を返し「じゃ、行ってくるぜ」と妙見に向かって歩き出した。二人の部下もそれに続いた。

妙見は誉21型発動機の爆音をまき散らしながら、整備員たちが帽子を振る中、香取研究所の滑走路を蹴飛ばして大空へ飛び立って行った。


離陸する「妙見」。




第一回偵察飛行 中島館
第二回偵察飛行 江戸城
第三回偵察飛行 犬山城



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