稲屋敷(いなやしき)
場所 千葉県香取郡山田町田部字遠田部、石立
城主 不明
立地 舌状台地上
創築年代 紀元1世紀頃?
山田町指定文化財
稲屋敷は小見川町虫幡から山田町府馬に至る城郭密集地帯の中程にある。北400mに遠田部砦、東300mに道内城がある。
この遺跡が城や砦の類かというとそうではない。なんと大和朝廷の稲を貯蔵する倉並びに役所址なのである。
山田町指定文化財となっているため、このような標柱が建てられている。背後の台地が稲屋敷である。
現況は山林である。
舌状台地上には綺麗に長方形に区画された遺構が残っている。土塁はないが周囲は2、3mほど掘り下げられて台状の曲輪を作り出している。
城に当てはめれば「単郭方形」という形となる。
城郭ではないので虎口といっていいか迷うが、上記曲輪への入口である。スロープを付けただの、いたって簡単な構造。
上記曲輪より一段掘り下げて腰曲輪状になった場所。
町指定文化財ということもあって、案内板が設置されていた。その内容を転記する。
| 山田町指定文化財 稲 屋 敷 指定日 昭和五十三年八月二十日 所在地 山田町田部字遠田部、石立 『日本書紀』に景行天皇五十七年に「諸国ニ令シテ田部、屯倉(みやけ)ヲ興ス」とある。 朝廷の直轄地を屯倉と、其処で稲作に従事する部民を田部と呼んだ、田部の地名は此れによりものと考えられる。 屯倉は摂津、河内、和泉に多く、千葉県では栗源町西田部と此処の二カ所である。 屯倉には穫れた籾(稲)を貯蔵する倉と、経営を監督する田令(たっかい:役人)の役所があったとされ、その跡が『稲屋敷』として伝承され、この説明板の後方の丘がそれである。 役所跡は頂上部分で、今も平地になっている。 古い記録に東西三十六間(約六十五米)、南北二十七間(約四十九米)とある。 付近からは、土器の破片や勾玉が出土した。 平成十二年十二月 山田町教育委員会 |
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